こりゃ馬 のコメント

>>115
おはようございます。
花園天皇と北朝第一代光厳天皇は叔父と甥の関係ですが、皇太子ですね。(後醍醐天皇の次代天皇になる予定だった)
“皇太子となった後は立太子と呼ばれた“
→立太子の礼を経て皇太子となられた
という解釈でよろしいでしょうか?
律令制以前は日嗣の皇子と呼ばれて、その方を皇太子に当てるならば、立太子を経ずに天皇になられた方は、まず仁徳天皇ですね。
菟道稚郎子と皇位を争い、最終的に菟道稚郎子が薨去した後、仁徳天皇が即位しました。
允恭天皇は、天皇になるつもりはなかったのに、后の忍坂大仲姫の強い薦めで天皇になられました。
安康天皇は木梨軽皇子のスキャンダルにより、木梨軽皇子が引きずり下ろされ、天皇に即位。
雄略天皇は、兄の安康天皇が幼い眉輪王に殺された後、眉輪王を討って天皇に即位。
顕宗天皇は、清寧天皇の系統が清寧天皇の崩御で絶えた後、牛飼・馬飼になっていたところを発見されて、天皇に即位。
継体天皇は、ただしさんのおっしゃる通り。
宣化天皇と欽明天皇は日本書紀に日嗣、太子に至る詳しい記述がない。
用明・崇峻も同じ。
そして、推古天皇は、蘇我馬子が崇峻天皇を殺した直後、動揺の中、天皇に即位なされました。
舒明天皇は、聖徳太子が推古天皇より先に薨去したため、後継ぎが曖昧にされたまま、蘇我蝦夷らの後押しで天皇に即位。
皇極天皇も似た感じ。
孝徳天皇は、乙巳の変・大化の改新により即位。
斉明天皇は皇極天皇の重祚。

ざっとこんな感じでしょうか。

No.118 30ヶ月前

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