Chariot のコメント

配信ありがとうございます。
先週の生放送で最も印象に残った言葉が「デマのない全体主義より、デマのある民主主義」だったので、今号の内容は非常に腑に落ちるものでした。
この考え方は「表現の自由」にも通じるものですよね。
すなわち、よしりん先生が何度となく引用されてきたヴォルテールの言葉、
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
と同様のスタンス。
民主主義は表現やそれに基づく議論という行為なくしては成立しないため、「デマのない民主主義」などあり得ないのですが、それを理解していない知識人が非常に多そうですね。
しかも大衆の中には、いまだに「民主主義=多数決」と思い込んでいる者も多く、異論に直面した時に「その正否や是非について考える・議論する」という頭を使うプロセスを経ずに楽しようとばかりしてしまいます。
もっとも、大衆はメディアの表現規制に対しては批判的であったり、「華氏451度」「マイノリティ・リポート」のようなディストピアを描いた作品に触れてもいるはずなのですが、行政やマスコミによる扇動でコロリと全体主義に傾いてしまう。
他者の言動を叩くことばかりに快感を覚えてしまうと、本来自分達が持っているはずの「自由」が確実に奪われている現状に無自覚なのでしょうね。

一方で、「デマのある民主主義」を「健全」と見なす考え方は、「ウィズ・コロナ」にも通じるものではないでしょうか。
コロナごときの弱毒性ウイルスは、いわば歯牙にもかからない荒唐無稽なデマのようなもので、彼らと共存することで自分の抵抗力やリテラシーが鍛えられていくーーこれが人間の成長(あくまで個人レベルの)というものなのだろう、と。
社会や個人に大ダメージを与えるような悪質なデマや、致死性の強いウイルスは排除しなければならないのは当然ですが、デマやウイルスそのものを根絶することは不可能であり、それを追求する人工的な設計主義は即ち全体主義に繋がる、ということですよね。
脳科学者の中野信子氏は「人間の脳は楽をしたがるもの・自分で選ぶよりも誰かに決めてもらいたがるものである」と主張されていますが、さもありなん。
本質的に、脳は全体主義に傾こうとするものなのかもしれません。
そして、いまだに「与えられた憲法」をありがたがり、世間の空気を重視する日本人は、その傾向が強いのかもしれませんね。

No.154 36ヶ月前

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