今回も随分遅くなりましたが、感想です。 〇 ゴーマニズム宣言・第443回「いるいる詐欺を殲滅せよ」 私も「愛子様サイト」に称徳天皇のことを投稿したら、いきなり男系派にツイッターで絡まれて嫌な思いをしたことがあり、日本語の読解力を無視されたリツイートをされたこともあるので、(比べてはいけないのかもしれませんが)身につまされる思いをしたことがあります。歴史的なことも言えますし、母系社会だという話もよく分かりますが、敢えてそういう話を封印して、身の廻りを振り返ってみればいいのでは、と思います。詳しくは述べませんが、私の家もそうですから。 世の中には、男の子が生まれないで、女の子ばかり生まれる家庭も少なからず存在するのではないのでしょうか?それだけです。恐らく男系派の考えているのは徳川御三家や御三卿のようなものを4つばかり作ればいい、とでも思っておられるのでしょうが、じゃあ、その御三家のうち、尾張家や、御三卿の清水家が結果として養子相続になり、初代の血など断絶しているという話は検知していないか、あるいは度外視しているのかな、と思います(結局歴史の話になってしまった)。その御三家だって、家康のかなり後になってからの子孫だったような気もします。 私の知ってる話で、水戸家の初代の頼房が、天下を取れるのだったら江戸城から飛び降りても良い、一度でも天下を取ったという歴史が残るからと言ったそうですが、それは権力と権威がセットの時代にこそ言える話で、そういう家に嫁入りする女性は子孫を残さねばならぬと苦労を強いられるだろうし、男性側にしても同様だろうと思います。旧宮家復活とか一家養子とかいう話がいかに非現実的であるか、申し上げるまでもないような感じです。 しかし、それでもこうのとりが男子を運んでくるのではないか、とか試験管ベビーとかクローンとか考える人もいるのでしょう。生命の倫理とか神秘とかそういうものが軽視されているようで、非常に嫌な感じです。 私の知っている漫画にも、日本舞踊りの家で(この場合は)女子継承で、本家に男子しか生まれなかったので、政略結婚で踊りのうまい女子と結婚させられたけれども、男は外に愛人をつくり、そちらにも女の子がいたので、事故死した後後継者争いになった、というのがあります。しかし、本家の女の子が病弱で死んでしまい、結果、その弟を性転換させた、なんて話もあります。これはフィクションだけれども、男系派はこういうことを考えるんじゃないのでしょうか。物事を設計図通りにしようとか、教義の例外は認めないとか考えると、そんな結論になるんじゃないのでしょうか? とにかく無理なものは無理、ウィルスを根絶させるのも不可能であるのと同様だ、だったら、(この場合でも覚束ないのだけれども)内親王家、女性宮家を創設し、(あまりいい言い方ではないですが)血統を維持するのが良いのではないか、という結論にしかならないと思います。 松田学さんとの放送も一通り視聴しましたが、松田さんは普通によしりん先生の意見に耳を傾けて下さり、非常に良い放送だったと感じられました。コメント欄が荒れたということですが、それこそ「忠言は耳に逆らふ」という格言をこそ思い返してほしいと思いました。 一言、奇蹟は起きる時と起きない時があり、男女の生まれる確率は恐らく同等か、さもなければ女性の方が上まわっているのだろう。世の中は何が起こるか分からない。ピンチの時を想定して(それこそ孝謙・称徳天皇の時を思い浮かべて)考えるべきだ。新型コロナで聖武朝の天然痘の話などを思い返すように。その場合は、二年間で収まった筈だ、太政官も生ものを食うな、とか全国の国衙に文書を送るなど、適切な対策をして、過剰な反応はしなかった筈だ(東大寺の大仏は造営したかもしれないけれども)、というふうに。 このテーマでは、毎回同じようなことしか記してないような気もしますが、こんな感じです。 〇 特別寄稿・笹幸恵「〈週刊新潮・文春比較〉眞子さんの「結婚騒動」が明らかにしたものとは何か?」 この中に呉智英さんの名前があったのは少し意外でした。でも、こんな程度なのでしょうか、いわゆる知識人のコメントは。周囲で何かしら問題になっていると、「多分そうなのだろう」という俗情につられて、自分も悪口を述べてしまう。関心がないから、自分で調べようともしない。せめてそういう場合は中立を保ち、ノーコメント、無言を保つのがエチケットではないか、と思うのですが。 正直言って、小室さんの学問の邪魔をしてるのはマスコミとか、識者の側ではないかと思いました。離婚しないための子作り指導って、何なのでしょうか?嫁姑問題は、むしろ旦那さんがなくなってからの話のような気がします。「髪結いの亭主」という表現も侮蔑的なものです。所詮は他人の結婚であり、恋バナであり、そんなのに首を突っ込むのは野次馬か出歯亀でしょう。 私の知っている人にも恋愛問題で苦しんでいる人がいますが、それは親との葛藤であり、こんな大衆の好奇の目にさらされているようなものではありません。それだって、大変だろうと思いますが、第三者があれこれ言える立場にはないと思うので、関わらないようにしています(ほかに相談に乗るかたがたもいますし)。恋愛や結婚は個人の自由。それだけです。 これだけですませようかと思いましたが、「笑う大天使」という漫画のことも思い出しました。史緒というヒロインの母親は貴賤結婚をしたけれども、嫁姑問題が起こり、夫が事故死したため、兄の一臣を置いて、実家を出て行くことになり、その後、娘の史緒を産み落としました。まさか、こういう事態が眞子様と小室家との間で起こるとでも思っているのでしょうか。よけいなことを記しましたが、それだって、「不幸になる自由」ではないか、と思います。 ちょっと長くなったので、ここで一区切りします。続きはまた改めて。
