宗教に関して、私は二つ思い出すシーンがあります。 一つは、手塚治虫氏の作品「ブッダ」の最終巻での悟りを開いた台詞。 「人間の心の中にこそ、神が宿っているんだ!」 もう一つは、ゴー宣でのよしりん先生の幼少期エピソード(すいません、巻数忘れました…)お盆には死んだ人が帰ってくると聞いた先生は「『畏れ』を感じた」という場面で、『畏れ』を知らない人間は凶悪犯となって無差別殺人を行うというものです。 宗教というのは、幸せになりたいと思うと同時に「超越した存在」に自らの倫理観を当て嵌めて生き方を戒めるという側面もあると思います。 信者から金を巻き上げ、生活を困窮させ、追い詰められた挙句殺人という手段に出る。 信じるのは勝手ですが、統一協会の人間の心に「神」は宿っているのでしょうか?神に「畏れ」を感じないのでしょうか? 自分達がやっていることに対して、自分の中の「神」はなんとも思わないのでしょうか? 統一協会を擁護する連中は、実際に協会に追い詰められていく人々を見て、自分の中の「神」に問いかけないのでしょうか? 「信教の自由」とは「盲目に信じ込む」という意味ではないはずです。
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小林よしのりチャンネル
(ID:65290212)
宗教に関して、私は二つ思い出すシーンがあります。
一つは、手塚治虫氏の作品「ブッダ」の最終巻での悟りを開いた台詞。
「人間の心の中にこそ、神が宿っているんだ!」
もう一つは、ゴー宣でのよしりん先生の幼少期エピソード(すいません、巻数忘れました…)お盆には死んだ人が帰ってくると聞いた先生は「『畏れ』を感じた」という場面で、『畏れ』を知らない人間は凶悪犯となって無差別殺人を行うというものです。
宗教というのは、幸せになりたいと思うと同時に「超越した存在」に自らの倫理観を当て嵌めて生き方を戒めるという側面もあると思います。
信者から金を巻き上げ、生活を困窮させ、追い詰められた挙句殺人という手段に出る。
信じるのは勝手ですが、統一協会の人間の心に「神」は宿っているのでしょうか?神に「畏れ」を感じないのでしょうか?
自分達がやっていることに対して、自分の中の「神」はなんとも思わないのでしょうか?
統一協会を擁護する連中は、実際に協会に追い詰められていく人々を見て、自分の中の「神」に問いかけないのでしょうか?
「信教の自由」とは「盲目に信じ込む」という意味ではないはずです。