皇族の方々や小室氏が反論できないのは、皇室の品位を保つため、ということは、 このまま眞子さまと結婚されて、普通の一庶民となってからも、 ●「あれは五階建マンションがないっしゅね(誤解だって、まあしょうがない…)」とも、小室氏はもはや言えないと…。。゜( ᵒ̴̶̷᷄ᴥᵒ̴̶̷᷅ )°。 とはいえ、このチンケでケチ臭いルサンチマン弱者ばかりの今の日本に、小室圭ほどの「男」が果たして他に出現し得るのだろうか!?リヒャルト·シュトラウスノ…°⌖꙳✧˖( ॣ•͈૦•͈ ॣ)“エイユウノショウガイ”ミタイ…? 先日の岡山道場、考えさせられましたなあ。モ モウ…ε_(;。Д*;;)オラ クエネエダァ…… その発端となったのは、ゲストの矢部万紀子氏の仰った「女性皇族のモチベーション」の話。 将来皇室から離れることになる女性皇族、皇室の中心になれない女性皇族の生きづらさというその着眼点、成る程なあ!と。 なんか、高森師範に随分と遠慮されてた感じでしたが・・・?デモ…( ॢꈍ∀ꈍ ॢ)シッカリマナバサセテイタダキマシタワン♡ それで思いましたのは、私は以前、仕事でも遊びでも、人にモノをおしえるのというのが大の苦手でしたので、マネジメントについて少々かじったことがございまして、 その時にとにかく強調されていたのが、「人間を見なさい」ということ。 結局それが問題のすべてだと。 私も最初は、反論できない皇室、そして小室氏に対して集団バッシングしている連中は、無抵抗の幼子を虐待する大人と同類の心性・陰険陰湿さ・残虐さと思いましたが、 彼らの言う「皇室を思っているからこそ」という心理には、もっと根深いものがあるのでは?と。 それが、「人間を見てない」ということではないか?と。 彼らは、彼らなりの「尊皇心」はあるのでしょう。 ただ、それは日本の伝統・日本人のアイデンティティーの象徴である「天皇」「皇室」に対しての「崇拝の念」であって、 そこにいる「人間」に対する「敬愛の念」は一切無いのではないか?と。 つまり、我々が称えてやまない皇室は素晴らしく清浄で高貴なものでなければならない。それが我々の誇り。 それを汚そうとするなんて許してはならない! 憎い!憎い!我々の崇める素晴らしい皇室を俗にまみれさせようとする小室氏が憎い! あんなのとくっつきたがっている眞子さまは、一体何を考えていらっしゃるのか?俺たちの誇りを傷つけて、俺たちを苦しめたいのか? …と、そんなところではないかと。 ですから、言ってみれば、天皇を「神武天皇以来受け継がれてきたY染色体」の“器”としか見ていない男系固執派の連中と、殆ど同類の生き物なのではないかと。 もっと言えば、所詮眞子さまは女性だから、どうせ結婚したら皇族でなくなるんでしょ?という、いびつな男尊女卑の精神も絡んで・・・。 上皇陛下が御在位の時、「象徴天皇」「シラス天皇」を体現されようと、上皇后陛下とともに大変な努力をなされまして、そのお姿に心打たれた人も多いと思いましたが、 それでも、皇室にいるのは我らと同じ生身の人間、喜怒哀楽のある人間、何らかのモチベーションをもって活動されている人間、そしてバッシングされれば当然傷付く人間であると、 そんな当たり前のことを全然当たり前に思っていない人たちがいる。 皇族を、彼らの虚ろな日本人としてのアイデンティティーを保つための「奴隷」としか思っていないような人たちが…。マッ…タク……=͟͟͞͞m=͟͟͞͞(。=͟͟͞͞Д=͟͟͞͞ཀ=͟͟͞͞m=͟͟͞͞)アキ…レタ……モン……… も~っ!そんな奴らは~っ!笹先生が展覧会を開いたなら、メチャクソに描かれて笑い者にされるんだからな~~~っ!///୧(`"皿´)9\\\ウガ-ッ!! ●「あいつら個展パンダ!(コテンパンだ)」と。 その展覧会の案内役を務めますは、ちぇぶ総合プロデューサーだ! ●「ゴジラ絵・銅像(こちらへどうぞ)」と。ミテルブンニハ…୧( ᐖ)σトテモユカイナカタデスガ…? 悠仁さまは、最後まで皇室に残るでしょう。現状皇室最後の希望が皇室を離れても、この世界のどこにも居場所は無いでしょうから。 それを気の毒に思って、佳子さまは独身を貫いて皇室に留まることになるかもしれません。 