昨夜のおどれら正気か、衝撃でした。 ゲリラ戦をして徹底的に戦うべきではなかったか、「思想すること」 (ここで考え出してしまって、そのあとはほとんど耳に入らなかった) ちょうど今回ゴー宣を読んで、男系固執派について考えていた時、 終戦時、陛下のご決断に従い敗戦を受け入れるのか、断じて徹底抗戦するのか、をふと考えていました。 私は、天皇陛下が、耐え難きを耐え、忍び難きをしのび、と、国民も血の涙を飲んで敗戦を受け入れたことを、絶対視、神聖視していました。 とはいえ自分は、アメリカが本土上陸してきたら、徹底抗戦して日本人最後の1人まで戦う! 日本が滅びても戦う!と地団駄を踏むんじゃないかな、と容易に想像できました。 でも、日本を守るために敢えて敗戦を受け入れた天皇陛下に逆らって、たとえ日本と日本民族が滅んでも、最後の最後まで戦わないわけにはいかない!というのは自己満足でしかなく、本当に国を思ってのことではないんだろうな、と思ってきました。 よしりん先生の著書にもあるように、この選択は、天皇陛下がいらしてこそ可能だったし、勝者アメリカが高らかに占領成功を謳っても、天皇陛下がいたから、日本人だったから出来たことに過ぎないし、ーとはいえ見事にアメリカの植民地と化し見事に飼い慣らされた臆病な畜軍に成り果てました。 自分は極めて感情的感覚的な人間で、思想する、事からほど遠い。 理論的に言われると混乱して、「う、う、うるさいよ!」とか言って強引に終わりにしてしまう。聞きたくない。 実際、私は「信じたい事しか信じない」傾向が極めて強い人間なんだって事を、ちゃんと自覚しとかないと、といっつも思うし、一方で「それで構わない」と開き直っていたりもします。(ブラジル移民、「勝ち組」の気持ちが痛いほど理解できた。) 今回のゴー宣の感想を書いてて思ったのですが、私は、こと皇室こと天皇陛下となると、無条件に信じたい気持ちになるのです。 愛子さま天皇実現を思うだけで涙が出るし、男系固執には憤懣やるかたなくハラワタが煮えくりかえって怒りの感情を抑えられません。 「皇室を高天原にしてはならない」という言葉を、時々思い出しているのですが、いつも踏み込んで考えることができません。こんなことではいけないとわかっているのに、パタリと思考が止まってしまう。 よしりんは、皇室のことは、天皇論、天皇論平成29年、新天皇論、昭和天皇論、などスペシャル本はもとより、ゴー宣でも事あるごとに描いてくれています。 スペシャル本を出しても、10年以上前から繰り返し繰り返し描いて下さっていることを思うと、先生の情熱というか、執念というか、尊皇心というか、諸々に頭が下がって、 スペシャル本の後にゴー宣で書いた皇室の話は、愛子天皇実現の為に、今回のものと小冊子にまとめないとあまりにもったいない、小冊子にしてガンガン販売してガンガン拡散したい!と真剣に思っています。(いつまでも昭和で時代遅れですみません) 愛子さま皇太子実現の最後の戦いのために、大いに拡散したい気持ちを抑えることができません。 それにしても私は、ちょっと危険だよ、気をつけろ、と自覚しないといけない。 もしか戦中に生きてたら、大政翼賛会とか国防婦人会とかで有無を言わせずガンガンやる人だったかも、とよく思う。 火事で天皇陛下の御真影を取りに行って校長先生が亡くなった話を知れば、もしかして私は、御真影を置いたまま避難した校長がいたら、激しく糾弾するような人間かも、と思う。 実際日常生活でもよく犯人探しするし、狭量な、思想からほど遠い、直情的な人間。(自虐も) 自分が一度正しいと信じた事は、議論も思想もやめてしまい、問答無用で従う傾向が確かにある。 またかなり冗長になってしまった「にゃ」 これは自分の日記に書くことでした「なのは」 (大好きな「アウトデラックス」が打ち切りになった。私はどこへ行けばいいんだーっ!) 長文駄文、大変失礼致しました。短文にまとめる力が圧倒的に足りない。
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(ID:72002206)
昨夜のおどれら正気か、衝撃でした。
ゲリラ戦をして徹底的に戦うべきではなかったか、「思想すること」
(ここで考え出してしまって、そのあとはほとんど耳に入らなかった)
ちょうど今回ゴー宣を読んで、男系固執派について考えていた時、
終戦時、陛下のご決断に従い敗戦を受け入れるのか、断じて徹底抗戦するのか、をふと考えていました。
私は、天皇陛下が、耐え難きを耐え、忍び難きをしのび、と、国民も血の涙を飲んで敗戦を受け入れたことを、絶対視、神聖視していました。
とはいえ自分は、アメリカが本土上陸してきたら、徹底抗戦して日本人最後の1人まで戦う!
