>>35 青ネギさん どういたしまして。下らない百済のギャグみたいなものです(また物議をかますようなことを…)。 ということで、今号の感想を記してみます。あまりにも衝撃的な内容だったので。 〇 ゴーマニズム宣言・第435回「アフガン大使館の恥辱」 こういう話を聞いていて思うことは、竹添のようなやからや、アフガニスタンから命がけで逃げかえってきた卑怯者らにも、恐らく彼らなりの言い分があって、「あの状況ではほかの人間のことまでかまうことはできなかった、自分たちだって必死になって、その選択をしたんだ」というようなことだろうと思うのです。人間、危機的な状況になったら逃げるのは当然で、そのどこが悪い、と開き直るのでしょう。「逃げる恥だが」とかいうドラマもありますし。 (ファンのかた、すみません(^_^;) しかし、こういう話は、新型コロナウイルス問題でも成り立つわけで、「あの時は仕方がない」で済まされるのかと思うのです。「五十歩百歩」ということわざはこういう時にこそ用いるべきでしょう。私が政治家だったら、こういう卑怯者は軍法会議(という言葉を使うと、笹師範からお叱りの言葉を受けるのだろうけれども)にでもかけて処刑するか、あるいは一生村八分にして、どこか他人のかかわりのないところで、ひっそりと暮らしてくれ、という判決にするのではないか、と思います。そういう暴力的なことをしてはならないのだけれども、そうでもしないと、人間は自分のしたことを反省したり、悔悟したりしないのではないのでしょうか? せめて、こういうことを報じなかったマスコミもふくめて、反省文をかいて世間一般に公開するだけのことはした方がいいのでは、といったら小学生だな(笑)。でもそのレベルの外交官ですね。それをやっても、型どおりのことしか書かないのかな。 それとも、人間は急進的に変革するものではなく、漸進的にしかかわり得ないもので、それを無理矢理に圧力で押さえつけようとすると、かえってその反動で逆効果になりかねないものなのでしょうか?そういうふうに、何かの理想を押しつけようとして、権力や暴力で抑圧するように、設計的に人間を作り替えようとすることは、もっとも忌むべきことなのでしょうか。個人が自らの力で徐々に己を見つめ直し、自己改良するまで待たねばならぬものなのでしょうか? 人間はどうしたらよりよくかわり得るのでしょうか。それは自己に関しても思うことです。こういうことを記すと「お前も自分のことを泣いて恥じる位、反省しているのだな」とか言われたことも過去にあったりするのだけれども、そういういやがらせを言うような人間こそ、涙を流して恥じる程度のことをして欲しい、と願います。たとえきついものであっても、言葉で言って貰えることは幸せなことであり、かといって揶揄したり、傷口に泥を塗るようなことをするやからはそれ相応の報いを受けて欲しい、と思うわけです。何かが間違っているのなら、口で論理的に注意すればいいだけのことでしょう。 こびナビとかいう人達も、折角対談をして話し合いをしようともちかけているのだから、それを素直に受けた方がいい、そういうことを言って貰えるだけ幸せなのだ、と思った方がいいのでは、とここに記しても仕方がないけれども、そういうことではないのでしょうか。 自分もかなりきついことばかり記してしまったので、気にしています。ある人の接種の件で、言い過ぎてしまったのだとしたら、お詫びします。いいわけで、お節介なことを承知で申しますが、その後どうなったのか、とても気になっています。言葉だけだったら、「竜とそばかすの姫」と同じで、いかほどにも言えるのですが、ただこれは自身で解決しないといけない問題なのかもしれないです。以上、蛇足です。 話をもどすと、>>29でgoburinさんのおっしゃっている満洲国の話、その通りなのでしょう。中国残留孤児帰還の話も、かなり後になってから始めた事業ですし、大陸に残された人にとってみれば自己のアイデンティティは自分は「日本人」よりも「中国人」になってしまうのでしょう。遅きに失した、といったところでしょう。 山口百恵の赤いシリーズに「赤い運命」がありましたが、そこでも三国連太郎が満洲国の話を語っていました。そのことも思い出しました。こういう番組こそ再放送して欲しいものです。 こんな感じで良いのでしょうか。木蘭さんの方はまた後廻しになります。お大事に、と改めてお伝えします。
