Chariot のコメント

今回のコロナ禍の全体主義が戦時下になぞらえて考察されることが多いですが、そういった視点を意識したのではないかと思われる小説を読みました。
柳広司『アンブレイカブル』(角川書店)
治安維持法が施行され、特高の権限が肥大化してきた時代を背景に、小説家・小林多喜二や川柳作家・鶴彬といった実在の人物を登場させ、彼らを内偵する内務省の不気味な動きを描いた歴史サスペンスです。
帯の「罪は捜すな、仕立てあげろ」「法の贄となった、敗れざる者たち(アンブレイカブル)の矜持」というフレーズが非常に刺激的。
連作短編集のフォーマットなのですが、最終話「矜持」に全体のテーマが集約されています。
組織に飲み込まれ、「個」を失ってしまった官僚や、「アカ狩り」に奔走して「国に貢献している」という実感で沸き立っていた内務省ーーそしてその後になぜ変容したのか自分達でも分からないーーなどの描写が現在にも通じるところがあり、非常にリアルです。
そして、この最終話に登場する哲学者・三木清の存在感が圧倒的。
三木の知性溢れる思想の一片に触れると共に、とても三木には敵わない中途半端なインテリ(よしりん先生おっしゃるところの「秀才」)らが「嫉妬」や「ニヒリズム」で品性を貶めていく姿を描くことで、『大衆の反逆』で提起されたルサンチマンの問題を扱っています。
また、終盤で三木が長口上として述べる自身の信念は『ゴー宣』の保守思想に非常に近いですし、ある主要人物がやはり終盤で呟いた
「地上を支配しているのは、優れた能力でも、超人的な論理性でも、美しい行いでもない。ある種の凡庸さだ」
という文言は、明らかにアイヒマンの「凡庸なる悪」を意識したものと考えてよいでしょう。
ルサンチマンと「凡庸なる悪」の親和性は非常に高く、この両者が見事に噛み合うといとも簡単に全体主義が醸成されてしまうのだという現実(人間が逃れることができない本性なのでしょうか)をあらためて思い知らされました。
本作は「2021年1月29日初版」の書き下ろし作品であるため、昨年のコロナ禍の中で執筆された可能性が高いといってよいでしょう。
大衆や全体主義に対する問題意識を作品として仕上げた作者に賛辞を送りたいです。

No.159 39ヶ月前

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