roku のコメント

よしりん先生、「できるだけ軽症のうちに診療を受けられるようにする。重症者が十分な医療を受けられるよう体制を整える」そして5類に下げる。本当にそうだと思います。やっと、昨日オミが「医療逼迫の状況を重視する行動」とのたまっていましたね。やっと、今になってやっと。管総理はお気の毒なことでしたが、お辞めになられると決められた以上は失うものは何もないのですから、「5類に落とす」くらい言って頂きたいものですが、これ以上ご無理をされるのもお気の毒のような気がします。今度の総理は、清潔な倫理観と確固たる政治理念をもち、強いリーダーシップを持った方になって頂きたいものです。
少し、興味深く思ったことで先生は「よく喋る」ことについて触れておられましたが、確かに日本人は「沈黙は金」というような感覚があります。雄弁な人は少しうさんくさい感じがします。しかし、私がその昔、大学の授業で、ダンテの『新曲』を研究発表されている方がいて、中世キリスト教観の入った作品なのですが、レジュメのなかに当時の美徳がいくつかあげてありまして、最後に「eloquence(雄弁)」があげてあったのには、とてもビックリしたのを覚えています。なぜ、雄弁が美徳になるのか、私にはさっぱり分かりませんでした。それで、「雄弁」で調べてみましたら、「雄弁術」というのがでてきまして、「ローマで発達した演説の技法」とあり、=修辞学 とありました。
「修辞学」とは、「思想感情を効果的に伝達するための原理を研究する学問」と、なんと私の中での「おしゃべりさん」が西洋では学問にまで繋がっていきました。紀元前5世紀アテネを中心としてこの修辞の技術は「政治演説や法廷弁論に不可欠な道具」と考えられていたようです。そういえば、哲学者さん達は、よく人を引き留めては、激論をかわしていたようですものね。よく、そんな暇なことを と私は思いましたが、そんなに気楽にできるのも奴隷制という制度がきっちりあって彼らの生活を支えていたからだと教えていただきました。自由だなんだかんだといっても、奴隷制を平然と認めている社会じゃないの?と思っていたのを覚えています。「ギリシア、ローマでは、修辞弁論の技術は彼らの『言葉の文化』のかなめ として位置づけられていた」そうなので、それは、そんな時から弁論を磨き自由だ人生だと論じてやってきた人種の人々と多弁は良しとしない文化では、司法を利用する習慣もなかなか根付かないのも仕方ないなあと思いました。
またまた、話がずれてしまいましたが、目下の私の希望は、時期総理が希望している方がなればよいなあというところです。そうすれば、コロナも皇統問題も早々に解決していくにちがいない、と楽観的に思っています。が、子ども、若者のワクチン接種は一刻も早くやめて頂きたいです。もう、辛いです。
今回もありがとうございました。ゴー宣道場楽しみにしております。

No.106 36ヶ月前

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