しかし、皇族とて人間なのだから、眞子さまの例があるように、「恋愛は狂気」「恋はいつでもハリケーン」ですから、あまりにも残酷なことにも……。 愛子さまはどうなる???ヒトノコイジヲジャマスルヤツハ…(σ`””´)9ウマニケラレテシンジマエッテ!!! 「理論は人を立ち止まらせ、感情は人を走らせる」と言います。 『キン肉マン』の最新刊にも、「人は正しいだけでは動かん」とありました。 夜遊びを繰り返す子供には、怒鳴って叱りつけるよりも、「あなたが帰ってこなくて、母さんはものすごく心配でたまらないのよ…」と情に訴えた方が効果的、というのもあるわけです。 それで思いますのは、上述のマネジメントについて勉強した時に学んだテクニック、というか、この前ビデオで見てた昔の海外ドラマでもやってたのですが、 小室氏をバッシングしている人たち、彼らにこんなゲームをやらせてみたらどうなるのかな?と。 それは「小室氏について、眞子さまとの結婚について、良いと思う点を、無理くりでもいいからとりあえず10個挙げてみなさい」というゲーム。ハタシテ…((`Ψ´))σナニヲシッテイルノカナ??? 一番点数の少ない人は罰ゲームで、皆から10個ずつそいつのダメなところを言われ、反論は不可…みたいな。ミヲモッテシレ…(*Ŏ▼Ŏ*)ジュミョウガチヂマルオモイヲ… その応用で、男系固執派の連中にも一人一人に訪ねてみたいものですな。 「このまま男系男子の縛りを続けるのと、女性天皇・女系天皇・女性宮家を容認するのと、それぞれメリット・デメリットを挙げられるだけ挙げてみなさい」と。 それぞれより多く上げた人にはご褒美あげちゃうよ♪とか言って。マニンゲンニナレル…Ψ((`▼´))Ψラストチャンスゾ… もう一つ。 男系固執派みたいなカルト軍団、ノイジーマイノリティが、どうして政治の上顧客となり得たのか?という話。 これも「モチベーション」「人間を見る」ということから考えれば、簡単な理屈かと。 それは、男系固執派にせよ或いは護憲派にせよ、連中は「イデオロギー」で結託した団体であり、 そしてそのイデオロギーのシンパ仲間が政治家にいたり権力をもってたりしているから、ということかと。 即ち、イデオロギーで繋がっている者同士だから、その団体を喜ばすことをやる→彼らは評価し、もっともっと期待し応援してくれる→それに応えようと、もっともっとその団体に誉められるように頑張る→……と。 みんなそうそう「一人でも寂しくない人間」にはなれぬもの。 で、そうやって仲間意識が強くなって、だけどそのイデオロギーに閉じこもったままだから(外では批判ばかりされるから)、どんどん先鋭化して浮世離れ常識離れして、 カミカゼが吹くとかゼロコロナとか……。 政治家には電話が効く、という話のように、人は誰しも常に、自分のことを評価し認めてもらうことに飢えているもの。 誰しも、畏れながら皇族の方々だってきっと、ましてや政治家ならなおのこと、 皆が応援してくれていると、皆が自分に期待してくれていると思えばこそ、「よし!次も頑張ろう!」とモチベーションされてファイトを燃やすもの。 また、逆にボロクソに否定されたり無視されたり、ちゃんと一人の人間としてろくに見てもらえなかったりすれば、へこんで無気力になるもの。 せっかく一生懸命頑張って綺麗に花を咲かせたのに、●「誰も全然黄水仙くれましぇんよ…(気づいてくれないよ…)」みたいな。 人の評価とか名誉にはそんなに興味はない、ただ楽しくなればいいのさ…♪という享楽主義快楽主義、 それでいて、ただ己の道を極めんがために邁進するのみ!という求道者(……というか、ただのお気楽な道楽者?)、 そんなのは、この私くらいなものかと…。デヘヘ…(^"^;)ゞダカラウダツガアガランノダケド…… 弱い生き物である人間を「強い個人」にするために作られたのが「宗教」。 どんなものであれ、イデオロギーを宗教化、アイデンティティー化、原理主義化した人たちというのは、信じてすがるものがある人は、とにかく強くなる。 