本当に遅くなってすみませんでした。今号の感想です。 〇 ゴーマニズム宣言・第436回「デマもある民主主義」 間違えてはいけないのは、「デマがあった方がよい」ではなく、「デマもあった方がよい」ということなのでしょう。本当のデマが有害なのは、「民主主義という病い」にあったペロポネソス戦争の箇所で描かれており、クレオンやアルキビアデス(当時のアテネの政治家の名前ですが)などが活躍する世界が理想的だとは口が裂けても言うことはできないでしょう。YouTubeやモーニングショー、こびナビのしていることもデマなのだから。 しかし、それを判断するのは私たちで、賢愚の差があっても、自分の人生の方針を決めるのは自分自身しかいない、ということなのでしょう。決して、場の空気とか世間体であってはならない。モーニングショーがやった煽りのおかげで日本人の殆どが自閉症状態になり、自粛が正しい、自分の命だけ守れればよいという風潮ができあがってしまったのだから、正常な判断のできる政権なら、眞子様問題なども見ていると、むしろマスコミのすることやYouTubeなどを規制すべきなのだ、となるのですけれども、それも政府が強権的に行うのではなく、個々で見抜かなければならない。 しかし、どれだけの日本人が自己の判断で情報の選択が出来るのか、とても不安に感じます。何度も言っていますが、奈良時代の律令政府はインチキな薬を飲むな、病人を地べたに寝かすな、といった細々とした注意書きを全国の国司に送り、天然痘に対する「百姓」の教化をはかっているのですが、まともな政権だったら、こういうことをこそしなければいけない、と思うのだけれども(律令政府が強権的だったことはこの際問題から外すとしても)これを個人全員ができるか、と言われるとかなり難しいのではないでしょうか。人にはそれぞれ得手不得手があり、能力差もあるのだから、この方面では優れていても、コロナ対策では幼児以下の行動をする、という例は日本人ノーベル賞学者や権威のある医師の言動で、私たちはこの2年ほどの間でもかなりの量を見てきています。私も数学方面など理系方面はさっぱりで、本来なら病原体のことでとやかく言える立場ではないし、そう考えると、全員が優秀であり、意志が強固であるという前提において成立する民主制は、根本からくつがえっており、非常にお粗末な制度だと言えるのでしょう。 それでも国民が賢人に近づかなければならない。自分に足りない分は信頼の置ける他者や政府などに補ってもらい、自己の決定権を揺るがしてはいけない。誤った情報は誤っていると判断し、賢い行動をしなければならない。不完全な制度でもうまく使ってゆくしかない。そして効果がなければ次の選択をすればいい、失敗したら、またそれにもどってゆけばいい。人間の行動は進歩しないかもしれないけれども、漸進的にかわりゆくものなのかも知れない、そこに希望を見いだすしかない、そんなことを考えさせられました。
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本当に遅くなってすみませんでした。今号の感想です。
〇 ゴーマニズム宣言・第436回「デマもある民主主義」
間違えてはいけないのは、「デマがあった方がよい」ではなく、「デマもあった方がよい」ということなのでしょう。本当のデマが有害なのは、「民主主義という病い」にあったペロポネソス戦争の箇所で描かれており、クレオンやアルキビアデス(当時のアテネの政治家の名前ですが)などが活躍する世界が理想的だとは口が裂けても言うことはできないでしょう。YouTubeやモーニングショー、こびナビのしていることもデマなのだから。
しかし、それを判断するのは私たちで、賢愚の差があっても、自分の人生の方針を決めるのは自分自身しかいない、ということなのでしょう。決して、場の空気とか世間体であってはならない。モーニングショーがやった煽りのおかげで日本人の殆どが自閉症状態になり、自粛が正しい、自分の命だけ守れればよいという風潮ができあがってしまったのだから、正常な判断のできる政権なら、眞子様問題なども見ていると、むしろマスコミのすることやYouTubeなどを規制すべきなのだ、となるのですけれども、それも政府が強権的に行うのではなく、個々で見抜かなければならない。
しかし、どれだけの日本人が自己の判断で情報の選択が出来るのか、とても不安に感じます。何度も言っていますが、奈良時代の律令政府はインチキな薬を飲むな、病人を地べたに寝かすな、といった細々とした注意書きを全国の国司に送り、天然痘に対する「百姓」の教化をはかっているのですが、まともな政権だったら、こういうことをこそしなければいけない、と思うのだけれども(律令政府が強権的だったことはこの際問題から外すとしても)これを個人全員ができるか、と言われるとかなり難しいのではないでしょうか。人にはそれぞれ得手不得手があり、能力差もあるのだから、この方面では優れていても、コロナ対策では幼児以下の行動をする、という例は日本人ノーベル賞学者や権威のある医師の言動で、私たちはこの2年ほどの間でもかなりの量を見てきています。私も数学方面など理系方面はさっぱりで、本来なら病原体のことでとやかく言える立場ではないし、そう考えると、全員が優秀であり、意志が強固であるという前提において成立する民主制は、根本からくつがえっており、非常にお粗末な制度だと言えるのでしょう。
それでも国民が賢人に近づかなければならない。自分に足りない分は信頼の置ける他者や政府などに補ってもらい、自己の決定権を揺るがしてはいけない。誤った情報は誤っていると判断し、賢い行動をしなければならない。不完全な制度でもうまく使ってゆくしかない。そして効果がなければ次の選択をすればいい、失敗したら、またそれにもどってゆけばいい。人間の行動は進歩しないかもしれないけれども、漸進的にかわりゆくものなのかも知れない、そこに希望を見いだすしかない、そんなことを考えさせられました。