>>137 やギさん お返事、ありがとうございます。なんとなく、やギさんからのお返事が来るのではないか、いただけるのではないかと、期待しておりました。 やギさんは、「ワクチンで死ぬ事を予期しながら接種する人は、高齢者でも若者でもいないのではないですか」とおっしゃっています。そうかもしれません。ただ、私がホリエモンのいくつかの動画を見て思ったのは、彼自身は、科学の発展のために、人間が自らの限界を突破するために、自分自身が実験台になることは覚悟しているのではないかということでした。そして、他の人たちも、同じような覚悟を持つのは当然ではないかと考えているふしがあります。 そのような考え方は、やギさんがおっしゃるように「原爆を落とす実験を推奨する御本人の一人かに見え」ることでしょう。はい。そうです。ホリエモンがそこまでの覚悟があるかどうかは知りませんが、たぶん、彼の論理をつきつめると、そういうことになるのだと思う。原爆による数十万の命の犠牲は、科学の発展、人類の進化のために、必要だった、という考え方。 凄まじい矛盾、暴虐、非道、そのようなものを通して、人類というものが己の限界を突破していくということ。岡本太郎の作品に「明日の神話」という絵がありますが、彼がその作品で描こうとしたのは、そうした凄まじいまでの人類史の狂気のようなものだったのではないかと、考えたりします。 もはやホリエモンが、本当にこういうことを考えているかどうかは、どうでもいいことですね。これは、私自身の考えです。ホリエモンに託して、自分自身の考えを表明しただけです。ごめんね、ホリエモン。 やギさんが、書かれている一文。 「社会、テクノロジーの発展の為に死を選ばされられる事は屈辱の他、何ものでも無いです。科学の発展の為に彼らは死んでいったんだ、彼らは人類の誇りだとおっしゃる方々は、己だけ黒い目を保っている峰宗太ろーのような気ちのい科学者の言い分です。生き残っている科学に携わる気ちのいのね。」 峰くんは、あまりにもしょぼすぎて。でも、もし峰くんが、どんなに危険なワクチンだろうと、自分は打つ、自分の妻にも、自分の幼い子供たちにも打つ、そして子供たちがそれで皆死んでも、それでも科学の発展、人類が完全性へと向かうには、この犠牲は必要だったのだ、と、狂気の宿った強い眼でこちらをにらんでくるのなら。 それなら、そこまでの覚悟でそうするのなら、それは間違いだ、ということが、私には、できない。 一点だけ、たぶん私の書き方が乱暴だったせいで、やギさんに誤解を与えてしまったところがあるかもしれません。やギさんは「ワクチンが無意味なものであれば、人生を先に生きた者から、先に逝く覚悟をよしりん先生は説いたと書いて有ると思います」「よしりん先生の言われる科学万能主義の批判を理解されているとは思えない御発言」とご指摘されています。 私はこのNo.125の書き込みで、小林先生の気持ちは、「この世が元気さを失わないように、俺たち、死んでやろうよ」というものではなかったか、と書いております。これは、私としては、「ワクチンを打つことで、俺たち、死んでやろうよ」ということではなく、「新型コロナに対して基本ノーガードで対処することで、俺たち、死んでやろうよ」という意味で、そのように書きました。 小林先生はもちろん科学万能主義を否定しています。しかし、どうだろう。科学万能主義者が、凄まじい目をして、自分自身の子供を犠牲に差し出しながら、自分はあくまでも科学の発展にすべてをかける、人間は神に近づける、どんな犠牲を払っても、神に近づこうと努力するところに、人間の気高さはあるんだ、と叫んだなら。 小林先生は、それはそれで、認めるのではないでしょうか。小林先生には、狂気があると、思うから。 やギさん、お返事ありがとう。うさぎは、やギさんの書く文章は、好きだ。 うさぎより
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>>137
やギさん
お返事、ありがとうございます。なんとなく、やギさんからのお返事が来るのではないか、いただけるのではないかと、期待しておりました。
やギさんは、「ワクチンで死ぬ事を予期しながら接種する人は、高齢者でも若者でもいないのではないですか」とおっしゃっています。そうかもしれません。ただ、私がホリエモンのいくつかの動画を見て思ったのは、彼自身は、科学の発展のために、人間が自らの限界を突破するために、自分自身が実験台になることは覚悟しているのではないかということでした。そして、他の人たちも、同じような覚悟を持つのは当然ではないかと考えているふしがあります。
そのような考え方は、やギさんがおっしゃるように「原爆を落とす実験を推奨する御本人の一人かに見え」ることでしょう。はい。そうです。ホリエモンがそこまでの覚悟があるかどうかは知りませんが、たぶん、彼の論理をつきつめると、そういうことになるのだと思う。原爆による数十万の命の犠牲は、科学の発展、人類の進化のために、必要だった、という考え方。
凄まじい矛盾、暴虐、非道、そのようなものを通して、人類というものが己の限界を突破していくということ。岡本太郎の作品に「明日の神話」という絵がありますが、彼がその作品で描こうとしたのは、そうした凄まじいまでの人類史の狂気のようなものだったのではないかと、考えたりします。
もはやホリエモンが、本当にこういうことを考えているかどうかは、どうでもいいことですね。これは、私自身の考えです。ホリエモンに託して、自分自身の考えを表明しただけです。ごめんね、ホリエモン。
やギさんが、書かれている一文。
「社会、テクノロジーの発展の為に死を選ばされられる事は屈辱の他、何ものでも無いです。科学の発展の為に彼らは死んでいったんだ、彼らは人類の誇りだとおっしゃる方々は、己だけ黒い目を保っている峰宗太ろーのような気ちのい科学者の言い分です。生き残っている科学に携わる気ちのいのね。」
峰くんは、あまりにもしょぼすぎて。でも、もし峰くんが、どんなに危険なワクチンだろうと、自分は打つ、自分の妻にも、自分の幼い子供たちにも打つ、そして子供たちがそれで皆死んでも、それでも科学の発展、人類が完全性へと向かうには、この犠牲は必要だったのだ、と、狂気の宿った強い眼でこちらをにらんでくるのなら。
それなら、そこまでの覚悟でそうするのなら、それは間違いだ、ということが、私には、できない。
一点だけ、たぶん私の書き方が乱暴だったせいで、やギさんに誤解を与えてしまったところがあるかもしれません。やギさんは「ワクチンが無意味なものであれば、人生を先に生きた者から、先に逝く覚悟をよしりん先生は説いたと書いて有ると思います」「よしりん先生の言われる科学万能主義の批判を理解されているとは思えない御発言」とご指摘されています。
私はこのNo.125の書き込みで、小林先生の気持ちは、「この世が元気さを失わないように、俺たち、死んでやろうよ」というものではなかったか、と書いております。これは、私としては、「ワクチンを打つことで、俺たち、死んでやろうよ」ということではなく、「新型コロナに対して基本ノーガードで対処することで、俺たち、死んでやろうよ」という意味で、そのように書きました。
小林先生はもちろん科学万能主義を否定しています。しかし、どうだろう。科学万能主義者が、凄まじい目をして、自分自身の子供を犠牲に差し出しながら、自分はあくまでも科学の発展にすべてをかける、人間は神に近づける、どんな犠牲を払っても、神に近づこうと努力するところに、人間の気高さはあるんだ、と叫んだなら。
小林先生は、それはそれで、認めるのではないでしょうか。小林先生には、狂気があると、思うから。
やギさん、お返事ありがとう。うさぎは、やギさんの書く文章は、好きだ。
うさぎより