歯止めのかからぬ「強欲資本主義」、未だに新コロを5類に下げることに反発している「エゴイスト医師会」、 それらに並ぶほどに、民主主義の健全さを脅かすのが、その「イデオロギー」であると。 イデオロギーは、「自分自身の天皇」をあみだせない虚ろなルサンチマン弱者を易々と信者に取り込む。 しかし、ただ教義を信仰するだけで、思考停止して疑ったり考えたりすることはできないから、 融通の利かぬままにどんどん先鋭化し、集団的浅慮のままに「ブラジルの勝ち組」「マスク警察」となる。 そして人間を、己を見失う。ソ連やナチスが大量虐殺したように……。 アイヒマンの言葉でしたか、「1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字に過ぎない」と。モハヤ…(*̩̩̥щ*̩̩̥|||)フクハンノウニヨルシシャスウモ…? そのイデオロギーに対抗する手段こそが、「五箇条の御誓文」第一条「広く会議をおこし、万機公論に決すべし」ではないかと。❁.。.:*ꉂꉂ(ᵔ▿ᵔ*)9ソラキタ☆ 「ゴー宣道場」での「皇位継承問題」や「立憲的改憲」「コロナ禍」の議論を通して自分で考えることによって、 実際にこれらについての考え方を論理的により深め、信念として「個」を貫けるようになったと、 イデオロギーという「理念」「原理主義」でなく、議論による「知性」を備えることによって、自身の「個」を強くしたと、コレモ…(´∀`*)キンニクマンノサイシンカンカラ… そういう実体験から、「ゴー宣道場」という「公論の場」に期待を強くし、希望的なモチベーションを持って集っている方は、きっと私だけではございませんでしょう。✰⋆。:ο(°▽゜)9゚・*☽ 「人間は考える葦である」 「くじ引き」でも、「サイコロ」でも「ポーカー」でも「麻雀」でも「人生ゲーム」でも「人狼ゲーム」でも、とりあえず糸口としては何でもいいと思いますが、 民主主義を建て直すために、「ゴー宣道場」らしく「議論の場」に重きを置いたものを目指して欲しいものですが、果たして・・・?フ フ ((ू•∀•ू⑅))フ フ? 現代日本人は、バラバラの砂粒の「個」だからこそ、その孤独な個の無力感からニヒリズムに陥る。 しかし、イデオロギーでまとまった「集団」は、同じ教義を信奉し、自分を受け入れ認め合える仲間たちとの一体感があるからこそ、 その人たちはモチベーションされ、たとえマイノリティであってもニヒリズムに陥らずに、だからとても攻撃的で、なんかやたらハッスルしているように見えると。マルデ…(((ヾノ꒪˘Ψ꒪;))アンチコバヤシヨシノリミタイナ… ●「まったく怒リンボーダンスね(怒りん坊ですね)」みたいな…。 そう考えますと、「皇位継承問題」はもうタイムリミット間近ですが、 他の「立憲的改憲」にせよ「女性の地位向上」にせよ、そのモチベーションを保ち続けるために、ノイジーなイデオロギー集団に対抗するためには・・・ 今のところ暫定目標である「共同体の再生」「議論の場を中心に据えた共同体の再生」、 もしかするとこれこそが、堕落した日本の浮上のための最優先課題となるのかも??? ……以上何とか、荒削りながら岡山道場の感想を頑張ってまとめてみましたが・・・。マダマダ…(((;="=)ゞガッタイニハ オヨビデナイカナ… ところで11月の九州のイベントは取り止めになったのでしょうか? ●「阿蘇山寝んねっしゅ(あ、そう、残念ですね)」。 (↑僭越ながら、九州の皆様の鎮魂のための創作茶魔語…。お粗末でした……。)
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皇族の方々や小室氏が反論できないのは、皇室の品位を保つため、ということは、
このまま眞子さまと結婚されて、普通の一庶民となってからも、
●「あれは五階建マンションがないっしゅね(誤解だって、まあしょうがない…)」とも、小室氏はもはや言えないと…。。゜( ᵒ̴̶̷᷄ᴥᵒ̴̶̷᷅ )°。
とはいえ、このチンケでケチ臭いルサンチマン弱者ばかりの今の日本に、小室圭ほどの「男」が果たして他に出現し得るのだろうか!?リヒャルト·シュトラウスノ…°⌖꙳✧˖( ॣ•͈૦•͈ ॣ)“エイユウノショウガイ”ミタイ…?
