かなり遅くなりましたが、今号の感想です。 〇 ゴーマニズム宣言・第466回「権威主義とは何なのか?」 前にも解説しましたが、菊池寬「形」について。 戦国時代、摂津国の半分を治めていた松山という領主の侍大将に、中村新兵衛という槍の名人がいました。彼のトレードマークは猩々緋(しょうじょうひ)の服折りと唐冠纓金(とうかんえいきん)の兜でした。 あるとき、元服したばかりの松山の側腹の子、つまりめかけの子が新兵衛に初陣の祝いとして、新兵衛のトレードマークの上記2品を貸してくれないか、と頼みました。新兵衛は快諾し、ただし、自分の服折りと兜は「形」であるから、覚悟して身につけてくれと言い添えました。 翌日、松山の妾腹の若侍は筒井順慶の軍に一番槍をあげ、手柄を立てました。それを見ていた新兵衛は感心し、自分の「形」がこれほどの威力を持っていることに誇りを持ちました。 しかし、二番槍を新兵衛が入れたところ、敵は抗戦し、新兵衛は苦戦しました。つまり、敵は一番槍の怨みを、その日違った鎧を身につけていた新兵衛に復讐しようとしたわけです。新兵衛は必死で戦いましたが、敵はひるまず、彼が迂闊に自分のトレードマークの武具を貸してしまったことを後悔した時、彼の脇腹を敵の槍が突き刺していました。 これでこの話をするのは三度目か四度目なのですが、先に記した際には、玉川徹のことを批判したものであり、テレビ朝日やモーニングショーが猩々緋や唐冠纓金であるという趣旨だったように記憶しています。つまり、本人にいくら実力があっても、その実力の成果は放送局や番組のものとして計上されるわけで、本人には還元されない場合がある、ということです。 すなわち、「権威」とはそのような連綿とした「形」として生まれるわけで、個の努力は全体の結果に繋がるわけで、みやざは氏の研究も、京都大学のものとして判定される、あるいはその集団の中に所属していたからこそ為し得たものだという判断をされるのではないか、だから人間は「権威」を重んじ、それに従うのでしょう。 その通りですし、皇室の権威は歴代の天皇陛下の治世の賜物でもあるわけですが、しかし、それでは物の本質を誤る場合もあります。「長いものに巻かれろ」となって、自分の判断力、事象に対する思考力を失ってしまう場合です。ブランド信仰はその社の出す製品なら信用がおける、買っても損はないだろうと自分でその商品を調べ、勉強することを怠らせ、私たちは結果として缺陥品(けっかんひん)をつかまされたと地団駄を踏む場合だってあるわけです。 日本人が「権威」に弱いのは昔からで、江戸時代に庶民や大名が系図を作成する際に、こぞって「源平藤橘」の氏に繋がるようにしたというのはいい事例であると思います(ある意味、自分で豊臣「氏」を賜与されるように仕向けた秀吉は改革者であったろうと思う。ちなみに、あれは正確には「とよとみ の ひでよし」だそうです)。だから、皇室の血を引いている子孫がいると、あたかも「世も世なら皇族」と人を惑わせ、男系継承が可能であるかのような判断ミスを知識人や政治家などに犯させる結果をも招いているわけでしょう。 東京大学や京都大学の権威や伝統は明治になってからのもので(東大のルーツは江戸時代の「昌平坂学問所」まで遡ります)、「帝国大学」という戦前の制度によるのですが、現代でもその伝統は継承され、威力を発揮するのだから、歴史が与えたものですが、悪いいいかたをすれば「陋習」でもあるわけです。確かにこれらの大学に入学するには「受験勉強」が必要で、螢雪時代、ではない蛍雪の功を積むことになるのでしょう。しかし、努力する方向を間違ったり、その「看板」に安住すると人間は堕落し、レベルを落とすわけです。 長々記しましたが、私自身はあまり大学の名前で得をしたことはないです。確かに最初に入社したところや、そののち長く勤めたところは大学のネームヴァリューで受かったのだろうと想像しますが、その後は、仕事の成果や姿勢、人間関係などで評価されます。