遅ればせながら、生放送、お疲れ様です。少し食事とかしていたり、眠ったりしていたら、こんな時間になってしまいました。(_ _) 今回の話で、やはり気になったのは、東浩紀さんが小林さんもこびナビの対談から逃げているという話で、これをいうと、あるかたにとても悪いと思うのですが、インターネットは無責任だ、という話題です。 昔、このホームページにチャンネル掲示板(だったかな?もうちゃんとした名前は忘れてしまいました)があった頃、私は「みづくらげ」という名前で投稿していました。そこである人から糾弾を受けて書き込みをやめざるを得なくなった時、どうしても心残りのことがあって、その旨をよしりん先生あてに手紙でしたためたことがあります。ありたいに言えば、スパイがいて、この人ではないか、というようなことです。 かつて「道場掲示板」がこのホームページにあったとき、私は伏見宮家問題をちゃんと取り上げないと、男系派につつかれる可能性がある、という内容の投稿をして物議をかました(正確にはスルーされた)ことがあります。そのことで、反論してきた人が、スパイなのではないか、と思い込んでしまったのです。そののちツイッターを始めた際に気づいたことですが、かつての師範で、先生の論敵になってしまった有本香さんや、「道場」にも出演された北海道の議員をフォローしていたからです。正直言って、阿呆な思い込みです。それで、そのようなものに、自分の気の迷いで書いてしまった記事を消せないままでいることに憤りを感じ、何とかして消させようとしてチャンネル掲示板に少し書いたのです。そのことがある人の気に障ったようで、批判をされた、というような話です。 その後、しばらくして、「女系天皇の時代」の連載に、蘇我入鹿が「無罪だ」とさけぶカットが描かれました。おそらく自分のことなのかと思い、少しショックを受けました。当時通っていたカウンセリングの先生は(事情を多少話してはいたのですが)、「あまり深く受けとることはないですよ。これはただ蘇我入鹿が殺される場面の絵ですよ」と申しており、そのうちに自分もそうなのかな、と思うようになりましたが、多分憶測を語って周囲をみだすようなことをしたという諷刺だったのではないか、という当時の深読みはあたっているのではないか、と思います。 そのことがあってから、6年位はこのホームページには近づかなかったです。一時はインターネット自体も取り外させています。それが再度接近したのは、大阪道場が開催された、という話があったからで、これも昔、「道場掲示板」があった時に投稿した内容と偶然一致したからです。さらにその後、ある学校の先生がsapioに少子化について意見を述べたという件について、よしりん先生の答えが知りたくなり、ライジング購読も始めました。 ただ、そういう状態だったので、コメント蘭の投稿は避けていました。あくまでも手紙だけにしようと思ったのですが、シンキムとかいう人がコメント蘭を荒らしているという話が気になり、分からないながらもコメント蘭の書き込みを始めてしまったというようなことです。そんなふうにして今日まで来ています。 以上、よしりん先生も、当時のことを覚えているかたも、忘れてしまったような話をだらだらとすみませんでした。そんな状態だったので、コメント蘭投稿を始めた当初は、何だか、ぎずぎすしたような状態だったのかも知れません。おんなじように、誰かがスパイなのではないか、とも疑っていましたから(もう時効ですよね)。山尾志桜里さん事件がなけれなROMにしようかとも思いました。この場を借りて、そのこともお詫び、いいわけしておきます。 私がこういう場に書き込みをしているのは、自己満足だけではなく、何かの役に立てば、という気持ちもかなりあります。「観応の擾乱」・「伏見宮家」のことを記したのも、崇光天皇以降の皇位継承問題を避けては、竹田恒泰あたりの主張を粉砕することができない、という判断をしたからです。その対談の斡旋の話にしても、「よしりん先生の役に立つ」ということが目的だったのでしょう。しかし、ひとりよがりだったり、自分の思い込みで「これは正しいことだ」という認識をそのまま語るのは、場合によってははた迷惑なこともあるのだろうと思うのです。「人には都合もある」。その通りです。