先日の岡山道場、考えさせられましたなあ。モ モウ…ε_(;。Д*;;)オラ クエネエダァ……
その発端となったのは、ゲストの矢部万紀子氏の仰った「女性皇族のモチベーション」の話。
将来皇室から離れることになる女性皇族、皇室の中心になれない女性皇族の生きづらさというその着眼点、成る程なあ!と。
なんか、高森師範に随分と遠慮されてた感じでしたが・・・?デモ…( ॢꈍ∀ꈍ ॢ)シッカリマナバサセテイタダキマシタワン♡
それで思いましたのは、私は以前、仕事でも遊びでも、人にモノをおしえるのというのが大の苦手でしたので、マネジメントについて少々かじったことがございまして、
その時にとにかく強調されていたのが、「人間を見なさい」ということ。
結局それが問題のすべてだと。
私も最初は、反論できない皇室、そして小室氏に対して集団バッシングしている連中は、無抵抗の幼子を虐待する大人と同類の心性・陰険陰湿さ・残虐さと思いましたが、
彼らの言う「皇室を思っているからこそ」という心理には、もっと根深いものがあるのでは?と。
それが、「人間を見てない」ということではないか?と。
彼らは、彼らなりの「尊皇心」はあるのでしょう。
ただ、それは日本の伝統・日本人のアイデンティティーの象徴である「天皇」「皇室」に対しての「崇拝の念」であって、
そこにいる「人間」に対する「敬愛の念」は一切無いのではないか?と。
つまり、我々が称えてやまない皇室は素晴らしく清浄で高貴なものでなければならない。それが我々の誇り。
それを汚そうとするなんて許してはならない!
憎い!憎い!我々の崇める素晴らしい皇室を俗にまみれさせようとする小室氏が憎い!
あんなのとくっつきたがっている眞子さまは、一体何を考えていらっしゃるのか?俺たちの誇りを傷つけて、俺たちを苦しめたいのか?
…と、そんなところではないかと。
ですから、言ってみれば、天皇を「神武天皇以来受け継がれてきたY染色体」の“器”としか見ていない男系固執派の連中と、殆ど同類の生き物なのではないかと。
もっと言えば、所詮眞子さまは女性だから、どうせ結婚したら皇族でなくなるんでしょ?という、いびつな男尊女卑の精神も絡んで・・・。
上皇陛下が御在位の時、「象徴天皇」「シラス天皇」を体現されようと、上皇后陛下とともに大変な努力をなされまして、そのお姿に心打たれた人も多いと思いましたが、
それでも、皇室にいるのは我らと同じ生身の人間、喜怒哀楽のある人間、何らかのモチベーションをもって活動されている人間、そしてバッシングされれば当然傷付く人間であると、
そんな当たり前のことを全然当たり前に思っていない人たちがいる。
皇族を、彼らの虚ろな日本人としてのアイデンティティーを保つための「奴隷」としか思っていないような人たちが…。マッ…タク……=͟͟͞͞m=͟͟͞͞(。=͟͟͞͞Д=͟͟͞͞ཀ=͟͟͞͞m=͟͟͞͞)アキ…レタ……モン………
も~っ!そんな奴らは~っ!笹先生が展覧会を開いたなら、メチャクソに描かれて笑い者にされるんだからな~~~っ!///୧(`"皿´)9\\\ウガ-ッ!!
●「あいつら個展パンダ!(コテンパンだ)」と。
その展覧会の案内役を務めますは、ちぇぶ総合プロデューサーだ!