そもそも、会社には「試用期間」があり、三ヶ月位その人間がその社に適した人間か判定する期間が設けられています。それを過ぎても失策があったりすると仕事を続けづらくなったり、社長のワンマン会社では「首切り」が行われる場合もあるわけです。だから「契約書」が重要になったりもするのですが、あくまでも「大学名」は入社のきっかけ程度のものにしかならず(それだって、はたからすると凄いということなのでしょうが)、要は本人の「人格」や「実力」なのだろう、いざというときの咄嗟の行動だろう、そういうものを自分は持ち合わせていないから、仕事が長続きしなかったのだろうと反省しています。会社とは、社会とはそういうものです(今のコロナ禍はその仕事の「機会」さえも奪っているわけですが)。 宮沢なんとかさんの場合も、大切な研究成果の発表会で自己の所業で会を台無しにしてしまったのだから、自業自得で、それで人物の全体像を評価されても文句は言えないでしょう。それをくつがえすには、それ以上の努力と、迷惑をかけてしまった人への心からの誠意を見せることが必要で、その礼節をかいている時点で人間失格です。彼には他者に貸し与える「猩々緋」や「唐冠」すらないのではありますまいか。 記すのに飽きてきたのでここまでにしますが、私たちは社会は「個」だけでは動くものではないけれども、「肩書き」だけで点数をつけられるものでもなく、すべてはその人間の「これまでの行動」や、「肝腎な時の反射的なもの」によっても評価されることを肝に銘じておかねばならないと思います。そのためにも、表面上の「権威」ではなく、物事の「規矩準縄」(きくじゅんじょう、昨日のとある試験でできなかった「言葉」なので、使ってみました)を持つべし、手本や基準となるべきものを明確にせねばならない、と思います。日々研鑽し、励むことこそ肝要でしょう。 長くなり過ぎたので、ここで区切ります。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:22136524)
かなり遅くなりましたが、今号の感想です。
〇 ゴーマニズム宣言・第466回「権威主義とは何なのか?」
前にも解説しましたが、菊池寬「形」について。
戦国時代、摂津国の半分を治めていた松山という領主の侍大将に、中村新兵衛という槍の名人がいました。彼のトレードマークは猩々緋(しょうじょうひ)の服折りと唐冠纓金(とうかんえいきん)の兜でした。
あるとき、元服したばかりの松山の側腹の子、つまりめかけの子が新兵衛に初陣の祝いとして、新兵衛のトレードマークの上記2品を貸してくれないか、と頼みました。新兵衛は快諾し、ただし、自分の服折りと兜は「形」であるから、覚悟して身につけてくれと言い添えました。
翌日、松山の妾腹の若侍は筒井順慶の軍に一番槍をあげ、手柄を立てました。それを見ていた新兵衛は感心し、自分の「形」がこれほどの威力を持っていることに誇りを持ちました。
しかし、二番槍を新兵衛が入れたところ、敵は抗戦し、新兵衛は苦戦しました。つまり、敵は一番槍の怨みを、その日違った鎧を身につけていた新兵衛に復讐しようとしたわけです。新兵衛は必死で戦いましたが、敵はひるまず、彼が迂闊に自分のトレードマークの武具を貸してしまったことを後悔した時、彼の脇腹を敵の槍が突き刺していました。
これでこの話をするのは三度目か四度目なのですが、先に記した際には、玉川徹のことを批判したものであり、テレビ朝日やモーニングショーが猩々緋や唐冠纓金であるという趣旨だったように記憶しています。つまり、本人にいくら実力があっても、その実力の成果は放送局や番組のものとして計上されるわけで、本人には還元されない場合がある、ということです。
すなわち、「権威」とはそのような連綿とした「形」として生まれるわけで、個の努力は全体の結果に繋がるわけで、みやざは氏の研究も、京都大学のものとして判定される、あるいはその集団の中に所属していたからこそ為し得たものだという判断をされるのではないか、だから人間は「権威」を重んじ、それに従うのでしょう。
