道場、お疲れ様でした。とても充実した論破祭りでした(といいつつ、疲れていたのか、第一部はかなり意識朦朧状態でしたが…) 場所がよく分からなくて(地図を印刷しないで行ってしまったため)直前の座談会には遅刻してしまいました…。それでも、みなさんが真剣に皇位継承問題のことを考えられていることが分かりました。 本当に、一般に関心を持って貰えるにはどうすればいいのか、と思います。皇位の話と関係ないですが、コロナの話をしていたら、こんなことを言われたことがあります。「小林よしのりとか、固有名詞が出てきて、肝腎の中身が頭にはいってこない」と。実を言えば、私自身、コロナの話でよしりん先生の名前を自分からあげたことはあまりなく、出したとしても、相手から指摘があった場合だけなのですが(もっともその後は「よしりん先生はこう語っている」といういいかたはします)、そういう場合でも、そんなふうになってしまい、廻りの人は「論理」を聞こうとしなかったりするのです。あげくの果てには「小林よしのり信者」ですから。さらには「貴方も楽しんでこの話題をしている」と。どうしてそうなってしまうのでしょうか。さすがにそれを言われた時は怒りましたが。 宇野さんの発言にもあるように、インターネットの普及は、カルトの温床となるべきものを増やし、よしりん先生が著作で指摘されていた「便所の落書き」の場を増やして閉まったのだと思います。自分も空気を読めない感満載の人間ですが、公的な発言を差し控えざるを得ない人たちの意見を押さえつけているのが、その無責任な暴言なのだろう、あるいは、先に挙げた「論理」よりも小林よしのりとかいう固有名詞から来る「印象」だけをとらえて揶揄する、無関心な「大衆」なのだろうと思います。こういう場合にこそ、「忖度」とか、あるいは「意思の疎通」とかいう作業が必要なのでしょう。「想像力」とは、こういう時にこそ活用すべきことではありますまいか。 カルト規制、ネット規制を行うのは応急処置であり、そこから新たな対応が必要とされてゆくわけで、非常手間のかかる、迂遠な手段であろうと思われます。それでも、何もしなかったら、そのままになってしまうわけで、人が生きると言うことも、常に眼前にくりひろげられる事象や出来事に対応し、反応し、処理をすることだと思うから、もっと真剣に考え、悩み、そして少しづつでもいいから答えを出し続けることを忘れてはいけないな、というふうに思います。「答えを出し続ける」と言ったのは、その答えは一通りではなく、場所によっても、情況によっても、まさしく時処位で変動するものだからです。 思いがけない形で、ミュンヘン会談の話が聞けて、良かったです。 あとアンケート用紙に記したことを補足すると、李氏朝鮮の系図については何か勘違いをしたようです。すみません…。ただ、朝鮮王朝の廟号には、王位についていない親族に追号した例は数多く見られ(中には9歳の子供も)、伏見宮系の旧皇族の血を引く人間を皇族に迎えるというのは、これと同じなのでないか、即位しなかった人間に「〇〇天皇」という諡号を送るのと同じだと思います。 さらに、国際化、インターナショナリズムということで、2つ以上の言語の流入からなるピジン言語とか、既に日本語から失われてしまった発音をふくんでいる歴史的仮名遣いとか役立つのでは、というふうに思ったのですが、どうでしょうか(あまり役には立たないかな)。「旭川学生凍死事件」のような話題は、いじめ問題としてとりあげてもよいかと思います。私は去勢刑とよく似ているかと思いますが、「出家刑」というのもあってもよいかと思います。人命尊重にもなりますし。 ということで、道場、お疲れ様でした。ライジング感想はまた改めて。
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道場、お疲れ様でした。とても充実した論破祭りでした(といいつつ、疲れていたのか、第一部はかなり意識朦朧状態でしたが…)
場所がよく分からなくて(地図を印刷しないで行ってしまったため)直前の座談会には遅刻してしまいました…。それでも、みなさんが真剣に皇位継承問題のことを考えられていることが分かりました。
本当に、一般に関心を持って貰えるにはどうすればいいのか、と思います。皇位の話と関係ないですが、コロナの話をしていたら、こんなことを言われたことがあります。「小林よしのりとか、固有名詞が出てきて、肝腎の中身が頭にはいってこない」と。実を言えば、私自身、コロナの話でよしりん先生の名前を自分からあげたことはあまりなく、出したとしても、相手から指摘があった場合だけなのですが(もっともその後は「よしりん先生はこう語っている」といういいかたはします)、そういう場合でも、そんなふうになってしまい、廻りの人は「論理」を聞こうとしなかったりするのです。あげくの果てには「小林よしのり信者」ですから。さらには「貴方も楽しんでこの話題をしている」と。どうしてそうなってしまうのでしょうか。さすがにそれを言われた時は怒りましたが。
宇野さんの発言にもあるように、インターネットの普及は、カルトの温床となるべきものを増やし、よしりん先生が著作で指摘されていた「便所の落書き」の場を増やして閉まったのだと思います。自分も空気を読めない感満載の人間ですが、公的な発言を差し控えざるを得ない人たちの意見を押さえつけているのが、その無責任な暴言なのだろう、あるいは、先に挙げた「論理」よりも小林よしのりとかいう固有名詞から来る「印象」だけをとらえて揶揄する、無関心な「大衆」なのだろうと思います。こういう場合にこそ、「忖度」とか、あるいは「意思の疎通」とかいう作業が必要なのでしょう。「想像力」とは、こういう時にこそ活用すべきことではありますまいか。
カルト規制、ネット規制を行うのは応急処置であり、そこから新たな対応が必要とされてゆくわけで、非常手間のかかる、迂遠な手段であろうと思われます。それでも、何もしなかったら、そのままになってしまうわけで、人が生きると言うことも、常に眼前にくりひろげられる事象や出来事に対応し、反応し、処理をすることだと思うから、もっと真剣に考え、悩み、そして少しづつでもいいから答えを出し続けることを忘れてはいけないな、というふうに思います。「答えを出し続ける」と言ったのは、その答えは一通りではなく、場所によっても、情況によっても、まさしく時処位で変動するものだからです。
思いがけない形で、ミュンヘン会談の話が聞けて、良かったです。
あとアンケート用紙に記したことを補足すると、李氏朝鮮の系図については何か勘違いをしたようです。すみません…。ただ、朝鮮王朝の廟号には、王位についていない親族に追号した例は数多く見られ(中には9歳の子供も)、伏見宮系の旧皇族の血を引く人間を皇族に迎えるというのは、これと同じなのでないか、即位しなかった人間に「〇〇天皇」という諡号を送るのと同じだと思います。
さらに、国際化、インターナショナリズムということで、2つ以上の言語の流入からなるピジン言語とか、既に日本語から失われてしまった発音をふくんでいる歴史的仮名遣いとか役立つのでは、というふうに思ったのですが、どうでしょうか(あまり役には立たないかな)。「旭川学生凍死事件」のような話題は、いじめ問題としてとりあげてもよいかと思います。私は去勢刑とよく似ているかと思いますが、「出家刑」というのもあってもよいかと思います。人命尊重にもなりますし。
ということで、道場、お疲れ様でした。ライジング感想はまた改めて。