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今回も随分遅くなりましたが、感想です。
〇 ゴーマニズム宣言・第443回「いるいる詐欺を殲滅せよ」
私も「愛子様サイト」に称徳天皇のことを投稿したら、いきなり男系派にツイッターで絡まれて嫌な思いをしたことがあり、日本語の読解力を無視されたリツイートをされたこともあるので、(比べてはいけないのかもしれませんが)身につまされる思いをしたことがあります。歴史的なことも言えますし、母系社会だという話もよく分かりますが、敢えてそういう話を封印して、身の廻りを振り返ってみればいいのでは、と思います。詳しくは述べませんが、私の家もそうですから。
世の中には、男の子が生まれないで、女の子ばかり生まれる家庭も少なからず存在するのではないのでしょうか?それだけです。恐らく男系派の考えているのは徳川御三家や御三卿のようなものを4つばかり作ればいい、とでも思っておられるのでしょうが、じゃあ、その御三家のうち、尾張家や、御三卿の清水家が結果として養子相続になり、初代の血など断絶しているという話は検知していないか、あるいは度外視しているのかな、と思います(結局歴史の話になってしまった)。その御三家だって、家康のかなり後になってからの子孫だったような気もします。
私の知ってる話で、水戸家の初代の頼房が、天下を取れるのだったら江戸城から飛び降りても良い、一度でも天下を取ったという歴史が残るからと言ったそうですが、それは権力と権威がセットの時代にこそ言える話で、そういう家に嫁入りする女性は子孫を残さねばならぬと苦労を強いられるだろうし、男性側にしても同様だろうと思います。旧宮家復活とか一家養子とかいう話がいかに非現実的であるか、申し上げるまでもないような感じです。
しかし、それでもこうのとりが男子を運んでくるのではないか、とか試験管ベビーとかクローンとか考える人もいるのでしょう。生命の倫理とか神秘とかそういうものが軽視されているようで、非常に嫌な感じです。
私の知っている漫画にも、日本舞踊りの家で(この場合は)女子継承で、本家に男子しか生まれなかったので、政略結婚で踊りのうまい女子と結婚させられたけれども、男は外に愛人をつくり、そちらにも女の子がいたので、事故死した後後継者争いになった、というのがあります。しかし、本家の女の子が病弱で死んでしまい、結果、その弟を性転換させた、なんて話もあります。これはフィクションだけれども、男系派はこういうことを考えるんじゃないのでしょうか。物事を設計図通りにしようとか、教義の例外は認めないとか考えると、そんな結論になるんじゃないのでしょうか?
とにかく無理なものは無理、ウィルスを根絶させるのも不可能であるのと同様だ、だったら、(この場合でも覚束ないのだけれども)内親王家、女性宮家を創設し、(あまりいい言い方ではないですが)血統を維持するのが良いのではないか、という結論にしかならないと思います。
松田学さんとの放送も一通り視聴しましたが、松田さんは普通によしりん先生の意見に耳を傾けて下さり、非常に良い放送だったと感じられました。コメント欄が荒れたということですが、それこそ「忠言は耳に逆らふ」という格言をこそ思い返してほしいと思いました。
一言、奇蹟は起きる時と起きない時があり、男女の生まれる確率は恐らく同等か、さもなければ女性の方が上まわっているのだろう。世の中は何が起こるか分からない。ピンチの時を想定して(それこそ孝謙・称徳天皇の時を思い浮かべて)考えるべきだ。新型コロナで聖武朝の天然痘の話などを思い返すように。その場合は、二年間で収まった筈だ、太政官も生ものを食うな、とか全国の国衙に文書を送るなど、適切な対策をして、過剰な反応はしなかった筈だ(東大寺の大仏は造営したかもしれないけれども)、というふうに。
このテーマでは、毎回同じようなことしか記してないような気もしますが、こんな感じです。
〇 特別寄稿・笹幸恵「〈週刊新潮・文春比較〉眞子さんの「結婚騒動」が明らかにしたものとは何か?」
この中に呉智英さんの名前があったのは少し意外でした。でも、こんな程度なのでしょうか、いわゆる知識人のコメントは。周囲で何かしら問題になっていると、「多分そうなのだろう」という俗情につられて、自分も悪口を述べてしまう。関心がないから、自分で調べようともしない。せめてそういう場合は中立を保ち、ノーコメント、無言を保つのがエチケットではないか、と思うのですが。
正直言って、小室さんの学問の邪魔をしてるのはマスコミとか、識者の側ではないかと思いました。離婚しないための子作り指導って、何なのでしょうか?嫁姑問題は、むしろ旦那さんがなくなってからの話のような気がします。「髪結いの亭主」という表現も侮蔑的なものです。所詮は他人の結婚であり、恋バナであり、そんなのに首を突っ込むのは野次馬か出歯亀でしょう。
私の知っている人にも恋愛問題で苦しんでいる人がいますが、それは親との葛藤であり、こんな大衆の好奇の目にさらされているようなものではありません。それだって、大変だろうと思いますが、第三者があれこれ言える立場にはないと思うので、関わらないようにしています(ほかに相談に乗るかたがたもいますし)。恋愛や結婚は個人の自由。それだけです。
これだけですませようかと思いましたが、「笑う大天使」という漫画のことも思い出しました。史緒というヒロインの母親は貴賤結婚をしたけれども、嫁姑問題が起こり、夫が事故死したため、兄の一臣を置いて、実家を出て行くことになり、その後、娘の史緒を産み落としました。まさか、こういう事態が眞子様と小室家との間で起こるとでも思っているのでしょうか。よけいなことを記しましたが、それだって、「不幸になる自由」ではないか、と思います。
ちょっと長くなったので、ここで一区切りします。続きはまた改めて。