希蝶 のコメント

〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第264回「取り残されたマスク村・日本のヤバさ」
 先に「土左衛門」と記しましたが、それに尽きてしまうのではありますまいか。豪雨の避難の話にしても、常識の範疇で片づけられてしまう問題ですよね。溺れる人を助けようとして、逆に自分が溺れてしまう場合なんていうのも(鎌倉殿の13人も含めて)ありますけれども、病原体からいのちを守ることを重視するあまり、逆にいのちを危険に曝すようなことって、いっぱいあるような感じがします。

 少し話題がずれますが、巷の声でこんなものがありました。曰く、「新型コロナウイルスの存在を証明しろと言って、立ち上がった医学者がいない、だから、新型コロナウイルスは存在しない」・「ディープステートとは、フリーメイソンの別名だ、フリーメイソンは存在するから、ディープステートは存在し、陰謀論はあり得る」なんです。「医学者が何らかの圧力を誰かから受けていたら、コロナウイルス証明には立候補しないのではないか」という説明をしても、聞く耳持たず。ファイザー社の元副社長が言っているから、といった根拠で、井上正康博士については「誰、それ?」といった感じです(「参政党」の支持者ではあるようです)。ひょっとしたら、とぼけているだけなのではないか、という気もするのですが、こういうのも、常識で物を考えておらず、自分のたまたま知った「知識」で判断している、といえるのではないのでしょうか?フリーメイソンが存在するからと言って、それがそのまま「ディープステート」やらの母体になったとか、陰謀を企むとかいう話にはならないのではないのでしょうか?
 その中には他の方面では一流で、プロのかたもいるのでしょうが、どうして人間はすべてにおいて「完全」にはなり得ず、またそのことを自覚しているようで、自覚しておらず、同じ意見を述べても「人間」によって内容や意味を変えて判断してしまうようなことが起こるのでしょうか?恐らく、マスク水中の話も、豪雨避難の話についても、一般常識として語ろうとしても、それを語る「人間」の中身や普段の行いと称するもので「判定」されるのかと思うと、どうして「論理」で考えないのか、と思うのです。「小林よしのりの言うことだから、こうだろう」とか「小林よしのりのいうことにはすべてイエスなんだろう」という理屈と同じですよね。

 少し愚痴を述べてみました。それでは本当に遅くなってすみませんでした。次号を期待します。加えて、第55章「集金奴隷」再録、おめでとうございます。楽しみにしております。

>>195>>196の中の、一部、誤字や、不穏当な表現を修正し、投稿し直します)

No.199 29ヶ月前

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