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>>35
青ネギさん
どういたしまして。下らない百済のギャグみたいなものです(また物議をかますようなことを…)。
ということで、今号の感想を記してみます。あまりにも衝撃的な内容だったので。
〇 ゴーマニズム宣言・第435回「アフガン大使館の恥辱」
こういう話を聞いていて思うことは、竹添のようなやからや、アフガニスタンから命がけで逃げかえってきた卑怯者らにも、恐らく彼らなりの言い分があって、「あの状況ではほかの人間のことまでかまうことはできなかった、自分たちだって必死になって、その選択をしたんだ」というようなことだろうと思うのです。人間、危機的な状況になったら逃げるのは当然で、そのどこが悪い、と開き直るのでしょう。「逃げる恥だが」とかいうドラマもありますし。
(ファンのかた、すみません(^_^;)
しかし、こういう話は、新型コロナウイルス問題でも成り立つわけで、「あの時は仕方がない」で済まされるのかと思うのです。「五十歩百歩」ということわざはこういう時にこそ用いるべきでしょう。私が政治家だったら、こういう卑怯者は軍法会議(という言葉を使うと、笹師範からお叱りの言葉を受けるのだろうけれども)にでもかけて処刑するか、あるいは一生村八分にして、どこか他人のかかわりのないところで、ひっそりと暮らしてくれ、という判決にするのではないか、と思います。そういう暴力的なことをしてはならないのだけれども、そうでもしないと、人間は自分のしたことを反省したり、悔悟したりしないのではないのでしょうか?
せめて、こういうことを報じなかったマスコミもふくめて、反省文をかいて世間一般に公開するだけのことはした方がいいのでは、といったら小学生だな(笑)。でもそのレベルの外交官ですね。それをやっても、型どおりのことしか書かないのかな。
それとも、人間は急進的に変革するものではなく、漸進的にしかかわり得ないもので、それを無理矢理に圧力で押さえつけようとすると、かえってその反動で逆効果になりかねないものなのでしょうか?そういうふうに、何かの理想を押しつけようとして、権力や暴力で抑圧するように、設計的に人間を作り替えようとすることは、もっとも忌むべきことなのでしょうか。個人が自らの力で徐々に己を見つめ直し、自己改良するまで待たねばならぬものなのでしょうか?
人間はどうしたらよりよくかわり得るのでしょうか。それは自己に関しても思うことです。こういうことを記すと「お前も自分のことを泣いて恥じる位、反省しているのだな」とか言われたことも過去にあったりするのだけれども、そういういやがらせを言うような人間こそ、涙を流して恥じる程度のことをして欲しい、と願います。たとえきついものであっても、言葉で言って貰えることは幸せなことであり、かといって揶揄したり、傷口に泥を塗るようなことをするやからはそれ相応の報いを受けて欲しい、と思うわけです。何かが間違っているのなら、口で論理的に注意すればいいだけのことでしょう。
こびナビとかいう人達も、折角対談をして話し合いをしようともちかけているのだから、それを素直に受けた方がいい、そういうことを言って貰えるだけ幸せなのだ、と思った方がいいのでは、とここに記しても仕方がないけれども、そういうことではないのでしょうか。
自分もかなりきついことばかり記してしまったので、気にしています。ある人の接種の件で、言い過ぎてしまったのだとしたら、お詫びします。いいわけで、お節介なことを承知で申しますが、その後どうなったのか、とても気になっています。言葉だけだったら、「竜とそばかすの姫」と同じで、いかほどにも言えるのですが、ただこれは自身で解決しないといけない問題なのかもしれないです。以上、蛇足です。
話をもどすと、>>29でgoburinさんのおっしゃっている満洲国の話、その通りなのでしょう。中国残留孤児帰還の話も、かなり後になってから始めた事業ですし、大陸に残された人にとってみれば自己のアイデンティティは自分は「日本人」よりも「中国人」になってしまうのでしょう。遅きに失した、といったところでしょう。
山口百恵の赤いシリーズに「赤い運命」がありましたが、そこでも三国連太郎が満洲国の話を語っていました。そのことも思い出しました。こういう番組こそ再放送して欲しいものです。
こんな感じで良いのでしょうか。木蘭さんの方はまた後廻しになります。お大事に、と改めてお伝えします。