木蘭さんの感想にはいる前に >>228 >>229 「GODドクター」、録画してみます。もっとはやく知りたかった。こういう番組はチェックしているのですが、どうも見落としが多いです。比べちゃいけないのだけれども、昨年末には「岸辺露伴」の第4話を録画し損なうし、今年の初めには、「ラブライブ!スーパースター」の再放送がやってたのに気づかなくて3話目からになってしまうし(5話目からはとってあるのだけれども)。変なのと比べてすみません円。しかし、録画ミスは本当に精神的ダメージが大きいです。 >>188 >>231 >>233 >>234 (でよいのかな。最近、コメントをよむ暇がなくてすみません) 漫画家が社会メッセージを発して、結果としてお金を獲得して何かいけないのでしょうか。それとも、ヴォランティアでやらないといけないのでしょうか。「小林よしのりはお金のために描いている。ああいう漫画は蒲団の中で密かに笑って読めばいいんだ」という意見を、以前につとめていた受験対策の会社で、アルバイトの大学生や院生からも効きましたし、それに反対意見を述べた私は、「学生運動時代に生まれていれば良かったんじゃないの」とも言われましたが、純粋に社会的な訴えをするのに資金を得る、ということはあってはいけないんですか? カルヴァンの予定説でも、救済は天によって決定されていることなのだから、生きている間に資金を得るのは人間の勤めとして当然のことだ、とかいう理屈が述べられていたと思うのですが(内容に誤読があったらすみません)。直江兼続がお金は穢しと言ったのは、伊達政宗がそれを見せびらかすようなことをしたからであって、彼だって、上杉家のために資本は必要だ、藩士を養うために大切なものだ、軍資金としても、という判断はあったはずです。 〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録「コロナ、5類しか道はありません」 タイトルがすべてを物語っています。沖縄で人工呼吸器をつけている人がゼロならば、緊急事態宣言も翻車魚、もといまん延防止法もいらないですし、大げさに騒いで「ああ、良かった、これも日ごろの行いが良かったからだ」なんてイソップの羊番みたいなことを言う必然性はないし(そもそも羊番は狼に食い殺されているし、彼の言うことを信じなかった村人も損をしているが、それは羊番の日ごろの行動によるものだろう。玉川徹が狼にやられたら、TV民たちはどのような反応をするのだろうか?)、プログラムのようなものでしかないウィルスを絶滅させる手立てなどあるわけないし(だから、自然に収まるのを待つのが一番だ、颱風に原爆を落として、地球を滅亡させるようなものだ、それだけ颱風のエネルギーは巨大すぎて、人間の力では制禦できない。自然を侮るな)、変な取り越し苦労、杞憂をして2類のままにするよりかは、5類にして楽をしよう、という考えがなぜ出て来ない、人間、運が悪けりゃ死ぬだけさ、とか思ったりします。私は本当に、このコロナ騒ぎで、カウンセラーも精神科医も信じられなくなり、全部変更したりしました。個人的なことですが、それしか言うことがないです。もっと、こういうデータを一般に伝播して欲しいのだけれども、TVがやってくれない、私設TV局を作るわけにもいかないし、インターネットでも削除されたり限界がある、だから、(繰り返しになりますが)朝日・讀賣の件は快挙だと述べさせていただきます。 すみません、今回もちょっと疲れているので(風邪は大分収まりましたが)、ここまでにさせて下さい。ただ、Q&Aの話にもどるのだけれども「科学も宗教だ」、その通りだろうと思います。それは科学が疑似科学と親密性があるのと同じで、古く「物が燃えるとフロギストンを消費され、質量が減る」という理論が一般的だったのとよく似ているような気がします。つまり、人間の知識や思考にも限度があり、分からないことだらけであるのは現代もかわらないのでは、と思うのです。それを埋めるのは「自分の考えていることは真理だ」という信仰であって、信仰がともなうものは宗教であり、日本人は無宗教だと言われますが、言霊とか縁起とか、穢れを避けるという傾向がある限り、それも信仰なのではないか、そして、生命尊重も信仰であり、誤った科学を信じるのも、正しいとする科学を絶対とするのも宗教の一種であって、ただ、より理論的なものの方が人間をましな方向に導く可能性が高い、というに過ぎないのではないか、と思います。こういうと、井上先生などの主張をも軽んじているように見えますが、人間が地球や宇宙や世界の法則を全部知悉しているのか、否、それらを網羅していたとしても、法則と呼べるほど確かなものがあるのか、というふうに疑うことも、考えることであり、その上で、歴史的な常識や通念に基づいて、論理的に行動することが大切なのではないかと思います。 以上、だらだらと述べましたが、自分も考え考え記しているので、あまり真に受けないで下さい。それと、漫画で相手をみにくく描くことがそんなに悪いことでしょうか。頭に北半球かもしれませんが、それは相手の反省やさらなる思考を促すためのものであり、諷刺であって、他者からはこういうふうに見えるのだ、というメッセージと受けとるべきだろうと思います。 以上です。それでは次号の配信を期待します(今日はSPA!やFLASHの発売日でもあります)。
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「GODドクター」、録画してみます。もっとはやく知りたかった。こういう番組はチェックしているのですが、どうも見落としが多いです。比べちゃいけないのだけれども、昨年末には「岸辺露伴」の第4話を録画し損なうし、今年の初めには、「ラブライブ!スーパースター」の再放送がやってたのに気づかなくて3話目からになってしまうし(5話目からはとってあるのだけれども)。変なのと比べてすみません円。しかし、録画ミスは本当に精神的ダメージが大きいです。
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(でよいのかな。最近、コメントをよむ暇がなくてすみません)
漫画家が社会メッセージを発して、結果としてお金を獲得して何かいけないのでしょうか。それとも、ヴォランティアでやらないといけないのでしょうか。「小林よしのりはお金のために描いている。ああいう漫画は蒲団の中で密かに笑って読めばいいんだ」という意見を、以前につとめていた受験対策の会社で、アルバイトの大学生や院生からも効きましたし、それに反対意見を述べた私は、「学生運動時代に生まれていれば良かったんじゃないの」とも言われましたが、純粋に社会的な訴えをするのに資金を得る、ということはあってはいけないんですか?