●「ゴジラ絵・銅像(こちらへどうぞ)」と。ミテルブンニハ…୧( ᐖ)σトテモユカイナカタデスガ…?
悠仁さまは、最後まで皇室に残るでしょう。現状皇室最後の希望が皇室を離れても、この世界のどこにも居場所は無いでしょうから。
それを気の毒に思って、佳子さまは独身を貫いて皇室に留まることになるかもしれません。
しかし、皇族とて人間なのだから、眞子さまの例があるように、「恋愛は狂気」「恋はいつでもハリケーン」ですから、あまりにも残酷なことにも……。
愛子さまはどうなる???ヒトノコイジヲジャマスルヤツハ…(σ`””´)9ウマニケラレテシンジマエッテ!!!
「理論は人を立ち止まらせ、感情は人を走らせる」と言います。
『キン肉マン』の最新刊にも、「人は正しいだけでは動かん」とありました。
夜遊びを繰り返す子供には、怒鳴って叱りつけるよりも、「あなたが帰ってこなくて、母さんはものすごく心配でたまらないのよ…」と情に訴えた方が効果的、というのもあるわけです。
それで思いますのは、上述のマネジメントについて勉強した時に学んだテクニック、というか、この前ビデオで見てた昔の海外ドラマでもやってたのですが、
小室氏をバッシングしている人たち、彼らにこんなゲームをやらせてみたらどうなるのかな?と。
それは「小室氏について、眞子さまとの結婚について、良いと思う点を、無理くりでもいいからとりあえず10個挙げてみなさい」というゲーム。ハタシテ…((`Ψ´))σナニヲシッテイルノカナ???
一番点数の少ない人は罰ゲームで、皆から10個ずつそいつのダメなところを言われ、反論は不可…みたいな。ミヲモッテシレ…(*Ŏ▼Ŏ*)ジュミョウガチヂマルオモイヲ…
その応用で、男系固執派の連中にも一人一人に訪ねてみたいものですな。
「このまま男系男子の縛りを続けるのと、女性天皇・女系天皇・女性宮家を容認するのと、それぞれメリット・デメリットを挙げられるだけ挙げてみなさい」と。
それぞれより多く上げた人にはご褒美あげちゃうよ♪とか言って。マニンゲンニナレル…Ψ((`▼´))Ψラストチャンスゾ…
もう一つ。
男系固執派みたいなカルト軍団、ノイジーマイノリティが、どうして政治の上顧客となり得たのか?という話。
これも「モチベーション」「人間を見る」ということから考えれば、簡単な理屈かと。
それは、男系固執派にせよ或いは護憲派にせよ、連中は「イデオロギー」で結託した団体であり、
そしてそのイデオロギーのシンパ仲間が政治家にいたり権力をもってたりしているから、ということかと。
即ち、イデオロギーで繋がっている者同士だから、その団体を喜ばすことをやる→彼らは評価し、もっともっと期待し応援してくれる→それに応えようと、もっともっとその団体に誉められるように頑張る→……と。
みんなそうそう「一人でも寂しくない人間」にはなれぬもの。
で、そうやって仲間意識が強くなって、だけどそのイデオロギーに閉じこもったままだから(外では批判ばかりされるから)、どんどん先鋭化して浮世離れ常識離れして、
カミカゼが吹くとかゼロコロナとか……。
政治家には電話が効く、という話のように、人は誰しも常に、自分のことを評価し認めてもらうことに飢えているもの。
誰しも、畏れながら皇族の方々だってきっと、ましてや政治家ならなおのこと、
皆が応援してくれていると、皆が自分に期待してくれていると思えばこそ、「よし!次も頑張ろう!」とモチベーションされてファイトを燃やすもの。
また、逆にボロクソに否定されたり無視されたり、ちゃんと一人の人間としてろくに見てもらえなかったりすれば、へこんで無気力になるもの。
せっかく一生懸命頑張って綺麗に花を咲かせたのに、●「誰も全然黄水仙くれましぇんよ…(気づいてくれないよ…)」みたいな。
人の評価とか名誉にはそんなに興味はない、ただ楽しくなればいいのさ…♪という享楽主義快楽主義、
それでいて、ただ己の道を極めんがために邁進するのみ!という求道者(……というか、ただのお気楽な道楽者?)、
