Niels@CPH のコメント

>>160
rokuさん、はじめまして。わざわざ読んで下さり、ありがとうございます。

解説になるかどうかわかりませんが・・・価値相対主義というのは、「意見は人それぞれで、そこに優劣はない」ということだと私は思っています。用語が違うなら勘弁してください。ともかく、最近の例では「ゼレンスキーもプーチンもどっちもどっち説」、古い例では「人間は万物の尺度説」のことです。

そして、あの対話でAさんは、これをゼレンスキー~プーチンの例と同じく、正義の問題に適用したわけです。すなわち、

「これが正義だあれが正義だと、巷ではさまざまな正義が叫ばれているが、それらさまざまな意見に、優劣はない。なぜなら、どんな正義であれ、それを正義と信じる者にとっては、たしかに正義なのだから」と。

ところがAさんは、自分のこの意見に、優れた価値を認めるからこそ、そう意見するわけですよね。自分の意見は優れていて、その反対の意見は劣ると認めるからこそ、前者を肯定し、後者を否定するわけですよね。

そうすると、「正義についての意見に、優劣はない」というAさんのこの意見自体が、正義についての意見に、優劣を認めている、ということになりませんか。本人の自覚の有無にかかわらず。

つまり、rokuさんのおっしゃるとおり、Aさんは己の主張の矛盾を露呈している、価値相対主義のまやかしであることは、こうして証明されそうだ~、と、私は他愛なく思った次第です。

そして、このまやかしをAさん自身が、まやかしであると知るのなら、そのことが、Aさん自身のうちに、相対的ではない真実の種がある、ということの証明にならないか、というオチだったと思います。本物を知らずに偽物を偽物と知ることは、きっと不可能だからと。

・・・こんな感じです。失礼しました。

No.188 30ヶ月前

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