日本が滅びても戦う!と地団駄を踏むんじゃないかな、と容易に想像できました。
でも、日本を守るために敢えて敗戦を受け入れた天皇陛下に逆らって、たとえ日本と日本民族が滅んでも、最後の最後まで戦わないわけにはいかない!というのは自己満足でしかなく、本当に国を思ってのことではないんだろうな、と思ってきました。
よしりん先生の著書にもあるように、この選択は、天皇陛下がいらしてこそ可能だったし、勝者アメリカが高らかに占領成功を謳っても、天皇陛下がいたから、日本人だったから出来たことに過ぎないし、ーとはいえ見事にアメリカの植民地と化し見事に飼い慣らされた臆病な畜軍に成り果てました。
自分は極めて感情的感覚的な人間で、思想する、事からほど遠い。
理論的に言われると混乱して、「う、う、うるさいよ!」とか言って強引に終わりにしてしまう。聞きたくない。
実際、私は「信じたい事しか信じない」傾向が極めて強い人間なんだって事を、ちゃんと自覚しとかないと、といっつも思うし、一方で「それで構わない」と開き直っていたりもします。(ブラジル移民、「勝ち組」の気持ちが痛いほど理解できた。)
今回のゴー宣の感想を書いてて思ったのですが、私は、こと皇室こと天皇陛下となると、無条件に信じたい気持ちになるのです。
愛子さま天皇実現を思うだけで涙が出るし、男系固執には憤懣やるかたなくハラワタが煮えくりかえって怒りの感情を抑えられません。
「皇室を高天原にしてはならない」という言葉を、時々思い出しているのですが、いつも踏み込んで考えることができません。こんなことではいけないとわかっているのに、パタリと思考が止まってしまう。
よしりんは、皇室のことは、天皇論、天皇論平成29年、新天皇論、昭和天皇論、などスペシャル本はもとより、ゴー宣でも事あるごとに描いてくれています。
スペシャル本を出しても、10年以上前から繰り返し繰り返し描いて下さっていることを思うと、先生の情熱というか、執念というか、尊皇心というか、諸々に頭が下がって、
スペシャル本の後にゴー宣で書いた皇室の話は、愛子天皇実現の為に、今回のものと小冊子にまとめないとあまりにもったいない、小冊子にしてガンガン販売してガンガン拡散したい!と真剣に思っています。(いつまでも昭和で時代遅れですみません)
愛子さま皇太子実現の最後の戦いのために、大いに拡散したい気持ちを抑えることができません。
それにしても私は、ちょっと危険だよ、気をつけろ、と自覚しないといけない。
もしか戦中に生きてたら、大政翼賛会とか国防婦人会とかで有無を言わせずガンガンやる人だったかも、とよく思う。
火事で天皇陛下の御真影を取りに行って校長先生が亡くなった話を知れば、もしかして私は、御真影を置いたまま避難した校長がいたら、激しく糾弾するような人間かも、と思う。
実際日常生活でもよく犯人探しするし、狭量な、思想からほど遠い、直情的な人間。(自虐も)
自分が一度正しいと信じた事は、議論も思想もやめてしまい、問答無用で従う傾向が確かにある。
またかなり冗長になってしまった「にゃ」
これは自分の日記に書くことでした「なのは」
(大好きな「アウトデラックス」が打ち切りになった。私はどこへ行けばいいんだーっ!)
長文駄文、大変失礼致しました。短文にまとめる力が圧倒的に足りない。