そんなのは、この私くらいなものかと…。デヘヘ…(^"^;)ゞダカラウダツガアガランノダケド……
弱い生き物である人間を「強い個人」にするために作られたのが「宗教」。
どんなものであれ、イデオロギーを宗教化、アイデンティティー化、原理主義化した人たちというのは、信じてすがるものがある人は、とにかく強くなる。
歯止めのかからぬ「強欲資本主義」、未だに新コロを5類に下げることに反発している「エゴイスト医師会」、
それらに並ぶほどに、民主主義の健全さを脅かすのが、その「イデオロギー」であると。
イデオロギーは、「自分自身の天皇」をあみだせない虚ろなルサンチマン弱者を易々と信者に取り込む。
しかし、ただ教義を信仰するだけで、思考停止して疑ったり考えたりすることはできないから、
融通の利かぬままにどんどん先鋭化し、集団的浅慮のままに「ブラジルの勝ち組」「マスク警察」となる。
そして人間を、己を見失う。ソ連やナチスが大量虐殺したように……。
アイヒマンの言葉でしたか、「1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字に過ぎない」と。モハヤ…(*̩̩̥щ*̩̩̥|||)フクハンノウニヨルシシャスウモ…?
そのイデオロギーに対抗する手段こそが、「五箇条の御誓文」第一条「広く会議をおこし、万機公論に決すべし」ではないかと。❁.。.:*ꉂꉂ(ᵔ▿ᵔ*)9ソラキタ☆
「ゴー宣道場」での「皇位継承問題」や「立憲的改憲」「コロナ禍」の議論を通して自分で考えることによって、
実際にこれらについての考え方を論理的により深め、信念として「個」を貫けるようになったと、
イデオロギーという「理念」「原理主義」でなく、議論による「知性」を備えることによって、自身の「個」を強くしたと、コレモ…(´∀`*)キンニクマンノサイシンカンカラ…
そういう実体験から、「ゴー宣道場」という「公論の場」に期待を強くし、希望的なモチベーションを持って集っている方は、きっと私だけではございませんでしょう。✰⋆。:ο(°▽゜)9゚・*☽
「人間は考える葦である」
「くじ引き」でも、「サイコロ」でも「ポーカー」でも「麻雀」でも「人生ゲーム」でも「人狼ゲーム」でも、とりあえず糸口としては何でもいいと思いますが、
民主主義を建て直すために、「ゴー宣道場」らしく「議論の場」に重きを置いたものを目指して欲しいものですが、果たして・・・?フ フ ((ू•∀•ू⑅))フ フ?
現代日本人は、バラバラの砂粒の「個」だからこそ、その孤独な個の無力感からニヒリズムに陥る。
しかし、イデオロギーでまとまった「集団」は、同じ教義を信奉し、自分を受け入れ認め合える仲間たちとの一体感があるからこそ、
その人たちはモチベーションされ、たとえマイノリティであってもニヒリズムに陥らずに、だからとても攻撃的で、なんかやたらハッスルしているように見えると。マルデ…(((ヾノ꒪˘Ψ꒪;))アンチコバヤシヨシノリミタイナ…
●「まったく怒リンボーダンスね(怒りん坊ですね)」みたいな…。
そう考えますと、「皇位継承問題」はもうタイムリミット間近ですが、
他の「立憲的改憲」にせよ「女性の地位向上」にせよ、そのモチベーションを保ち続けるために、ノイジーなイデオロギー集団に対抗するためには・・・
今のところ暫定目標である「共同体の再生」「議論の場を中心に据えた共同体の再生」、
もしかするとこれこそが、堕落した日本の浮上のための最優先課題となるのかも???
……以上何とか、荒削りながら岡山道場の感想を頑張ってまとめてみましたが・・・。マダマダ…(((;="=)ゞガッタイニハ オヨビデナイカナ…
ところで11月の九州のイベントは取り止めになったのでしょうか?
●「阿蘇山寝んねっしゅ(あ、そう、残念ですね)」。
(↑僭越ながら、九州の皆様の鎮魂のための創作茶魔語…。お粗末でした……。)