希蝶 のコメント

 「ソライロ」、聴取しました。東京の開催だけでは公論サポーターにはなれなかったと、だふねさんや基礎医学研究者さんが語られていたのを聞き、やはり地方開催は「道場」発展のためには必要だったのかな、と思いました。自分も地方会場の応募で、観光を兼ねることもできたりして、ラッキーだったかな、といった感じです。

 5月3日は真っ先に応募しました。関係ないけど5月15日の十番勝負も応募しております。
 だふねさん、基礎医さん、藤沢さん、楽しい放送を有り難うございました。5月3日は何としても成功して欲しいです。

 昨日の生放送に関連して、先日起こったちょっとした出来事のことを語ります。
 知り合いのある女の子が「藝能人やスポーツ選手はマスクをしないからコロナにかかって大変だ」というようなことをある男性と語っていたので、たまたまその場にいた私が「マスクはウイルスを完全に遮断はしませんよ」というようなことをぼそっと漏らしました。そうしたら、その話し相手の男性が「〇〇さん(私の名前)、まだそんなこと言ってるんですが、ああ、おかしい!」と言っていきなり笑い出し、「デマだから聞くな!」と相手にだめ押しをしていました。さらにその場にいたとあるひとから「小林よしのりに影響されすぎですよ、小林よしのりのいうことにはすべてYESなんだろ」とにやにや笑いながら、事態を面白がっている様子。
 私はサージカルマスクとかあるでしょうとか、科学の話をしてるとか、自分で判断して言っているとか言ったりしましたが、どちらの人も聞く耳持たず。最初に笑い出した方は「だったら論文を見せてくださいよ!」。しばらくあとで彼は「感情的になってすみませんでした」と言ってきたので、「忘れました」というふうに答えましたけれども、マスクの編み目の話までよしりん先生のデマ扱いされるとは思いませなんだ(そもそもコロナに限った話題でもないですし。そういうものでさえ、笑いものにされるのかと)。実際、そんなに気にはしてはいないのですけれども、ここまで頭のかたい人たちだとは思わなかった、という話です。自分の主張は押し通そうとするくせに、相手の話には耳を傾けようとはしない。自分の信じたものが世界のすべてのように感じているのでしょうか(人の批評は言えないのかもしれませんが)。
 そして、それ以上に「小林よしのりのいうことにはすべてYESなんだろ」という決めつけの方がはるかにひどいですね。いろいろ話した人なんですが、「小林よしのりの言うことはすべて宗教みたいではないか」、「小林よしのりはコロナ論でいくらもうけたんだろ?」、コロナ論は5でおしまいだ、という話をしたら「コロナでもうけられなくなったんだろ」と。そういう相手に何を言っても駄目なんだろうとも思いますし、私に対しても色眼鏡をかけて見ているのだろうと思います(「コロナ論」が売れるのはそれを求める人がいるからであって、その結果、よしりん先生たちが収入を得るのは「当然の帰結」でしょうし、今のコロナ恐怖症・マスク絶対着用主義・ワクチンへの過信信仰の方がよほど宗教のように私には見えるんですが。喧嘩をするのも面倒ですし、それ以上は言わぬようにしていますが・十分言うべきことは伝えた、と思ってもいます)。
 どの人もほかのことについては、普通の判断をするのですけれども。私もトカトントン気分になりそうです。
 以上、昨日の「バス車内」での話同様、世間がどんな感じか、ということを報告するつもりで記しました。やはり許せないのは煽ったモーニングショーなどのマスコミです。

>>170
 私は格言とか箴言というのは、古今東西の智慧の結晶であり、中には特定の地域や時代や文化にしかあてはまらないものもあるのでしょうが、自分の人生経験とか想像とか歴史などで価値のあるものを選んで語るのは意味があることだろうと思います。確かに「杞憂」と「取り越し苦労」とを比べた場合、後の方が分かりやすいのかも知れませんが、難しいものを難しいまま理解することが、人間の思考力をあげるという効果があり、またやはり人智を越えた特別なものに触れる楽しみがあるようにも思えます。それを解釈するのも人それぞれなのだろうとも。
 私が最近ちょっと気になる言葉に、「郷原は徳の賊なり」という『論語』の言葉があるのですけれども、ひょっとしたら自分も郷原(その地域の人気者、有名人)でしかないのかも知れない。ものを語るにはそういう自覚や疑いもいるのではないか、という気がしています。蛇足ながらつけ加えました。 
 夜分遅くに失礼いたしました(何度も投稿し直してすみませんでした)。

No.183 25ヶ月前

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