こびナビから逃げた云々の話について言えば、能力も何もかも未知数で、どういう立場にいるか分からないかたを論破するよりも、公式の意見と直接に戦う方が効果がありますし、「公」のものとして認可されるのですから、木下医師がどうこうという話は相手にしない方がいい、と思います。戦国時代の戦いでも、敵の大将首をとらなければいくさは終わらないですから。ゴー宣で「権威は死んだ」と申しておりますが、「文藝春秋」には権威があると、「一般」には認識されているのですから。それを叩くことの方が、大将首をとることに繋がるのでしょう。できれば「文春」誌上でやれればいいのですが、それはマスコミの全体主義からして不可能なのでしょう。「大衆」にも認識させることができないし。 ただ、それで失敗したら、そのことを反省し、そこから別のアプローチを考えてゆけばいいだけのことではないのでしょうか。 こういう問題が起こってしまうのだから、やはりインターネットの意見は吟味して、その客観性を考えてゆかねばならぬと思いました。ただし、注意を受けるのはその人のことをまだ期待している証拠です。同じミスをしないように、と心がければそれでよいのではないのでしょうか。 菅首相のことについても触れますが、確かに彼は悲劇の宰相だったのでしょう。しかし、政治を志す人は、自分の信念があったら、周囲がどうこう言おうが「こちらの方が優先順位が高い」と主張し、身命をかけてもやりとげる胆力が必要ではありますまいか。その意味ではやはり能力不足だった、芯がないと思わざるを得ません。 次の総裁、首相は誰になるか分かりませんが、芯のある人でありますように。ただ、ワクチン接種を強行推進したり、パスポートを実行するような人ではないように、と願います。そこは賢愚の問題でもあるわけです。 あと、皇位継承のことについてもう少し加えると、現在は「愛子さま皇太子への道」に投稿した内容の通りですし、古代史を少し勉強し直してみたら、「氏」には「カバネ」がつきものだ、ということも分かりました。それらを大王、天皇が賦与するものだということも。伏見宮家云々を話題にするのは、間違っていました。そのこともつけ加えておきます。 以上、だらだらとすみませんでした。感想ももうしばらくしたらまとめます。
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遅ればせながら、生放送、お疲れ様です。少し食事とかしていたり、眠ったりしていたら、こんな時間になってしまいました。(_ _)
今回の話で、やはり気になったのは、東浩紀さんが小林さんもこびナビの対談から逃げているという話で、これをいうと、あるかたにとても悪いと思うのですが、インターネットは無責任だ、という話題です。
昔、このホームページにチャンネル掲示板(だったかな?もうちゃんとした名前は忘れてしまいました)があった頃、私は「みづくらげ」という名前で投稿していました。そこである人から糾弾を受けて書き込みをやめざるを得なくなった時、どうしても心残りのことがあって、その旨をよしりん先生あてに手紙でしたためたことがあります。ありたいに言えば、スパイがいて、この人ではないか、というようなことです。
かつて「道場掲示板」がこのホームページにあったとき、私は伏見宮家問題をちゃんと取り上げないと、男系派につつかれる可能性がある、という内容の投稿をして物議をかました(正確にはスルーされた)ことがあります。そのことで、反論してきた人が、スパイなのではないか、と思い込んでしまったのです。そののちツイッターを始めた際に気づいたことですが、かつての師範で、先生の論敵になってしまった有本香さんや、「道場」にも出演された北海道の議員をフォローしていたからです。正直言って、阿呆な思い込みです。それで、そのようなものに、自分の気の迷いで書いてしまった記事を消せないままでいることに憤りを感じ、何とかして消させようとしてチャンネル掲示板に少し書いたのです。そのことがある人の気に障ったようで、批判をされた、というような話です。
その後、しばらくして、「女系天皇の時代」の連載に、蘇我入鹿が「無罪だ」とさけぶカットが描かれました。おそらく自分のことなのかと思い、少しショックを受けました。当時通っていたカウンセリングの先生は(事情を多少話してはいたのですが)、「あまり深く受けとることはないですよ。これはただ蘇我入鹿が殺される場面の絵ですよ」と申しており、そのうちに自分もそうなのかな、と思うようになりましたが、多分憶測を語って周囲をみだすようなことをしたという諷刺だったのではないか、という当時の深読みはあたっているのではないか、と思います。
