突然ですが、FLASHの「辻説法」の感想を記します。 私にとって「実存」というよりも、何かをしたいという「情熱」の方が重要だ、と思いますが、恐らく同じような意味ではないか、と思います。つまり、「生きる目的」とか「意義」とかいうものなのでしょう。私の生活も、仕事があるシフトの日は仕事をして、それから帰ってきて、休んで、ご飯を食べて寝るというようなもので、そうでない日は起きて、朝食をとって、洗濯やアイロンがけやスーパーへの買い物などをして、ヴィデオのハードディスクの情況や予約の確認をしたりしてですが、ルーティーン化してしまい、確かに刺戟がないと言えばそんな状態です。 実を言えば小説とか書籍をもっと読みたいとか、そういうものを自分であらわしてみたいとか考えたりもしますが、時間や体力の関係、あるいは能力や気力の問題で実現しないといった感じです。昔、ミステリー大賞に応募したのですが、当選せず、ほかの人に読ませても「人物がごちゃごちゃしている」「話が分かりにくい、難解だ」「話を二つか三つ位に分けろ」「短いのを書け」「ギリシャ神話に興味のある人だったら面白いかも」と言われ、具体的に何がそうなのか、どこが面白くないのか未だにまるで分からず、ずっと悩んでいます。自分の悩みみたいなことを記したつもりだったのですが。長いと言われても、人物関係が錯綜している話なのだから、仕方がないのだけれども(例えば、Aという環境での友人と、Bという場面での友人が別々にいて、その二人が別人で、知り合いではないということは、よくあることですよね。カウンセリングの人に読ませたら、それが分からないというのですから)。 甘えかもしれないけれども、面白くないとか言うのだったら、どこがそうなのか、指摘して貰えると助かるのですが。私にしてみれば、ほかの人の感じ方や考えることの方が難解です。 女の人が男を口説くというのは別にそれほど珍しいことでもなく、よくあることなのかな、と思います。「かぐや様は告らせたい」という漫画では、生徒会長の少年と副会長の少女の、どちらが先に「告白」するかという「知能ゲーム」が物語の焦点になっているわけですから、男が先にするべきだというような問題はもうないと言っていいでしょう。シングルマザーも、「アオアシ」というサッカー漫画の主人公の母親がそうだったりするので、案外、結婚制度の足枷も、崩れつつあるのかも知れないです。しかし、私は古い人間なので、できたらいちおうは正式に結婚している関係の方がいいかな、と。その方が生まれてくる子にとっても幸福なのではないか、と。 昔読んだ、レイ・ブラッドベリーの小説でこういうミステリー調の話があって(『EQ』誌で読んだ)、ある「仲の悪い」夫婦がいて、年取ってからお互いを殺そうとゲームをするのですが、約束があって、周囲には喧嘩してないように見せかけようとするのですが、最終的にこれ以上廻りに迷惑をかけたくないと決着を急いで、相討ちになり、互いに「悪態」のようなことを言いつつ、この世を去るのですが、翌朝近所の人が発見した時には、二人は睦まじそうに眠っているような感じだった…鉤括弧をしましたが、果たしてこの夫婦は本当に「不仲」だったのか、あるいは「ツンデレ」だったのか? 「死が二人を分かつまで」と申しますが、上記の話のような情況でない限り、必ずどちらかが取り残されるのでしょう。過去の「辻説法」でも例があがっていたのであげますが、加藤茶さんのような年の差結婚の場合は特にそうでしょう。私だったら、誰かを後に残してゆくのは堪えられないでしょう。一番気になったのはその箇所です(でも心中みたいのは嫌ですね。相手の生きる権利を奪うから)。だったら、独り身でもいいのかな? あまり関係ない話ですが、オーストリアのマリア・テレジアという君主は、皇帝のフランツ1世と16人の子沢山だったそうで、それで政治もやっていたわけだから、凄いなと思います。よく私は愛子様が天皇陛下になった場合、夫君はフランツ1世の立場になるのでは、と想像するのです。互いに一目惚れだったそうで、皇帝がなくなった後、マリア・テレジアは喪服を着て過ごしたのだそうです。 以上、とりとめのないことを記してみました。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:22136524)