その通りですし、皇室の権威は歴代の天皇陛下の治世の賜物でもあるわけですが、しかし、それでは物の本質を誤る場合もあります。「長いものに巻かれろ」となって、自分の判断力、事象に対する思考力を失ってしまう場合です。ブランド信仰はその社の出す製品なら信用がおける、買っても損はないだろうと自分でその商品を調べ、勉強することを怠らせ、私たちは結果として缺陥品(けっかんひん)をつかまされたと地団駄を踏む場合だってあるわけです。
日本人が「権威」に弱いのは昔からで、江戸時代に庶民や大名が系図を作成する際に、こぞって「源平藤橘」の氏に繋がるようにしたというのはいい事例であると思います(ある意味、自分で豊臣「氏」を賜与されるように仕向けた秀吉は改革者であったろうと思う。ちなみに、あれは正確には「とよとみ の ひでよし」だそうです)。だから、皇室の血を引いている子孫がいると、あたかも「世も世なら皇族」と人を惑わせ、男系継承が可能であるかのような判断ミスを知識人や政治家などに犯させる結果をも招いているわけでしょう。
東京大学や京都大学の権威や伝統は明治になってからのもので(東大のルーツは江戸時代の「昌平坂学問所」まで遡ります)、「帝国大学」という戦前の制度によるのですが、現代でもその伝統は継承され、威力を発揮するのだから、歴史が与えたものですが、悪いいいかたをすれば「陋習」でもあるわけです。確かにこれらの大学に入学するには「受験勉強」が必要で、螢雪時代、ではない蛍雪の功を積むことになるのでしょう。しかし、努力する方向を間違ったり、その「看板」に安住すると人間は堕落し、レベルを落とすわけです。
長々記しましたが、私自身はあまり大学の名前で得をしたことはないです。確かに最初に入社したところや、そののち長く勤めたところは大学のネームヴァリューで受かったのだろうと想像しますが、その後は、仕事の成果や姿勢、人間関係などで評価されます。そもそも、会社には「試用期間」があり、三ヶ月位その人間がその社に適した人間か判定する期間が設けられています。それを過ぎても失策があったりすると仕事を続けづらくなったり、社長のワンマン会社では「首切り」が行われる場合もあるわけです。だから「契約書」が重要になったりもするのですが、あくまでも「大学名」は入社のきっかけ程度のものにしかならず(それだって、はたからすると凄いということなのでしょうが)、要は本人の「人格」や「実力」なのだろう、いざというときの咄嗟の行動だろう、そういうものを自分は持ち合わせていないから、仕事が長続きしなかったのだろうと反省しています。会社とは、社会とはそういうものです(今のコロナ禍はその仕事の「機会」さえも奪っているわけですが)。
宮沢なんとかさんの場合も、大切な研究成果の発表会で自己の所業で会を台無しにしてしまったのだから、自業自得で、それで人物の全体像を評価されても文句は言えないでしょう。それをくつがえすには、それ以上の努力と、迷惑をかけてしまった人への心からの誠意を見せることが必要で、その礼節をかいている時点で人間失格です。彼には他者に貸し与える「猩々緋」や「唐冠」すらないのではありますまいか。
記すのに飽きてきたのでここまでにしますが、私たちは社会は「個」だけでは動くものではないけれども、「肩書き」だけで点数をつけられるものでもなく、すべてはその人間の「これまでの行動」や、「肝腎な時の反射的なもの」によっても評価されることを肝に銘じておかねばならないと思います。そのためにも、表面上の「権威」ではなく、物事の「規矩準縄」(きくじゅんじょう、昨日のとある試験でできなかった「言葉」なので、使ってみました)を持つべし、手本や基準となるべきものを明確にせねばならない、と思います。日々研鑽し、励むことこそ肝要でしょう。
長くなり過ぎたので、ここで区切ります。