先の書き込みですが、少しミスがあったので、投稿し直しました。自分の考えている国家予算って、せせこましいものだったのですね。しかし、106兆円もあって、私たちの暮らしがよくならないのはなぜなんでしょうかね。税収53%のうち、三分の一が消費税だとしても。国債40%というのも、影響しているのでしょうか? やはり関心のないことはスルーしてしまう傾向があり、ちゃんと調べてみなければいけないな、と己を反省しました。こういう情報はインターネットで「削除」されるわけではないので(笑)。 >>125 私信になってしまいますが、私も短いながらも「杯」、好きな作品です。昔、読書感想文を書くために、「山椒大夫・高瀬舟」の文庫本を読んだのですが、(「妄想」とか暗い作品もあったけれども)冒頭にあの作があったのは興味深かったです。どれだけ言葉が通じなくても、くすんだ色で、周囲から親切に自分のものを貸そうと言われても、自分自身の杯で飲む、第8の娘の精神を忘れてはいけない、見習ふべし、と思いました。 「最後の一句」なども名作だと思います。実は似たような話が奈良時代にあって、漆を盗んで転売しようとした父親のかわりに、三人の息子が「父を許すかわりに、自分たちの身分を奴隷に落としてくれ」と元明天皇に訴え、天皇はこれを認め、その後、息子たちの身分を元通りにした、という話があります。ただ、こちらの娘の一言、「お上の事には間違はございますまいから」の場合には確実にお上への抗議の意味も含まれており、果たして政府が民衆・国民のために必ずしも正しいことをしているのか、という意味合いもあるのではないか、と思います。何だか厚生労働省や分科会あたりの話と重なってきそうですが。 高瀬舟は安楽死の話よりも、牢屋で生活の不自由が解消された、というくだりが切なかったです。しかし、そこまで暮らしが追い詰められねばならぬ事態が既に異常なのではないか、まさしくコロナ騒動の生活苦と重なるような感じがします。あれは寛政の改革を背景に描かれているそうですが、政治家は理想論だけを掲げずに現実を見なければならない、それこそ、今号の「いるいる詐欺」の話と同じではないか、と思いました。 >>126 これも私信になりますが、実は「浮雲」も読んだことがあります。あの話の主人公には(あとあとになってからですが)同情しました。個人的な話ですが、私も就職活動に苦労した方で、職場でも人間関係であれこれトラブルがあって、やめさせられたり、やめるように仕向けられたり、と言った社会人生活を送ってきました。 ただ、「浮雲」も読んでみると、主人公の失職したことを言い出せない煩悶よりも、ヒロインの女性としての成長が描かれており、その点が印象深かったような気がします。未完作らしいのですが、あんまりそんな感じはしなかったです。二葉亭は「其面影」・「平凡」も面白かったです。文章も読みやすく、主題もしっかりしているので、読んで損はないと思います。二葉亭四迷という作家ももっと長生きして欲しかったです。そうすれば、もっと名作が生まれていたかも知れないし、日本人の琴線に響くようなものを残してくれたのではないか、もっとましな現代人が生まれていたのではないか、とも思うので。 Q&Aについてもう少し。 今回も漫画の話など、いろいろ述べましたが、こういう話も話題発展に繋がらないかと思い、記しています。しかし、今回の質問はちょっとまずかったのかな、と反省しています。思いつきで質問を書いてはいけない。自重します。 私は漫画も読者にある種の「テーマ」を示し、「夢」を与え、世の中の「真実」を映してくれるものではないか、と思っているので、政治・社会のみならず文学や歴史のことと同様に重要視しています。しかし、それは作品の出来不出来であって、作者の事情どうこうはあまり関係なかったのかも知れないです。これは小説などでも同じで、出来の悪いものは淘汰され、良いものだけが後世に残る、そういうものではないか、と思うのです。 そうであってくれれば良いのですが。 今さら当たり前のようなことを述べていますが、今号の質問で、電子化と紙の本の違いを述べられているものがあったので、つけ加えてみました。私は断片的にでも書籍が残されてゆくのは大切なことだと思いますが、それでも全体が残っていたらどんなものだったのだろう、例えば、散逸したギリシャ悲劇とか「サテュリコン」の現存しない箇所、日本の物語だったら「夜の寝覚」の中間と結末、「浜松中納言物語」の冒頭部分、歴史書だったら平安初期を扱った「日本後紀」の失われた四分の三(三十巻分)の写本でも見つかればいいな、と思うことはあるわけで、それが「火や水に弱い」、戦乱などの火災で焼失してしまう紙の短所なのかな、というふうにも思います。「日本後紀」は引用された他の書籍でかなりの部分が復元されてもいるのですが、それでも原本を読んでみたいという欲求はあります。 電子化する場合は、そういう災厄を気にしなくてもすむわけですが、バックアップをとっておかないと、YouTubeみたいな不当な検閲を受ける場合もあるわけで、果たして良いものだけが残される世の中は存在するのか、そのことを危懼いたします。一番理想的なのは、良いものも悪いものも残されて、その価値判断を私たちが後の世になってもできること、なのかな。何をもって良いのか悪いのか、という問題も含めて。 以上、つまらぬことをだらだらとすみませんでした。私はどんな時も、どんなつまらないと思われるものにおいても「学問」したいです。
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先の書き込みですが、少しミスがあったので、投稿し直しました。自分の考えている国家予算って、せせこましいものだったのですね。しかし、106兆円もあって、私たちの暮らしがよくならないのはなぜなんでしょうかね。税収53%のうち、三分の一が消費税だとしても。国債40%というのも、影響しているのでしょうか?
