>>175 サトルさんがおっしゃていらっしゃるのは、情動的共感性のことだと思いまして、少し関連するコメントを。 情動的共感性は二面性があって、特に社会的問題について判断するときは、あまり共感に基づくべきではないという観点もあるようです。 情動的共感性は自分の近くにいるひとには生じやすい一方、自分から遠い目に入らない人には生じにくく、目の前にはいない人がどんなにつらい状況にいたとしても働かない感覚であり、さらに情動的共感性は攻撃性と表裏一体となりやすく、より相手の苦痛を加えるほうに働きやすくなること等が、その理由のようです。 この点から医師会の医者らの今までの言動を振り返ると、目の前の自分らの患者には共感できたとしても(札束に見える人もいるのでしょうが)、「不要不急」と判断された生業で働く人は目には入ってこないのでしょう。患者以外の人々の生活がコロナ騒動でどんなに壊されようが知ったこっちゃなく、不要不急な商売は潰れていくと見下したものが書かれ、躊躇なく団体の会報に掲載されてしまうのも、然もありなんと思いました。 で、木蘭師範が紹介されたコラムを書いた医者は、サトルさんご指摘のとおり行きつけの理容師さんへの接し方から情動的共感性が欠如していることは間違いなく、さらに認知的共感性のほうも低いと私は感じました。 認知的共感性は自分の感情がどうあれ、人々の悲しみや苦しみを客観的に理解しようとするプロセスであり、社会全体を俯瞰できる視座へのプロセスでもあります。 コロナ騒動で、多くの人々の生活が破壊されているのに、コラムで不要不急と見下し中傷できる感覚は、まさに認知的共感性も壊れている人だと思いました。 共感性については2つのバランスが大事であり、重要なのが情動と論理を統合した総合知の在り方と思いますが、エリートである医者が勉強だけは出来てきたけど、2つの共感性が欠如してる人が存外に多く、コロナ騒動でさらに白日の下に晒されてきていると感じますね。
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小林よしのりチャンネル
(ID:5098544)
>>175
サトルさんがおっしゃていらっしゃるのは、情動的共感性のことだと思いまして、少し関連するコメントを。
情動的共感性は二面性があって、特に社会的問題について判断するときは、あまり共感に基づくべきではないという観点もあるようです。
情動的共感性は自分の近くにいるひとには生じやすい一方、自分から遠い目に入らない人には生じにくく、目の前にはいない人がどんなにつらい状況にいたとしても働かない感覚であり、さらに情動的共感性は攻撃性と表裏一体となりやすく、より相手の苦痛を加えるほうに働きやすくなること等が、その理由のようです。
この点から医師会の医者らの今までの言動を振り返ると、目の前の自分らの患者には共感できたとしても(札束に見える人もいるのでしょうが)、「不要不急」と判断された生業で働く人は目には入ってこないのでしょう。患者以外の人々の生活がコロナ騒動でどんなに壊されようが知ったこっちゃなく、不要不急な商売は潰れていくと見下したものが書かれ、躊躇なく団体の会報に掲載されてしまうのも、然もありなんと思いました。
で、木蘭師範が紹介されたコラムを書いた医者は、サトルさんご指摘のとおり行きつけの理容師さんへの接し方から情動的共感性が欠如していることは間違いなく、さらに認知的共感性のほうも低いと私は感じました。
認知的共感性は自分の感情がどうあれ、人々の悲しみや苦しみを客観的に理解しようとするプロセスであり、社会全体を俯瞰できる視座へのプロセスでもあります。
コロナ騒動で、多くの人々の生活が破壊されているのに、コラムで不要不急と見下し中傷できる感覚は、まさに認知的共感性も壊れている人だと思いました。
共感性については2つのバランスが大事であり、重要なのが情動と論理を統合した総合知の在り方と思いますが、エリートである医者が勉強だけは出来てきたけど、2つの共感性が欠如してる人が存外に多く、コロナ騒動でさらに白日の下に晒されてきていると感じますね。