コロナ騒ぎのおかげで、私の考え方は「個人主義」であることに気づきました。 昔から、私は多数派意見に反することでも、臆することなく主張する方でした。 周りからは空気が読めない奴と思われていたでしょうね。 仲の良い友人が、ひたすら多数派になびくのを見ていて、こいつずるいなぁ、何で自分が正しいと思ったことを貫かないんだろうと、不思議に思ったりしていました。 だから、結構孤立することも多かったですね。 でも、それが個人主義的な考え方からきているとは、気づいていませんでした。 コロナ騒ぎになり、いてもたってもいられず、給付金はコロナ騒ぎを収めるために使おうと思い、コロナ論1,2を合計20冊ほど他人に配ったのですが、「本の内容はわかるけど、でもみんなが言っていることとは違うから」と、内容よりも「みんながどう思っているか」を優先する人が結構いて、何故そんな風に思うのかと、とても不思議に思っていました。 当初はその人の読解力がないだけだと思っていたのですが、その後、私よりも知的な人でも同じ傾向がみられたことから、「知識ではない何か」が優先されているのではと思いました。 そして、私は考え方が大多数の日本人とは違うのだろうと。 私の子供(幼児)を公園へ連れて行くと、砂場とかで子供同士で物の取り合いとかになったりしたときに、「仲良く遊んでね」などと、周りとの同調を、まず優先することを言う親が、結構います。 私の場合は、私の子供が他の子供と仲良くできるとは限らないので、「仲良くしてね」という言い方に違和感を持っており、別の言い方をします。 このように、幼少のころから、「みんな仲良く」「友達百人できるかな」のように、周りとの同調をひたすら求められて育つと、自分がどうするかよりも、「みんながどう思っているか」を優先させる感情が、深層心理となるのではないかと思いました。 子供の頃に受けたしつけを、大人になっても守ってやっているのと同じように。 今、社会では「多様性を認める」「個人の意見を尊重する」が叫ばれています。 にもかかわらず、コロナ騒ぎになったらそれらが吹っ飛んでしまい、「みんなの意見に従え。それ以外の意見は村八分だ」と真逆になってしまっています。 これは、「多様性」「個人の尊重」は、大半の人が、あくまで「知識」として「知った」程度でしかなく、深層心理にまで落ちていないからだと思います。 コロナ騒ぎのような極限状態(私は極限状態とは思っていませんが、世間的に、です)になると、「知識」を吹っ飛ばして、「深層心理」が全面的に現れるのではないかと思います。 そうでないと、今の、この狂った状況の説明がつかないと思います。 私は元々、「周りとの同調を優先する」というのは、私の感情の中には無いです。 もちろん、同調しないとケンカばかりになるので、そうならないようにするための「手段」として使います。 私にとって手段に過ぎないことを、極限状態になった全体主義者にとっては、最優先になるんですね。 今思うと、母親が個人主義で、私に対して、ことさらに周りとの同調を求めるようなことは言われず育ってきたので、それが大きいのだと思います。 私はできた人間でもないので、利己的な部分はもちろんあります。 ですが、身銭を切ってコロナ論を配って、何とか周りに気づいてもらおうとした行為については、利他的だと思っています。 このように、「個人主義」「全体主義」と「利己的」「利他的」の区別が、明確につけられるようになりました。 なので、少し前によしりんがブログで書いていた、「日本人は「個人主義」と「エゴイズム」の違いが分からないから、容易に「全体主義」に巻き込まれる」は、よくわかります。 よしりんは常々個人主義のことを述べていましたが、すみません、今までキチンと理解できていませんでした。 コロナ論を配り、周りの反応を見て考えることで、やっと気づくことができました。 今、過去の著作を読み返すと、より理解が深まるのではないかと思っているので、折を見て読み返そうと思っています。 私のように元々個人主義の人間でも、それに気づいていなかったぐらいですから、日本人の大多数は全体主義で、しかも自分がそうであることに気づいていない(無意識)わけですから、コロナ騒ぎを解決させるには、相当根深い問題だと思います。 このまま日本人の個の確立がされず、もし中国や北朝鮮が攻めてきて、負の全体主義が働き、厭戦気分になって、降伏してしまうことにでもなれば、目も当てられません。 私が個人主義を理解できたという、その軌跡をお伝えすることで、少しでもお役に立てればと思い、今回投稿しました。 コロナ論を配るというのは、周りからは変な人と思われるかもしれないというリスクはありましたが、個人主義の理解が深められたということは、物凄く意義があったことだと思っています。 9月の東海ゴー宣道場の際には、初めて道場に参加させてもらいました。 この時に中川淳一郎さんが、SNS発信は、無視されているようで、実は結構見られている、とのことでしたので、私も微力ながらSNS発信など、やれる範囲で世の中の改善に努めていきたいと思います。