突然ですが、FLASHの「辻説法」の感想を記します。
私にとって「実存」というよりも、何かをしたいという「情熱」の方が重要だ、と思いますが、恐らく同じような意味ではないか、と思います。つまり、「生きる目的」とか「意義」とかいうものなのでしょう。私の生活も、仕事があるシフトの日は仕事をして、それから帰ってきて、休んで、ご飯を食べて寝るというようなもので、そうでない日は起きて、朝食をとって、洗濯やアイロンがけやスーパーへの買い物などをして、ヴィデオのハードディスクの情況や予約の確認をしたりしてですが、ルーティーン化してしまい、確かに刺戟がないと言えばそんな状態です。
実を言えば小説とか書籍をもっと読みたいとか、そういうものを自分であらわしてみたいとか考えたりもしますが、時間や体力の関係、あるいは能力や気力の問題で実現しないといった感じです。昔、ミステリー大賞に応募したのですが、当選せず、ほかの人に読ませても「人物がごちゃごちゃしている」「話が分かりにくい、難解だ」「話を二つか三つ位に分けろ」「短いのを書け」「ギリシャ神話に興味のある人だったら面白いかも」と言われ、具体的に何がそうなのか、どこが面白くないのか未だにまるで分からず、ずっと悩んでいます。自分の悩みみたいなことを記したつもりだったのですが。長いと言われても、人物関係が錯綜している話なのだから、仕方がないのだけれども(例えば、Aという環境での友人と、Bという場面での友人が別々にいて、その二人が別人で、知り合いではないということは、よくあることですよね。カウンセリングの人に読ませたら、それが分からないというのですから)。
甘えかもしれないけれども、面白くないとか言うのだったら、どこがそうなのか、指摘して貰えると助かるのですが。私にしてみれば、ほかの人の感じ方や考えることの方が難解です。
女の人が男を口説くというのは別にそれほど珍しいことでもなく、よくあることなのかな、と思います。「かぐや様は告らせたい」という漫画では、生徒会長の少年と副会長の少女の、どちらが先に「告白」するかという「知能ゲーム」が物語の焦点になっているわけですから、男が先にするべきだというような問題はもうないと言っていいでしょう。シングルマザーも、「アオアシ」というサッカー漫画の主人公の母親がそうだったりするので、案外、結婚制度の足枷も、崩れつつあるのかも知れないです。しかし、私は古い人間なので、できたらいちおうは正式に結婚している関係の方がいいかな、と。その方が生まれてくる子にとっても幸福なのではないか、と。
昔読んだ、レイ・ブラッドベリーの小説でこういうミステリー調の話があって(『EQ』誌で読んだ)、ある「仲の悪い」夫婦がいて、年取ってからお互いを殺そうとゲームをするのですが、約束があって、周囲には喧嘩してないように見せかけようとするのですが、最終的にこれ以上廻りに迷惑をかけたくないと決着を急いで、相討ちになり、互いに「悪態」のようなことを言いつつ、この世を去るのですが、翌朝近所の人が発見した時には、二人は睦まじそうに眠っているような感じだった…鉤括弧をしましたが、果たしてこの夫婦は本当に「不仲」だったのか、あるいは「ツンデレ」だったのか?
「死が二人を分かつまで」と申しますが、上記の話のような情況でない限り、必ずどちらかが取り残されるのでしょう。過去の「辻説法」でも例があがっていたのであげますが、加藤茶さんのような年の差結婚の場合は特にそうでしょう。私だったら、誰かを後に残してゆくのは堪えられないでしょう。一番気になったのはその箇所です(でも心中みたいのは嫌ですね。相手の生きる権利を奪うから)。だったら、独り身でもいいのかな?
あまり関係ない話ですが、オーストリアのマリア・テレジアという君主は、皇帝のフランツ1世と16人の子沢山だったそうで、それで政治もやっていたわけだから、凄いなと思います。よく私は愛子様が天皇陛下になった場合、夫君はフランツ1世の立場になるのでは、と想像するのです。互いに一目惚れだったそうで、皇帝がなくなった後、マリア・テレジアは喪服を着て過ごしたのだそうです。
以上、とりとめのないことを記してみました。