ちぇぶラージオに投稿します。宜しくお願いいたします。 ・ハンドルネーム∶希蝶 ・性別∶男性 ・年齢∶56歳 ・職業∶清掃業 ・「第14章 コロナ医療の末期に疑問」 この話はひとごとではないです。個人的な話を記してしまい、申しわけありませんが、現在父が入院しており、原因は転倒して骨折したことなのですが、その後、誤嚥性肺炎を起こして頭に酸素が廻らなくなり、意識があるのかないのか、分からないような状況だからです。目を開けているので、意識はあるのでしょうが、表情が変わらないため、こちらの言っていることが分かっているのかどうなのか、自分には判断がつきません。 こんな状態で、医師が延命措置をしたらどうなるものか、と思います、幸いなことに、入院前にそういう処置はしないで欲しいという書類を書かされたので、起こらないとは思いますが、近いうちに療養用の病院にうつることになっており、前もってことわってはありますが、そこではどんな判断をするか分からないです。 私は生命尊重主義ではないですが、それでも何とか今の状態から回復できるのなら、何らかの手術はして欲しいようにも思います。親にはもっと長生きして貰い、コロナ騒動の阿呆らしさを実感して欲しいとも願います。しかし、どうにも手の施しようがないのでしたら、もう仕方がないのかな、と思います。自分の収入は安定したものではないので、生活面での不安もあるのですが、それは私が自分で解決するしかないことなので、無意味にいのちを引き延ばしして、親を人形のようにしてしまうのも残酷だ、というふうに思います。 人は考える葦である、とパスカルは言いましたが、考えるのを忘れてしまい、ただ生きているだけだったら、それは人とは言えないのではないのでしょうか。 「第15章 集団免疫はすでに出来ている」 私は医学のことに詳しくなく、実はあまり興味もないのですが、このところ、周囲からはそのように見られています。ただ、奈良時代に天然痘が流行した、というような話には関心があり、その場合も太政官という中央政府の最高機関が全国におふれを出し、病気への対策をとったりもして、犠牲者は多かったようですが、2年間でパンデミックは収まった、ということです。コロナウイルスの場合も、これと同じで、政府がマスコミや世間のことなど構わずに、科学と経験に基づいて普通に対策をしていれば、長くともその位で問題は解決したのではないのでしょうか?まだ2年きっかりはたってはいませんが、2年になろうとしている現状を見ていると、人間は無菌室の中でしか暮らせない、脆弱な生き物に成り下がったような気がしてなりません。私たちは、ニュースや世界の状態という巨視的な視野を離れ、身の廻りで実際に被害が起きているかどうかから観察する必要があったのではありますまいか。 昔、私が小学校時代に赤痢がはやったことがあり、その時も学級閉鎖にはならずに、お手洗いへ行ったらクレゾール液に手をひたす程度のことしかしていないです。コロナの場合もそれで良かったのではないか、と感じます。巷で消毒液が蔓延していたり、マスク強要の世界の方が何か人間の知性を狂わせ、惰弱にしているように感じられてなりません。もっと人間のからだを信じてあげても良いのではないのでしょうか。 エドガー・アラン・ポーの小説に『赤死病の仮面』という話があり、感染症を恐れてプロスペロ公という貴族がとりまきを引き連れて、屋敷の中に閉じこもるのですが、最後は病気がやってきて、みななくなってしまいます。これは、無菌室の中では人間の抵抗力が失われ、病にかかりやすくなる、という寓意ではないのか、と私には感じられます。 いろいろ記しましたが、多少の危険があっても、普通に生活するのが一番です。感染症で臆病になっていたら、たとえば破傷風や血友病の場合は、どうなってしまうのでしょう、か。一生監禁されて暮らすのでしょうか。私には、そちらの方が地獄に感じられます。 以上です。長々とすみませんでした。なお、先の投稿で上司は物わかりのいい方だ、というふうにも記しましたが、全体主義は物わかりのいい顔をしてやって来て、知らず知らずのうちに自由を奪うものではないのか、と思い直しています。善意の面をかぶった監視や強制ほど恐ろしいものはないです。
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ちぇぶラージオに投稿します。宜しくお願いいたします。