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コロナ騒ぎのおかげで、私の考え方は「個人主義」であることに気づきました。
昔から、私は多数派意見に反することでも、臆することなく主張する方でした。
周りからは空気が読めない奴と思われていたでしょうね。
仲の良い友人が、ひたすら多数派になびくのを見ていて、こいつずるいなぁ、何で自分が正しいと思ったことを貫かないんだろうと、不思議に思ったりしていました。
だから、結構孤立することも多かったですね。
でも、それが個人主義的な考え方からきているとは、気づいていませんでした。
コロナ騒ぎになり、いてもたってもいられず、給付金はコロナ騒ぎを収めるために使おうと思い、コロナ論1,2を合計20冊ほど他人に配ったのですが、「本の内容はわかるけど、でもみんなが言っていることとは違うから」と、内容よりも「みんながどう思っているか」を優先する人が結構いて、何故そんな風に思うのかと、とても不思議に思っていました。
当初はその人の読解力がないだけだと思っていたのですが、その後、私よりも知的な人でも同じ傾向がみられたことから、「知識ではない何か」が優先されているのではと思いました。
そして、私は考え方が大多数の日本人とは違うのだろうと。
私の子供(幼児)を公園へ連れて行くと、砂場とかで子供同士で物の取り合いとかになったりしたときに、「仲良く遊んでね」などと、周りとの同調を、まず優先することを言う親が、結構います。
私の場合は、私の子供が他の子供と仲良くできるとは限らないので、「仲良くしてね」という言い方に違和感を持っており、別の言い方をします。
このように、幼少のころから、「みんな仲良く」「友達百人できるかな」のように、周りとの同調をひたすら求められて育つと、自分がどうするかよりも、「みんながどう思っているか」を優先させる感情が、深層心理となるのではないかと思いました。
子供の頃に受けたしつけを、大人になっても守ってやっているのと同じように。
今、社会では「多様性を認める」「個人の意見を尊重する」が叫ばれています。
にもかかわらず、コロナ騒ぎになったらそれらが吹っ飛んでしまい、「みんなの意見に従え。それ以外の意見は村八分だ」と真逆になってしまっています。
これは、「多様性」「個人の尊重」は、大半の人が、あくまで「知識」として「知った」程度でしかなく、深層心理にまで落ちていないからだと思います。
コロナ騒ぎのような極限状態(私は極限状態とは思っていませんが、世間的に、です)になると、「知識」を吹っ飛ばして、「深層心理」が全面的に現れるのではないかと思います。
そうでないと、今の、この狂った状況の説明がつかないと思います。
私は元々、「周りとの同調を優先する」というのは、私の感情の中には無いです。
もちろん、同調しないとケンカばかりになるので、そうならないようにするための「手段」として使います。
私にとって手段に過ぎないことを、極限状態になった全体主義者にとっては、最優先になるんですね。
今思うと、母親が個人主義で、私に対して、ことさらに周りとの同調を求めるようなことは言われず育ってきたので、それが大きいのだと思います。
私はできた人間でもないので、利己的な部分はもちろんあります。
ですが、身銭を切ってコロナ論を配って、何とか周りに気づいてもらおうとした行為については、利他的だと思っています。
このように、「個人主義」「全体主義」と「利己的」「利他的」の区別が、明確につけられるようになりました。
なので、少し前によしりんがブログで書いていた、「日本人は「個人主義」と「エゴイズム」の違いが分からないから、容易に「全体主義」に巻き込まれる」は、よくわかります。
よしりんは常々個人主義のことを述べていましたが、すみません、今までキチンと理解できていませんでした。
コロナ論を配り、周りの反応を見て考えることで、やっと気づくことができました。
今、過去の著作を読み返すと、より理解が深まるのではないかと思っているので、折を見て読み返そうと思っています。
私のように元々個人主義の人間でも、それに気づいていなかったぐらいですから、日本人の大多数は全体主義で、しかも自分がそうであることに気づいていない(無意識)わけですから、コロナ騒ぎを解決させるには、相当根深い問題だと思います。
このまま日本人の個の確立がされず、もし中国や北朝鮮が攻めてきて、負の全体主義が働き、厭戦気分になって、降伏してしまうことにでもなれば、目も当てられません。
私が個人主義を理解できたという、その軌跡をお伝えすることで、少しでもお役に立てればと思い、今回投稿しました。
コロナ論を配るというのは、周りからは変な人と思われるかもしれないというリスクはありましたが、個人主義の理解が深められたということは、物凄く意義があったことだと思っています。
9月の東海ゴー宣道場の際には、初めて道場に参加させてもらいました。
この時に中川淳一郎さんが、SNS発信は、無視されているようで、実は結構見られている、とのことでしたので、私も微力ながらSNS発信など、やれる範囲で世の中の改善に努めていきたいと思います。