道場、お疲れ様でした。 色々記したいことはありますが、よしりん先生が、この場も蛸壺のようなもので、発信力がない、とおっしゃられていたのが、悲しいことですが、当たっているな、と感じました。 10月末の「オドレら正気か」の楊井氏の立ち位置の話が出てきて、「あの場で拍手をされると、普通の人だったらそれで口を噤んでしまう」という言葉に、むべなるかな、といった感じです。確かにあの場では、井上氏の意見の方が常識であり、危険を承知で毒を与えられるかという意見の方が(通常の状態だったら)通る話なのですが、世間一般がどうも「コロナは怖い」という思い込みに凝り固まっており、そのストレス発散のような役割を、満場一致の拍手が物語っているように感じられます(自分も拍手しました)。しかし、そこで意見を引っ込めてしまったら、それこそ「オドレら正気か」の同調圧力になってしまい、それはそれで意見の封殺になってしまうわけです。楊井氏があのような情況でも、自説を語り続けた覚悟に、敬意を表します。 同じような風景が、かつての道場の、枝野氏と井上達夫氏のゲスト回でもあったのですが、今や二人ともコロナ脳になってしまったみたいで、何だか残念です。人を一つのことだけで判断してはいけないのだけれども、こういう時に勇気や強い心を見せられなくて、何のための言説か、それこそ、責任のない言説ではないか、と思います。 政治家が支持者を失うことを恐れて、政治家内の「世間」に左右されてしまう、という個所についても、「意見」とは何のために発言するものか、自分の考えは空気によって支配され、場合によっては封印しなければいけないのか、と思いました。かくいう自分も万が一、職場を馘になったら、とは思いますし、最近は(自分がコロナ茶番説、ワクチン否定説だということが周囲にひろまってしまい)、その話題も口の端に上らなくなってきていますが、「千万人と雖も吾往かむ」という言葉を忘れてはいけないのだ、たとえ孤立することがあっても、自己の意志を示さなければいけない場合もあるのでは、と思います。政治家なら、理想とする世の中があって政治の世界を志したのだろうから、それに矛盾することをしたら、生き延びたとしても、後々になって後悔するのでは、と。それで断頭台に立つのだとしても、それは運が悪かった、項羽ではないけれども、天が我を滅ぼすのだ、というだけではありますまいか。 私が足利義教を尊敬するのは、彼には神がかったところもあったし、日親という日蓮宗の僧侶を弾圧したり、世阿弥を迫害したりもしているのだけれども、自己の信念を最後まで押し通そうとしたから、というところにあるのです。確かに独善的で、やり過ぎなところもあったので、暗殺されたわけですが、今、政治家に求められることは、情緒的なものに惑わされずに正しいデータと科学的、論理的な思考により、どれだけ「大衆」からの反撥を食らったとしても、政治家生命を失ったとしても、果断なことを実行することではないか、と思うのですが、言い過ぎでしょうか。 「危険な夢と言われてもスリルのためにすべてを俺は賭けてもいい」と「ルパン三世」の主題歌「セクシー・アドベンチャー」で歌っていますが、夢や情熱がなくて何の一生か、いのちを賭ける位のことをしないと、政治家はただの保身屋でしかないような気がします。とは言え、政治家は何だかんだ言って、政治屋に堕してゆく宿命にもあるのでしょうか。生き延びないと、自分の理想ができないと、自己防衛に走ってしまいがちなのでしょうか。律令社会や武家社会の政治家や官僚は、それこそ謀反の罪を着せられたりして殺されたり、自殺に追い込まれたりしているわけだけれども、政治界においてはそういう世界の方がよかったのでは、と半分思います。 そのほか、秋篠宮様の話も印象に残りました。「国民」と「大衆」の違い、後者は無国籍感がある、そう思います(オルテガの本やハンナ・アレントの本も持っていますが、前者はまだ未読、後者はスプートニクのところで止まっています。<(_ _)>)。 以上、だらだらと百済ない、新羅なことを記しましたが、高森先生が著書寄贈のことで評価された話を聞いた時は、自分も(確かにこのコメント欄の周囲に影響された面もありましたが)やってみて良かった、と思いました。ただお礼状はまだやっていないのですよね。年末は忙しいし、個人的な話ばかりですが、今年は父の年賀状の代筆をもしないといけないので、なかなか難しいな、と思います。頑張ってみますが。今度こそ英検とかも受かりたいので、勉強もしたいし。 >>233 チコリさん 私も半分寝ながら見ていました。新庄のカウンタックの話での恋愛論で開いた口が塞がらなくもなりましたし。 しかし、あの番組や、(道場内でも倉持さんが話題にしていましたが)ひろゆきのようなわけ知り顔の評論家もどきの言説が「常識」となっているこの現状、どうすれば良いのでしょうかね。そんなに伝染病が恐ろしいのか、「俺たちは天使だ」というドラマもあったのですが、「運が悪けりゃ死ぬだけさ」じゃないのでしょうか(勿論、「ワクチンの星」は殺人です)。「ひろゆき」が若者の支持を受けているという現状、自分だけが助かればいい、という意見、世の中はまさしく下剋上、戦国時代になっているのかも知れないですね(大袈裟か)。 グローバルダイニングの判決、何とかこちらに有利なものでありますように。そして、流れを変え、子供のマスク着脱の是非で決壞が起こりますように。
