希蝶 のコメント

 本当にギリギリですみません。今号の感想です。

〇 ゴーマニズム宣言「忽那賢志という卑屈な医者」

 果たしてこの人を医師と呼んでいいのか、と思いました。しかし、世間一般で「医者」という人は、どれだけ企業の広告塔の役割を果たそうとも、国家権力や新聞社と結びつこうとも、むしろそれゆえに「権威があって、信頼できる」という判定を受ける。悲しくてたまらないです。本当に肝腎なのは、(実際にその人と会って話をするのが困難ならば著書などを読んだりしてでもいいから)自分の目や耳で感じ取り、その人の賢愚や真価を見抜くことではないかと私は思うのですが、それも判断する人間の能力によるのでしょうか。

 殊に、人生経験の少ない子供にとっては、親や先生のすることが「常識」であり、それに楯突くことや反対意見を述べることは「生意気だ」「先生に刃向かっている」となってしまうので、よりハードルが高いと思います。一例をあげてみますが、宮澤賢治に「やまなし」という小説があるのをご存じでしょうか?だいたいの小学生はあの意味不明な話を読まされて困惑するのではないか、と思うのですが、本当に意味の分からなかった私は、「クラムボンって何?」と親に聞きました。母親は「多分、泡のことではないの」と申しましたが、担任の先生は「あめんぼうではないか」と言っていたので、「どうしてそうなるのですが」と素直に質問しました。そうしたら、クラスメートにそういうことを言われたものです。自分は塾講師をしたこともあるのですが、およそ十何年前でも「やまなし」はスタンダードであるらしく、生徒を悩ませていたようです。
 しかし、「クラムボン」の正体を考えることが、真に自己判断し、学問することなのではありますまいか。「クラムボン」を「コロナワクチン」と言い換えてもこの理屈は通じると思います。しかし、そこまで考える父兄、母親や教師、一般の大人はいるのでしょうか。新聞に載っていればそれが間違いない、それを題材として考えれば自分で考えたことになる、と思っている人が大部分ではないのでしょうか。その意味で、先日の朝日・讀賣両新聞の広告は快挙であったと思うのですが、ブログを読んでいると、「コロナ論5」の発売は5月になってしまうらしく、何とかならぬものか、一夜城のように短期間で築城できぬものか、扶桑社頑張れ、とか思ってしまいます。絵が絡むとむづかしいのでしょうか。その点でも、漫画を低く評価する識者の不見識に呆れてしまいます。

 私も知り合いに子供とかいればいいのですが(塾講師は既に十何年前のことで、しかもその塾とは喧嘩別れ、いいがかりをつけられてやめさせられたようなものだから)、何とか伝えたいものですが、智慧が欲しいです。いづれにしれも、権力を笠に着る愚者、悪徳者をこの世から排除したいですが、やり過ぎると、意見の自由や権利の侵害にもなって、諸刃の剣にもなりかねないのだから、世の中、複雑だな、と思います。

 でもどうして国家や集団の言うことを鵜呑みにできるのでしょうか。自分の足で調べ、自分で体感し、自分の頭で判断したことの方が、より重要ではないか、と思うのですが(それによる思い込みもあるかも知れませんが)、今の日本国民が不思議でたまらないです。極論を申しますが、まさしく宇宙人のように感じられます。
 ルパン三世でも現れて、世界中のすべてのコロナワクチンを盗んで、廃棄してくれないものでしょうか。こんなところです。

No.235 34ヶ月前

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