『日本人とはそも何者ぞ』を読みながら澤村修治氏の本居宣長の解釈を抜粋「本居の国学でとりわけ大事なのは『恋』だといえる。美しさを感じる心、いとおしさの気持ちというのも自分から生まれますが、自分でコントロールできるかというと、そうではない。理知を超えていますから。だいたい相手もあることでしょうし。でも厳然としてそこにあり、引きずられていきます。これらを総称して『もの』と見ればいいのでないか。この『もの』に対して、人間性の深いところから、しみじみと湧きいずる情感が『あはれ』であると。」 本居といえば源氏物語より「もののあはれ」を言い出した国学者ですが、澤村氏の解釈からすると、よしりん先生の『恋愛論』で描かれる男女の妙は、滑稽であるも最終的には、この「もののあはれ」の心境にたどり着くように思いました。善でも悪でもなく、ただ、ただ、人としての「あはれ」を感じ、おかしくもあり、愛おしくも感じます。 日本人論に深く関わっていたのですね。なるほど、奥の深い作品です。
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小林よしのりチャンネル
(ID:90582757)
『日本人とはそも何者ぞ』を読みながら澤村修治氏の本居宣長の解釈を抜粋「本居の国学でとりわけ大事なのは『恋』だといえる。美しさを感じる心、いとおしさの気持ちというのも自分から生まれますが、自分でコントロールできるかというと、そうではない。理知を超えていますから。だいたい相手もあることでしょうし。でも厳然としてそこにあり、引きずられていきます。これらを総称して『もの』と見ればいいのでないか。この『もの』に対して、人間性の深いところから、しみじみと湧きいずる情感が『あはれ』であると。」 本居といえば源氏物語より「もののあはれ」を言い出した国学者ですが、澤村氏の解釈からすると、よしりん先生の『恋愛論』で描かれる男女の妙は、滑稽であるも最終的には、この「もののあはれ」の心境にたどり着くように思いました。善でも悪でもなく、ただ、ただ、人としての「あはれ」を感じ、おかしくもあり、愛おしくも感じます。
日本人論に深く関わっていたのですね。なるほど、奥の深い作品です。