国体のあり方について 今更ながら、今だからこそ考えてみました。 『天皇論』小林よしのり先生著 2009年6月9日第1刷発行 より まず、「国体」とは、天皇を中心とする二千年来の日本の国家体制 と、定義されています。 天皇が、立憲制国家にも関わらず、異例のご決断をされたことがあります。 「ポツダム宣言受諾をめぐる御前会議が紛糾、ついに結論が出せなくなった。その時、全く異例のことながら、天皇の聖断(ご意見)を仰ぐことになった」 ポツダム宣言受諾の意を天皇は表明される。(本来、天皇は行政に口を挟んではならない)後に昭和天皇は 「当時私の決心は第一にこのままでは、日本民族が亡びて終ふ。私は赤子を保護することは出来ない。第二に国体護持のことで木戸も同意見であったが、敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は、直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない。それでは国体護持は難しい。故にこの際、私の一身は犠牲にしても講話せねばならぬとと思った」と述べられている。
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国体のあり方について 今更ながら、今だからこそ考えてみました。
『天皇論』小林よしのり先生著 2009年6月9日第1刷発行 より
まず、「国体」とは、天皇を中心とする二千年来の日本の国家体制 と、定義されています。
天皇が、立憲制国家にも関わらず、異例のご決断をされたことがあります。
「ポツダム宣言受諾をめぐる御前会議が紛糾、ついに結論が出せなくなった。その時、全く異例のことながら、天皇の聖断(ご意見)を仰ぐことになった」 ポツダム宣言受諾の意を天皇は表明される。(本来、天皇は行政に口を挟んではならない)後に昭和天皇は
「当時私の決心は第一にこのままでは、日本民族が亡びて終ふ。私は赤子を保護することは出来ない。第二に国体護持のことで木戸も同意見であったが、敵が伊勢湾付近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は、直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の余裕はなく、その確保の見込みが立たない。それでは国体護持は難しい。故にこの際、私の一身は犠牲にしても講話せねばならぬとと思った」と述べられている。