やはり関心のないことはスルーしてしまう傾向があり、ちゃんと調べてみなければいけないな、と己を反省しました。こういう情報はインターネットで「削除」されるわけではないので(笑)。
>>125
私信になってしまいますが、私も短いながらも「杯」、好きな作品です。昔、読書感想文を書くために、「山椒大夫・高瀬舟」の文庫本を読んだのですが、(「妄想」とか暗い作品もあったけれども)冒頭にあの作があったのは興味深かったです。どれだけ言葉が通じなくても、くすんだ色で、周囲から親切に自分のものを貸そうと言われても、自分自身の杯で飲む、第8の娘の精神を忘れてはいけない、見習ふべし、と思いました。
「最後の一句」なども名作だと思います。実は似たような話が奈良時代にあって、漆を盗んで転売しようとした父親のかわりに、三人の息子が「父を許すかわりに、自分たちの身分を奴隷に落としてくれ」と元明天皇に訴え、天皇はこれを認め、その後、息子たちの身分を元通りにした、という話があります。ただ、こちらの娘の一言、「お上の事には間違はございますまいから」の場合には確実にお上への抗議の意味も含まれており、果たして政府が民衆・国民のために必ずしも正しいことをしているのか、という意味合いもあるのではないか、と思います。何だか厚生労働省や分科会あたりの話と重なってきそうですが。
高瀬舟は安楽死の話よりも、牢屋で生活の不自由が解消された、というくだりが切なかったです。しかし、そこまで暮らしが追い詰められねばならぬ事態が既に異常なのではないか、まさしくコロナ騒動の生活苦と重なるような感じがします。あれは寛政の改革を背景に描かれているそうですが、政治家は理想論だけを掲げずに現実を見なければならない、それこそ、今号の「いるいる詐欺」の話と同じではないか、と思いました。
>>126
これも私信になりますが、実は「浮雲」も読んだことがあります。あの話の主人公には(あとあとになってからですが)同情しました。個人的な話ですが、私も就職活動に苦労した方で、職場でも人間関係であれこれトラブルがあって、やめさせられたり、やめるように仕向けられたり、と言った社会人生活を送ってきました。
ただ、「浮雲」も読んでみると、主人公の失職したことを言い出せない煩悶よりも、ヒロインの女性としての成長が描かれており、その点が印象深かったような気がします。未完作らしいのですが、あんまりそんな感じはしなかったです。二葉亭は「其面影」・「平凡」も面白かったです。文章も読みやすく、主題もしっかりしているので、読んで損はないと思います。二葉亭四迷という作家ももっと長生きして欲しかったです。そうすれば、もっと名作が生まれていたかも知れないし、日本人の琴線に響くようなものを残してくれたのではないか、もっとましな現代人が生まれていたのではないか、とも思うので。
Q&Aについてもう少し。
今回も漫画の話など、いろいろ述べましたが、こういう話も話題発展に繋がらないかと思い、記しています。しかし、今回の質問はちょっとまずかったのかな、と反省しています。思いつきで質問を書いてはいけない。自重します。
私は漫画も読者にある種の「テーマ」を示し、「夢」を与え、世の中の「真実」を映してくれるものではないか、と思っているので、政治・社会のみならず文学や歴史のことと同様に重要視しています。しかし、それは作品の出来不出来であって、作者の事情どうこうはあまり関係なかったのかも知れないです。これは小説などでも同じで、出来の悪いものは淘汰され、良いものだけが後世に残る、そういうものではないか、と思うのです。
そうであってくれれば良いのですが。
今さら当たり前のようなことを述べていますが、今号の質問で、電子化と紙の本の違いを述べられているものがあったので、つけ加えてみました。私は断片的にでも書籍が残されてゆくのは大切なことだと思いますが、それでも全体が残っていたらどんなものだったのだろう、例えば、散逸したギリシャ悲劇とか「サテュリコン」の現存しない箇所、日本の物語だったら「夜の寝覚」の中間と結末、「浜松中納言物語」の冒頭部分、歴史書だったら平安初期を扱った「日本後紀」の失われた四分の三(三十巻分)の写本でも見つかればいいな、と思うことはあるわけで、それが「火や水に弱い」、戦乱などの火災で焼失してしまう紙の短所なのかな、というふうにも思います。「日本後紀」は引用された他の書籍でかなりの部分が復元されてもいるのですが、それでも原本を読んでみたいという欲求はあります。
電子化する場合は、そういう災厄を気にしなくてもすむわけですが、バックアップをとっておかないと、YouTubeみたいな不当な検閲を受ける場合もあるわけで、果たして良いものだけが残される世の中は存在するのか、そのことを危懼いたします。一番理想的なのは、良いものも悪いものも残されて、その価値判断を私たちが後の世になってもできること、なのかな。何をもって良いのか悪いのか、という問題も含めて。
以上、つまらぬことをだらだらとすみませんでした。私はどんな時も、どんなつまらないと思われるものにおいても「学問」したいです。