サトル のコメント

言葉足らずを恐れずに。(先日の萬田先生と小林先生のブログを読んで)

「いかにあるか」と「いかにあるべきか」についてのブログ内容と理解しています。

「いかにあるか」は、事実、科学と言ってよいかと思います。
「いかにあるべきか」は、哲学、人生観と言ってよいかと思います。

科学は「いかにあるか」を教えてくれます。
新しい知見もどんどん出てきます。塗り替えられることもあります。

「いかにあるか」は「いかにあるべきか」にも大きく影響を与えるでしょう。

しかし「いかにあるか」は、「いかにあるべきか」の答えは出してくれません。

今般の「コロナ禍」は、「いかにあるか」と「いかにあるべきか」が突きつけられた問題です。(と、私は思っています)

「いかにあるべきか」は個々人が互いに尊重すべき問題でしょう。思想の自由(内面の自由)に通じるものかと思います。

しかし、今般のコロナ禍は、「いかにあるか」を踏みにじってる(例えそれが、完全には逃げられない「人のバイアス」であり、データの取り上げ方であるとしても)。

さらに、「いかにあるべきか」が「個々の欲望」のために、「いかにあるか」を「利用」し他者へ「こうするべき」とするのは、「科学的、論理的」でもなく、ましてや「哲学的」でもないと、つらつら思う次第です。

「公共の福祉」にも繋がる課題と思います。




No.249 39ヶ月前

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