そのことがあってから、6年位はこのホームページには近づかなかったです。一時はインターネット自体も取り外させています。それが再度接近したのは、大阪道場が開催された、という話があったからで、これも昔、「道場掲示板」があった時に投稿した内容と偶然一致したからです。さらにその後、ある学校の先生がsapioに少子化について意見を述べたという件について、よしりん先生の答えが知りたくなり、ライジング購読も始めました。
ただ、そういう状態だったので、コメント蘭の投稿は避けていました。あくまでも手紙だけにしようと思ったのですが、シンキムとかいう人がコメント蘭を荒らしているという話が気になり、分からないながらもコメント蘭の書き込みを始めてしまったというようなことです。そんなふうにして今日まで来ています。
以上、よしりん先生も、当時のことを覚えているかたも、忘れてしまったような話をだらだらとすみませんでした。そんな状態だったので、コメント蘭投稿を始めた当初は、何だか、ぎずぎすしたような状態だったのかも知れません。おんなじように、誰かがスパイなのではないか、とも疑っていましたから(もう時効ですよね)。山尾志桜里さん事件がなけれなROMにしようかとも思いました。この場を借りて、そのこともお詫び、いいわけしておきます。
私がこういう場に書き込みをしているのは、自己満足だけではなく、何かの役に立てば、という気持ちもかなりあります。「観応の擾乱」・「伏見宮家」のことを記したのも、崇光天皇以降の皇位継承問題を避けては、竹田恒泰あたりの主張を粉砕することができない、という判断をしたからです。その対談の斡旋の話にしても、「よしりん先生の役に立つ」ということが目的だったのでしょう。しかし、ひとりよがりだったり、自分の思い込みで「これは正しいことだ」という認識をそのまま語るのは、場合によってははた迷惑なこともあるのだろうと思うのです。「人には都合もある」。その通りです。こびナビから逃げた云々の話について言えば、能力も何もかも未知数で、どういう立場にいるか分からないかたを論破するよりも、公式の意見と直接に戦う方が効果がありますし、「公」のものとして認可されるのですから、木下医師がどうこうという話は相手にしない方がいい、と思います。戦国時代の戦いでも、敵の大将首をとらなければいくさは終わらないですから。ゴー宣で「権威は死んだ」と申しておりますが、「文藝春秋」には権威があると、「一般」には認識されているのですから。それを叩くことの方が、大将首をとることに繋がるのでしょう。できれば「文春」誌上でやれればいいのですが、それはマスコミの全体主義からして不可能なのでしょう。「大衆」にも認識させることができないし。
ただ、それで失敗したら、そのことを反省し、そこから別のアプローチを考えてゆけばいいだけのことではないのでしょうか。
こういう問題が起こってしまうのだから、やはりインターネットの意見は吟味して、その客観性を考えてゆかねばならぬと思いました。ただし、注意を受けるのはその人のことをまだ期待している証拠です。同じミスをしないように、と心がければそれでよいのではないのでしょうか。
菅首相のことについても触れますが、確かに彼は悲劇の宰相だったのでしょう。しかし、政治を志す人は、自分の信念があったら、周囲がどうこう言おうが「こちらの方が優先順位が高い」と主張し、身命をかけてもやりとげる胆力が必要ではありますまいか。その意味ではやはり能力不足だった、芯がないと思わざるを得ません。
次の総裁、首相は誰になるか分かりませんが、芯のある人でありますように。ただ、ワクチン接種を強行推進したり、パスポートを実行するような人ではないように、と願います。そこは賢愚の問題でもあるわけです。
あと、皇位継承のことについてもう少し加えると、現在は「愛子さま皇太子への道」に投稿した内容の通りですし、古代史を少し勉強し直してみたら、「氏」には「カバネ」がつきものだ、ということも分かりました。それらを大王、天皇が賦与するものだということも。伏見宮家云々を話題にするのは、間違っていました。そのこともつけ加えておきます。
以上、だらだらとすみませんでした。感想ももうしばらくしたらまとめます。