非常に遅くなりました。今号の感想です。 〇 ゴーマニズム宣言・第458回「リベラルの方が好戦的」 多分、日本人はいのちをかけて自由を獲得したという経験がないか、あるいは非常に少ないので、世界のリベラルの動静が分からないのではないのでしょうか?その意味では、今放映されている大河ドラマの「鎌倉殿」の時代は東国の武士達がいのちがけで京都の朝廷からの独立を志向した時代だったのではないか、と思うのですが、鎌倉時代前期は血で血を洗うような抗争劇が繰り返されているので、「自由」とは(昔のハードボイルド小説のタイトルを借りますが)「血の収穫」なのではないか、という気がします。 だったらば「和の精神」とか「天皇制」によって、お上に支配されている方が平和でいい、というふうに、コロナ騒動で自粛している日本人のていたらくに繋がっているのではないか。しかし、天皇陛下という存在がないと、日本はまとまらない国でもあるわけで、何とか国家のありかたとか、自由の概念を根本的に考え直さなければいけないのではないか、というふうに思いました。 あまりうまくまとまらないのですが、私はそれでも自由の方が重要だと思います。そして、本当の権威こそを重んじこそすれ、まやかしの権威や権力には否という力を持たねばならないでしょう。 〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第252回「世界各国、コロナ規制ほとんど撤廃されてます」 一言。黒岩知事、目立とう根性ですね。とても恥ずかしいです。 先の話とも関連があるのですが、日本人は、海外信仰をも併せ持っているわけで、しかし、それを換骨奪胎して別のものにする力もあるわけです。海外ではこうだというのを自分たちの都合の良いように、和の精神に合うように「解釈」して、日本流に作り替えてしまう。だから、コロナを恐れるのは世界標準であっても、マスクやワクチンについては「和の全体主義」におちいってしまう。ワクチン感染者といったグラフは見ようともしない。2回目を受けて効果がなかったら、3回でも4回でも受けようとする。 いい加減、自分たちが誤っていたのなら、それは誤りだと認めるべきだと思うのですが、それは誇りが傷つけられるからしようとしない。かくいう自分にもそんなところはあるのかもしれない、と自戒することもあります。やはり重要なのは客観的な視座であり、自己流儀でよい場合と、自分の解釈に誤謬がある場合は素直に認める、ということになるのでしょうか。 ともあれ、世界の情勢をまとめてくださったことに感謝します。こういう話がもっとほかの人の目にもついて欲しいと願います。それこそ、「宗教」だとか言われないように。どちらが宗教なんだ、と私は思います。 ということで、しゃべクリですが、ソメイヨシノのこと、本当に知らなかったです。桜にも種類があるのだな、ということですね。もう少し考えてから投稿します。
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非常に遅くなりました。今号の感想です。
〇 ゴーマニズム宣言・第458回「リベラルの方が好戦的」
多分、日本人はいのちをかけて自由を獲得したという経験がないか、あるいは非常に少ないので、世界のリベラルの動静が分からないのではないのでしょうか?その意味では、今放映されている大河ドラマの「鎌倉殿」の時代は東国の武士達がいのちがけで京都の朝廷からの独立を志向した時代だったのではないか、と思うのですが、鎌倉時代前期は血で血を洗うような抗争劇が繰り返されているので、「自由」とは(昔のハードボイルド小説のタイトルを借りますが)「血の収穫」なのではないか、という気がします。
だったらば「和の精神」とか「天皇制」によって、お上に支配されている方が平和でいい、というふうに、コロナ騒動で自粛している日本人のていたらくに繋がっているのではないか。しかし、天皇陛下という存在がないと、日本はまとまらない国でもあるわけで、何とか国家のありかたとか、自由の概念を根本的に考え直さなければいけないのではないか、というふうに思いました。
あまりうまくまとまらないのですが、私はそれでも自由の方が重要だと思います。そして、本当の権威こそを重んじこそすれ、まやかしの権威や権力には否という力を持たねばならないでしょう。
〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第252回「世界各国、コロナ規制ほとんど撤廃されてます」
一言。黒岩知事、目立とう根性ですね。とても恥ずかしいです。
先の話とも関連があるのですが、日本人は、海外信仰をも併せ持っているわけで、しかし、それを換骨奪胎して別のものにする力もあるわけです。海外ではこうだというのを自分たちの都合の良いように、和の精神に合うように「解釈」して、日本流に作り替えてしまう。だから、コロナを恐れるのは世界標準であっても、マスクやワクチンについては「和の全体主義」におちいってしまう。ワクチン感染者といったグラフは見ようともしない。2回目を受けて効果がなかったら、3回でも4回でも受けようとする。
いい加減、自分たちが誤っていたのなら、それは誤りだと認めるべきだと思うのですが、それは誇りが傷つけられるからしようとしない。かくいう自分にもそんなところはあるのかもしれない、と自戒することもあります。やはり重要なのは客観的な視座であり、自己流儀でよい場合と、自分の解釈に誤謬がある場合は素直に認める、ということになるのでしょうか。
ともあれ、世界の情勢をまとめてくださったことに感謝します。こういう話がもっとほかの人の目にもついて欲しいと願います。それこそ、「宗教」だとか言われないように。どちらが宗教なんだ、と私は思います。
ということで、しゃべクリですが、ソメイヨシノのこと、本当に知らなかったです。桜にも種類があるのだな、ということですね。もう少し考えてから投稿します。