・ハンドルネーム∶希蝶
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・年齢∶56歳
・職業∶清掃業
・「第14章 コロナ医療の末期に疑問」
この話はひとごとではないです。個人的な話を記してしまい、申しわけありませんが、現在父が入院しており、原因は転倒して骨折したことなのですが、その後、誤嚥性肺炎を起こして頭に酸素が廻らなくなり、意識があるのかないのか、分からないような状況だからです。目を開けているので、意識はあるのでしょうが、表情が変わらないため、こちらの言っていることが分かっているのかどうなのか、自分には判断がつきません。
こんな状態で、医師が延命措置をしたらどうなるものか、と思います、幸いなことに、入院前にそういう処置はしないで欲しいという書類を書かされたので、起こらないとは思いますが、近いうちに療養用の病院にうつることになっており、前もってことわってはありますが、そこではどんな判断をするか分からないです。
私は生命尊重主義ではないですが、それでも何とか今の状態から回復できるのなら、何らかの手術はして欲しいようにも思います。親にはもっと長生きして貰い、コロナ騒動の阿呆らしさを実感して欲しいとも願います。しかし、どうにも手の施しようがないのでしたら、もう仕方がないのかな、と思います。自分の収入は安定したものではないので、生活面での不安もあるのですが、それは私が自分で解決するしかないことなので、無意味にいのちを引き延ばしして、親を人形のようにしてしまうのも残酷だ、というふうに思います。
人は考える葦である、とパスカルは言いましたが、考えるのを忘れてしまい、ただ生きているだけだったら、それは人とは言えないのではないのでしょうか。
「第15章 集団免疫はすでに出来ている」
私は医学のことに詳しくなく、実はあまり興味もないのですが、このところ、周囲からはそのように見られています。ただ、奈良時代に天然痘が流行した、というような話には関心があり、その場合も太政官という中央政府の最高機関が全国におふれを出し、病気への対策をとったりもして、犠牲者は多かったようですが、2年間でパンデミックは収まった、ということです。コロナウイルスの場合も、これと同じで、政府がマスコミや世間のことなど構わずに、科学と経験に基づいて普通に対策をしていれば、長くともその位で問題は解決したのではないのでしょうか?まだ2年きっかりはたってはいませんが、2年になろうとしている現状を見ていると、人間は無菌室の中でしか暮らせない、脆弱な生き物に成り下がったような気がしてなりません。私たちは、ニュースや世界の状態という巨視的な視野を離れ、身の廻りで実際に被害が起きているかどうかから観察する必要があったのではありますまいか。
昔、私が小学校時代に赤痢がはやったことがあり、その時も学級閉鎖にはならずに、お手洗いへ行ったらクレゾール液に手をひたす程度のことしかしていないです。コロナの場合もそれで良かったのではないか、と感じます。巷で消毒液が蔓延していたり、マスク強要の世界の方が何か人間の知性を狂わせ、惰弱にしているように感じられてなりません。もっと人間のからだを信じてあげても良いのではないのでしょうか。
エドガー・アラン・ポーの小説に『赤死病の仮面』という話があり、感染症を恐れてプロスペロ公という貴族がとりまきを引き連れて、屋敷の中に閉じこもるのですが、最後は病気がやってきて、みななくなってしまいます。これは、無菌室の中では人間の抵抗力が失われ、病にかかりやすくなる、という寓意ではないのか、と私には感じられます。
いろいろ記しましたが、多少の危険があっても、普通に生活するのが一番です。感染症で臆病になっていたら、たとえば破傷風や血友病の場合は、どうなってしまうのでしょう、か。一生監禁されて暮らすのでしょうか。私には、そちらの方が地獄に感じられます。
以上です。長々とすみませんでした。なお、先の投稿で上司は物わかりのいい方だ、というふうにも記しましたが、全体主義は物わかりのいい顔をしてやって来て、知らず知らずのうちに自由を奪うものではないのか、と思い直しています。善意の面をかぶった監視や強制ほど恐ろしいものはないです。