今号の感想です。今回はとりわけ遅くなってしまいましたが、いろいろ考えてしまうところがありました。 〇 ゴーマニズム宣言・第439回「反論権のない皇族への壮絶な誹謗中傷」 好意的に見れば、眞子様・小室圭さんの件でバッシングをしている人たちは「赤ずきん」の話を思い出しているのかも知れないです。つまり、ベッドの中の狼には気をつけろ、男を見る目は養いなさい、高貴な身分なのだから、軽はずみなことをしてはならない、これは「愛の鞭」であり、「良薬は口に苦し、忠言は耳に逆らふ」なんだ、と。しかし、これは既に成人している女性を過小評価した言い分でもありますよね。 かく言う私も、「ライオンの親は我が子を谷底に突き落として鍛えて育てる」という考え方にどこか毒されている部分があり、人のことを非難したり、笑ったりすることはできない、と思っています。何か試練がないと人は成長できない、それは真実でもあるのだけれども、程度の問題もあるでしょうし、「愛情に似ているものは愛情ではない」という真理を理解しなければいけないと思います。そういう意見には「自分がそういう立場に立たされたらどう感じるか」という視点がないですし、あったとしても「自分もそういうふうにして育って来たんだ」といういいわけが通用してるのかも知れないです。 「成人する」ということは「自分の判断力を獲得した」ということでもあるのでしょうし、何があったとしても、それは本人の責任であり、かりにそのことに無知であったとしても、そのようでなければならない。安倍昭恵などのように「分からなかった」では済まされないんだ。そんなことを思いました。 いずれにしても、眞子様は30歳になった立派な成人女性であり、また立場上個人的な意見を口にするのをはばかられねばならないのだから、そのことも想像しないといけないのだとも思いました。配偶者になる小室圭さんについても。むしろ(こういう考え方は古いかも知れないけれども)夫が妻を守らねばならぬのだから、よりストイックで自分を律しなければならないのでしょう。勉学のために三年間離れてもいるのだから、その点でも自己に試練を課していると言えるのではありますまいか。 私が好きなギリシャ神話に「エロスとプシュケ」という話があります。詳しい話を記すと長くなるので簡単に言うと、愛の試練の話です。とある事情で夫(エロス、キューピッド)と結ばれた絶世の美女である妻プシュケは夫の姿を見てはならぬといういいつけを、夫への愛が深まるにつれて夫への疑念が生じ、あるいは恵まれた妹の生活を羨ましく思った姉たちに夫は怪物に違いないと唆されて破り、絶世の美男子である夫の姿を垣間見、結果、言いつけを破ったという夫の怒りを買い、夫の愛を取りもどすための試練を経験し、最後の最後でエロスの助けがあって、やっと試練をクリアする、という物語です。 バッシングが試練だったとは私は申しません。3年間の別離の方です。法律家として自分を磨くため、勉学に励んだ小室圭は男の中の男であり、それを見守り続けた眞子内親王殿下とともに愛の試練を乗り越えたのではないのでしょうか。それを母親がどうのこうの、お金がどうのこうのとゴシップをかき立て、足を引っ張るやからの方こそ、プシュケの姉たちのような存在だと言えるのではありますまいか。 本日、秋篠宮様にお別れの挨拶をしたということだそうですが、とにもかくにもお幸せに、末永く幸せに暮らして下さい、と申し述べておきます。
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今号の感想です。今回はとりわけ遅くなってしまいましたが、いろいろ考えてしまうところがありました。
〇 ゴーマニズム宣言・第439回「反論権のない皇族への壮絶な誹謗中傷」
好意的に見れば、眞子様・小室圭さんの件でバッシングをしている人たちは「赤ずきん」の話を思い出しているのかも知れないです。つまり、ベッドの中の狼には気をつけろ、男を見る目は養いなさい、高貴な身分なのだから、軽はずみなことをしてはならない、これは「愛の鞭」であり、「良薬は口に苦し、忠言は耳に逆らふ」なんだ、と。しかし、これは既に成人している女性を過小評価した言い分でもありますよね。
かく言う私も、「ライオンの親は我が子を谷底に突き落として鍛えて育てる」という考え方にどこか毒されている部分があり、人のことを非難したり、笑ったりすることはできない、と思っています。何か試練がないと人は成長できない、それは真実でもあるのだけれども、程度の問題もあるでしょうし、「愛情に似ているものは愛情ではない」という真理を理解しなければいけないと思います。そういう意見には「自分がそういう立場に立たされたらどう感じるか」という視点がないですし、あったとしても「自分もそういうふうにして育って来たんだ」といういいわけが通用してるのかも知れないです。
「成人する」ということは「自分の判断力を獲得した」ということでもあるのでしょうし、何があったとしても、それは本人の責任であり、かりにそのことに無知であったとしても、そのようでなければならない。安倍昭恵などのように「分からなかった」では済まされないんだ。そんなことを思いました。
いずれにしても、眞子様は30歳になった立派な成人女性であり、また立場上個人的な意見を口にするのをはばかられねばならないのだから、そのことも想像しないといけないのだとも思いました。配偶者になる小室圭さんについても。むしろ(こういう考え方は古いかも知れないけれども)夫が妻を守らねばならぬのだから、よりストイックで自分を律しなければならないのでしょう。勉学のために三年間離れてもいるのだから、その点でも自己に試練を課していると言えるのではありますまいか。
私が好きなギリシャ神話に「エロスとプシュケ」という話があります。詳しい話を記すと長くなるので簡単に言うと、愛の試練の話です。とある事情で夫(エロス、キューピッド)と結ばれた絶世の美女である妻プシュケは夫の姿を見てはならぬといういいつけを、夫への愛が深まるにつれて夫への疑念が生じ、あるいは恵まれた妹の生活を羨ましく思った姉たちに夫は怪物に違いないと唆されて破り、絶世の美男子である夫の姿を垣間見、結果、言いつけを破ったという夫の怒りを買い、夫の愛を取りもどすための試練を経験し、最後の最後でエロスの助けがあって、やっと試練をクリアする、という物語です。
バッシングが試練だったとは私は申しません。3年間の別離の方です。法律家として自分を磨くため、勉学に励んだ小室圭は男の中の男であり、それを見守り続けた眞子内親王殿下とともに愛の試練を乗り越えたのではないのでしょうか。それを母親がどうのこうの、お金がどうのこうのとゴシップをかき立て、足を引っ張るやからの方こそ、プシュケの姉たちのような存在だと言えるのではありますまいか。
本日、秋篠宮様にお別れの挨拶をしたということだそうですが、とにもかくにもお幸せに、末永く幸せに暮らして下さい、と申し述べておきます。