Dr.U のコメント

<男系絶対派も女系容認派も《血の神話》を信じている>

 ウサギです。素朴な感想ですが、
 千年以上続く「王家」で、千年前の王様と、現在の王様とで、本当に科学的に、血がつながっている「王家」ってあるのでしょうか。
 ちなみに「血がつながっている」というのは、男系でも女系でもよいです。とにかく、祖父母、曾祖父母と、血のつながりをたどっていって、たとえば今上陛下は、平安時代や室町時代や江戸時代の天皇と、本当に本当に血がつながっていると、あなたは思いますか?

 本当のことを知っているのは、実際に歴代の天皇を、自らのおなかを痛めて出産した、女性たちだけです。薄暗い、宮廷の奥深くで起こったであろう、女たちだけが知っていること。

 神話的真理と科学的真理というものがあるとすれば、イザナキとイザナミが、天の沼矛で海水をかき混ぜて国土を作ったというのは、科学的真理ではなく、神話的真理に属するものです。それは科学とは違った次元で、人間精神にとって、ある重要なことを伝えようとしている。
 現在の天皇が古代の天皇の血を引いているという話も、神話的真理に属することでしょう。

 外国人に「日本の天皇って(科学的な意味で)古代の天皇の血を引いているの?」って聞かれたら、私なら、ちょっと笑って、こう問い返します。

「きみ、クリスチャンだよね? 天地は、五千数百年前に、ヤハウェによって作られたと考えてる? イエス様は、本当に生物学的な意味で父親なしで生まれてきたと思ってる?」

 そして、こう続けます。

「科学的にはそれは<否>だよね。でも、だからといって「天地創造」や「無原罪の御宿り」の物語が、価値を失うわけではない。」
「天皇の話も、同じこと。現在の天皇が古代の天皇の血を引いているという物語は、私たちの魂の深いところに、なにか響くものがあるんだよ。だから、それを一種の神話として、大切にしたいと思う。」

 天皇に関する男系と女系をめぐる論争は、本質的には、それは科学的・客観的史実の次元ではなくて、神学的・宗教的な次元での論争のはずです。

 「天皇家は何がどうあろうとも男系でなければならない」と真面目な顔で主張する人のメンタリティーは、おそらくは、マリア様の「無原罪の御宿り」を、科学的な意味でも真実だと主張するクリスチャンと、同じようなものでしょう。
 しかしさらに言えば、「男系であれ女系であれ、現在の天皇は生物学的な意味で千年前の天皇の血を引いているし、今後も引いていなければならない」と主張する人のメンタリティーも、かのクリスチャンのそれと、さほど違いはないのではないでしょうか。

 結局のところ、男系固執派も女系容認派も《血統の神話》を信仰しているという点では、同じです。女系容認派も、もし「今後の天皇は必ずしも生物学的な血のつながりがある必要はない」という項目を皇室典範に盛り込もう、なんていう主張がなされたら、強いとまどいを感じるはずです。

 そうしますと、男系固執派に対して女系容認派が投げかける言葉は、《科学的観点からの批判》ではなく、《宗教的・神話的な次元での語りかけ》という形にならざるを得ません。

「あなたは男の血筋というものが、天皇家の聖性を保つ上で最優先だと感じている。しかし、私は、女の血筋であっても、生まれたときから天皇にいちばん近いところで、日々その薫陶――霊性とか魂とかの次元での薫陶も含めて――を受けながら育った方が天皇になるのが、いちばん大切な事だと感じている。つまり、私は、血筋も大切だと思うけれど、それ以上に、環境の方が大切だと感じている。それは理屈の違いではなく、感じ方の違いだ。その感じ方の違いを、皇室存続の危機という状況において、なんとか埋めることはできないだろうか。」

 …あるいは、ためしに考えてみたりする。天皇ご夫妻と血のつながりのない子供が、ものごころつかないうちに、天皇ご夫妻に養子として引き取られ、慈しみと薫陶を受けて育ったとする。その子は、天皇となりうるだろうか。私たちは、そういう事態を受け入れられるだろうか。

 笹さんのブログを読んで、そんなことを考えました。

No.160 28ヶ月前

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