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道場、お疲れ様でした。
色々記したいことはありますが、よしりん先生が、この場も蛸壺のようなもので、発信力がない、とおっしゃられていたのが、悲しいことですが、当たっているな、と感じました。
10月末の「オドレら正気か」の楊井氏の立ち位置の話が出てきて、「あの場で拍手をされると、普通の人だったらそれで口を噤んでしまう」という言葉に、むべなるかな、といった感じです。確かにあの場では、井上氏の意見の方が常識であり、危険を承知で毒を与えられるかという意見の方が(通常の状態だったら)通る話なのですが、世間一般がどうも「コロナは怖い」という思い込みに凝り固まっており、そのストレス発散のような役割を、満場一致の拍手が物語っているように感じられます(自分も拍手しました)。しかし、そこで意見を引っ込めてしまったら、それこそ「オドレら正気か」の同調圧力になってしまい、それはそれで意見の封殺になってしまうわけです。楊井氏があのような情況でも、自説を語り続けた覚悟に、敬意を表します。
同じような風景が、かつての道場の、枝野氏と井上達夫氏のゲスト回でもあったのですが、今や二人ともコロナ脳になってしまったみたいで、何だか残念です。人を一つのことだけで判断してはいけないのだけれども、こういう時に勇気や強い心を見せられなくて、何のための言説か、それこそ、責任のない言説ではないか、と思います。
政治家が支持者を失うことを恐れて、政治家内の「世間」に左右されてしまう、という個所についても、「意見」とは何のために発言するものか、自分の考えは空気によって支配され、場合によっては封印しなければいけないのか、と思いました。かくいう自分も万が一、職場を馘になったら、とは思いますし、最近は(自分がコロナ茶番説、ワクチン否定説だということが周囲にひろまってしまい)、その話題も口の端に上らなくなってきていますが、「千万人と雖も吾往かむ」という言葉を忘れてはいけないのだ、たとえ孤立することがあっても、自己の意志を示さなければいけない場合もあるのでは、と思います。政治家なら、理想とする世の中があって政治の世界を志したのだろうから、それに矛盾することをしたら、生き延びたとしても、後々になって後悔するのでは、と。それで断頭台に立つのだとしても、それは運が悪かった、項羽ではないけれども、天が我を滅ぼすのだ、というだけではありますまいか。
私が足利義教を尊敬するのは、彼には神がかったところもあったし、日親という日蓮宗の僧侶を弾圧したり、世阿弥を迫害したりもしているのだけれども、自己の信念を最後まで押し通そうとしたから、というところにあるのです。確かに独善的で、やり過ぎなところもあったので、暗殺されたわけですが、今、政治家に求められることは、情緒的なものに惑わされずに正しいデータと科学的、論理的な思考により、どれだけ「大衆」からの反撥を食らったとしても、政治家生命を失ったとしても、果断なことを実行することではないか、と思うのですが、言い過ぎでしょうか。
「危険な夢と言われてもスリルのためにすべてを俺は賭けてもいい」と「ルパン三世」の主題歌「セクシー・アドベンチャー」で歌っていますが、夢や情熱がなくて何の一生か、いのちを賭ける位のことをしないと、政治家はただの保身屋でしかないような気がします。とは言え、政治家は何だかんだ言って、政治屋に堕してゆく宿命にもあるのでしょうか。生き延びないと、自分の理想ができないと、自己防衛に走ってしまいがちなのでしょうか。律令社会や武家社会の政治家や官僚は、それこそ謀反の罪を着せられたりして殺されたり、自殺に追い込まれたりしているわけだけれども、政治界においてはそういう世界の方がよかったのでは、と半分思います。
そのほか、秋篠宮様の話も印象に残りました。「国民」と「大衆」の違い、後者は無国籍感がある、そう思います(オルテガの本やハンナ・アレントの本も持っていますが、前者はまだ未読、後者はスプートニクのところで止まっています。<(_ _)>)。
以上、だらだらと百済ない、新羅なことを記しましたが、高森先生が著書寄贈のことで評価された話を聞いた時は、自分も(確かにこのコメント欄の周囲に影響された面もありましたが)やってみて良かった、と思いました。ただお礼状はまだやっていないのですよね。年末は忙しいし、個人的な話ばかりですが、今年は父の年賀状の代筆をもしないといけないので、なかなか難しいな、と思います。頑張ってみますが。今度こそ英検とかも受かりたいので、勉強もしたいし。
>>233
チコリさん
私も半分寝ながら見ていました。新庄のカウンタックの話での恋愛論で開いた口が塞がらなくもなりましたし。
しかし、あの番組や、(道場内でも倉持さんが話題にしていましたが)ひろゆきのようなわけ知り顔の評論家もどきの言説が「常識」となっているこの現状、どうすれば良いのでしょうかね。そんなに伝染病が恐ろしいのか、「俺たちは天使だ」というドラマもあったのですが、「運が悪けりゃ死ぬだけさ」じゃないのでしょうか(勿論、「ワクチンの星」は殺人です)。「ひろゆき」が若者の支持を受けているという現状、自分だけが助かればいい、という意見、世の中はまさしく下剋上、戦国時代になっているのかも知れないですね(大袈裟か)。
グローバルダイニングの判決、何とかこちらに有利なものでありますように。そして、流れを変え、子供のマスク着脱の是非で決壞が起こりますように。