希蝶 のコメント

 遅くなりました。繰り返しますが、今号も配信、有り難うございます。

 先にしゃべクリの出典をあげておきますが、『万葉集』巻第3、337番より
 山上憶良臣、宴を罷る歌一首
 憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ それその母も 我(わ)を待つらむぞ
(憶良は、もうおいとまいたします 子供が泣いていることでしょう その母親(=すなわち、妻)も 私を待っていることでしょう)

 これは山上憶良が家族のことを思って詠んだ歌で、貧ぼっちゃまは独身で子供はおりませんが、たくさんいる弟や、妹のことをあてはめてみました。教科書に載っていることも多い歌なので、習ったかたも多いのではないか、と思います。

 Q&Aですが、般若心経ですね。私の家は(いちおう)臨済宗なのですが、この世に存在するものは実質をともなっていないはかないものだけれども、形があることによって実質を形成している、というふうに理解していますが、これでは学校秀才と同じなのでしょうか?(舟の材質は修復を重ねると、元の材質ではなくなってしまうという)「テセウスの舟」というたとえもありますが、たとえば「家屋」は木材など材料だけでは「家」にはならず、組み立てると「家」としての本質を持つ。しかし、経年劣化して、やがてはもとの「空」にもどる。そういうことでよろしいのでしょうか?
 またおたくなたとえを出しますが、「鋼の錬金術師」という有名な漫画(アニメ)がありますが、主人公のエルリック兄弟はなくなった母親を生き返らせようとして人体錬成の禁忌を犯し、結果、失敗して母親ではない化け物をつくってしまったわけですが、「空」が「色」を持つのも難しいのかな、と思います。
 日本神話のイザナミの話や、ギリシャ神話のオルフェウスの話にもあるように、死んだ人を無理矢理よみがえられようとしても不可能である。回想の中でしか振り返ることはできない。けれども、その人がおこなった事績は何らかの形で残され、人々の記憶に刻まれていれば、その人は生きているのと同じなのだ。そういうことを思いました。

>>32
 私は壁に「とどまれ、お前は美しい」と書ければいいかな(笑)。
 ちなみに、私は笛ネタ、投稿したこともありますが、いまいち分からなかったりします。好きな子の笛の口を入れ替えたとしても、何が楽しいのだろうか?その子と口づけをした気分になれるのだろうか?唾がついていて、ばっちい、という感覚になりますし、実際のキスのようにその人の体温や雰囲気や本質などを(それこそ「色」を)ともなうものではないのだから、無意味だと思ってしまうわけです。笑うことはできますし、今回はどんな笛ネタがくるのか、と楽しむこともできますけれども(笑)。
 
 ということで(何だか分からないことを記しましたが)、ライジング記事の感想はまた改めて。
 土曜日で名古屋道場の応募は締め切りです。これもつけ加えておきます。

No.56 27ヶ月前

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