言葉足らずを恐れずに。(先日の萬田先生と小林先生のブログを読んで) 「いかにあるか」と「いかにあるべきか」についてのブログ内容と理解しています。 「いかにあるか」は、事実、科学と言ってよいかと思います。 「いかにあるべきか」は、哲学、人生観と言ってよいかと思います。 科学は「いかにあるか」を教えてくれます。 新しい知見もどんどん出てきます。塗り替えられることもあります。 「いかにあるか」は「いかにあるべきか」にも大きく影響を与えるでしょう。 しかし「いかにあるか」は、「いかにあるべきか」の答えは出してくれません。 今般の「コロナ禍」は、「いかにあるか」と「いかにあるべきか」が突きつけられた問題です。(と、私は思っています) 「いかにあるべきか」は個々人が互いに尊重すべき問題でしょう。思想の自由(内面の自由)に通じるものかと思います。 しかし、今般のコロナ禍は、「いかにあるか」を踏みにじってる(例えそれが、完全には逃げられない「人のバイアス」であり、データの取り上げ方であるとしても)。 さらに、「いかにあるべきか」が「個々の欲望」のために、「いかにあるか」を「利用」し他者へ「こうするべき」とするのは、「科学的、論理的」でもなく、ましてや「哲学的」でもないと、つらつら思う次第です。 「公共の福祉」にも繋がる課題と思います。
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(ID:62053878)
言葉足らずを恐れずに。(先日の萬田先生と小林先生のブログを読んで)
「いかにあるか」と「いかにあるべきか」についてのブログ内容と理解しています。
「いかにあるか」は、事実、科学と言ってよいかと思います。
「いかにあるべきか」は、哲学、人生観と言ってよいかと思います。
科学は「いかにあるか」を教えてくれます。
新しい知見もどんどん出てきます。塗り替えられることもあります。
「いかにあるか」は「いかにあるべきか」にも大きく影響を与えるでしょう。
しかし「いかにあるか」は、「いかにあるべきか」の答えは出してくれません。
今般の「コロナ禍」は、「いかにあるか」と「いかにあるべきか」が突きつけられた問題です。(と、私は思っています)
「いかにあるべきか」は個々人が互いに尊重すべき問題でしょう。思想の自由(内面の自由)に通じるものかと思います。
しかし、今般のコロナ禍は、「いかにあるか」を踏みにじってる(例えそれが、完全には逃げられない「人のバイアス」であり、データの取り上げ方であるとしても)。
さらに、「いかにあるべきか」が「個々の欲望」のために、「いかにあるか」を「利用」し他者へ「こうするべき」とするのは、「科学的、論理的」でもなく、ましてや「哲学的」でもないと、つらつら思う次第です。
「公共の福祉」にも繋がる課題と思います。