カルヴァンの予定説でも、救済は天によって決定されていることなのだから、生きている間に資金を得るのは人間の勤めとして当然のことだ、とかいう理屈が述べられていたと思うのですが(内容に誤読があったらすみません)。直江兼続がお金は穢しと言ったのは、伊達政宗がそれを見せびらかすようなことをしたからであって、彼だって、上杉家のために資本は必要だ、藩士を養うために大切なものだ、軍資金としても、という判断はあったはずです。
〇 泉美木蘭のトンデモ見聞録「コロナ、5類しか道はありません」
タイトルがすべてを物語っています。沖縄で人工呼吸器をつけている人がゼロならば、緊急事態宣言も翻車魚、もといまん延防止法もいらないですし、大げさに騒いで「ああ、良かった、これも日ごろの行いが良かったからだ」なんてイソップの羊番みたいなことを言う必然性はないし(そもそも羊番は狼に食い殺されているし、彼の言うことを信じなかった村人も損をしているが、それは羊番の日ごろの行動によるものだろう。玉川徹が狼にやられたら、TV民たちはどのような反応をするのだろうか?)、プログラムのようなものでしかないウィルスを絶滅させる手立てなどあるわけないし(だから、自然に収まるのを待つのが一番だ、颱風に原爆を落として、地球を滅亡させるようなものだ、それだけ颱風のエネルギーは巨大すぎて、人間の力では制禦できない。自然を侮るな)、変な取り越し苦労、杞憂をして2類のままにするよりかは、5類にして楽をしよう、という考えがなぜ出て来ない、人間、運が悪けりゃ死ぬだけさ、とか思ったりします。私は本当に、このコロナ騒ぎで、カウンセラーも精神科医も信じられなくなり、全部変更したりしました。個人的なことですが、それしか言うことがないです。もっと、こういうデータを一般に伝播して欲しいのだけれども、TVがやってくれない、私設TV局を作るわけにもいかないし、インターネットでも削除されたり限界がある、だから、(繰り返しになりますが)朝日・讀賣の件は快挙だと述べさせていただきます。
すみません、今回もちょっと疲れているので(風邪は大分収まりましたが)、ここまでにさせて下さい。ただ、Q&Aの話にもどるのだけれども「科学も宗教だ」、その通りだろうと思います。それは科学が疑似科学と親密性があるのと同じで、古く「物が燃えるとフロギストンを消費され、質量が減る」という理論が一般的だったのとよく似ているような気がします。つまり、人間の知識や思考にも限度があり、分からないことだらけであるのは現代もかわらないのでは、と思うのです。それを埋めるのは「自分の考えていることは真理だ」という信仰であって、信仰がともなうものは宗教であり、日本人は無宗教だと言われますが、言霊とか縁起とか、穢れを避けるという傾向がある限り、それも信仰なのではないか、そして、生命尊重も信仰であり、誤った科学を信じるのも、正しいとする科学を絶対とするのも宗教の一種であって、ただ、より理論的なものの方が人間をましな方向に導く可能性が高い、というに過ぎないのではないか、と思います。こういうと、井上先生などの主張をも軽んじているように見えますが、人間が地球や宇宙や世界の法則を全部知悉しているのか、否、それらを網羅していたとしても、法則と呼べるほど確かなものがあるのか、というふうに疑うことも、考えることであり、その上で、歴史的な常識や通念に基づいて、論理的に行動することが大切なのではないかと思います。
以上、だらだらと述べましたが、自分も考え考え記しているので、あまり真に受けないで下さい。それと、漫画で相手をみにくく描くことがそんなに悪いことでしょうか。頭に北半球かもしれませんが、それは相手の反省やさらなる思考を促すためのものであり、諷刺であって、他者からはこういうふうに見えるのだ、というメッセージと受けとるべきだろうと思います。
以上です。それでは次号の配信を期待します(今日はSPA!やFLASHの発売日でもあります)。