ライジング「ゴー宣」を読みました。 かつて西尾幹二がやっていた、天皇陛下への敬意も何もない失礼極まりない「自称諫言」と違って、 敬意を持ちつつも、「間違っていることは間違っている」と根拠を示して言うこと、 現時点でこれを出来ているのは、ファンだから言うわけではありませんが、 小林先生しかいないと思います。 しかし、指摘された小林先生が複雑な思いを吐露されているのと同様に、 薄々感じていたことが「やはりそうだったんだな」という思いに変わっても、 読者としても複雑な思いであることには変わりありません。 上皇陛下の世代は、「戦場」は知らない世代ではありますが、「戦争」は日本国内で肌身で感じた世代ではあります。 今上陛下は、戦後生まれで、戦争は知らない世代です。私達と同じです。 皇室という聖域でお育ちになり、天皇陛下という「不自由きわまりない」お立場を「やっていただいている」というだけでも、 我々一般庶民とは全く境遇が違うのですが、 陛下も一人の人間である以上、このコロナ全体主義下で、全体主義に呑まれてしまうことはある訳だなあと。 しかし、そうすると、頭の中で、いろんなことが繋がるところがあって、 複雑な思いがあると共に、暗澹たる思いにもなってきます。 一般庶民が皇室のどの問題に関心があるかということと、熱心なゴー宣の読者(公論サポーターなど)がどう考えているかということに、 大きく開きがあるんじゃないかということは、私は公論サポーターでも何でもない部外者なので、何となく漠然と感じてはいました。 でも、一般庶民がスキャンダラスな問題にしか関心が沸かないことの方がおかしいだろう、という認識でおりましたので、 今回のライジング「ゴー宣」を読んで、いろいろとまた改めて考えました。 私は身内の介護があるので道場に足を運ぶことは出来ませんが、ニコニコ生放送での10月10日の道場を今から楽しみにしております。 「トンデモ見聞録」を読みました。 「バイキング」は、老いた母がよく見ているようで、この記事を読んだことをきっかけにして、母と話してみようと思います。 しかし、ここで取り上げられた鹿野という医者にしても、岡という医者にしても、分科会の尾身にしても、インターパークの倉持仁にしても、 モーニングショーにかつてよく出ていたらしい(私は番組を見ていないので)岡田晴恵にしても、 みんな、自己顕示欲、承認欲求、ナルシシズム、エゴの塊のような人物だなと感じます。 元々そういう気質があった人もいるでしょうし、TVに出続けるうちに、そういう意識が肥大していった人もいるでしょう。 一刻も早く、新型コロナを指定感染症5類扱いに下げられるように強く願います。 本音を言えば、指定感染症から外して欲しいところですが、一万歩譲って、5類に下げて欲しいということです。 追伸:Q&Aありがとうございました。 小林先生の漫画雑誌の最後の作者の一言は、先生が若い頃は、とにかく一言一言がギラギラと尖っていたような印象です。 編集者には思いつかないような文だったと思います。 コロナ脳が「祝祭」を長く続けたいだけ、というのは、 尾身のAbemaでの発言にもはっきりと表れていますね。 偽善でおためごかしをいくら並べても、本音は透けちゃっているのだから、もう観念しろと言いたいです。 あと「流されるまま進もうS」さんの考察は興味深かったです。 日本人のミュージシャンは、やっぱり日本人的気質があるから、外国人ミュージシャンよりも「なあなあで済ませてしまう」部分が大きいと思います。 「なあなあで済ませられない」本当に尖ったミュージシャンも、日本にはいることはいますが。 でも、コロナ脳になってしまったミュージシャンは、やっぱりダメですね。
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ライジング「ゴー宣」を読みました。
かつて西尾幹二がやっていた、天皇陛下への敬意も何もない失礼極まりない「自称諫言」と違って、
敬意を持ちつつも、「間違っていることは間違っている」と根拠を示して言うこと、
現時点でこれを出来ているのは、ファンだから言うわけではありませんが、
小林先生しかいないと思います。
しかし、指摘された小林先生が複雑な思いを吐露されているのと同様に、
薄々感じていたことが「やはりそうだったんだな」という思いに変わっても、
読者としても複雑な思いであることには変わりありません。
上皇陛下の世代は、「戦場」は知らない世代ではありますが、「戦争」は日本国内で肌身で感じた世代ではあります。
今上陛下は、戦後生まれで、戦争は知らない世代です。私達と同じです。
皇室という聖域でお育ちになり、天皇陛下という「不自由きわまりない」お立場を「やっていただいている」というだけでも、
我々一般庶民とは全く境遇が違うのですが、
陛下も一人の人間である以上、このコロナ全体主義下で、全体主義に呑まれてしまうことはある訳だなあと。
しかし、そうすると、頭の中で、いろんなことが繋がるところがあって、
複雑な思いがあると共に、暗澹たる思いにもなってきます。
一般庶民が皇室のどの問題に関心があるかということと、熱心なゴー宣の読者(公論サポーターなど)がどう考えているかということに、
大きく開きがあるんじゃないかということは、私は公論サポーターでも何でもない部外者なので、何となく漠然と感じてはいました。
でも、一般庶民がスキャンダラスな問題にしか関心が沸かないことの方がおかしいだろう、という認識でおりましたので、
今回のライジング「ゴー宣」を読んで、いろいろとまた改めて考えました。
私は身内の介護があるので道場に足を運ぶことは出来ませんが、ニコニコ生放送での10月10日の道場を今から楽しみにしております。
「トンデモ見聞録」を読みました。
「バイキング」は、老いた母がよく見ているようで、この記事を読んだことをきっかけにして、母と話してみようと思います。
しかし、ここで取り上げられた鹿野という医者にしても、岡という医者にしても、分科会の尾身にしても、インターパークの倉持仁にしても、
モーニングショーにかつてよく出ていたらしい(私は番組を見ていないので)岡田晴恵にしても、
みんな、自己顕示欲、承認欲求、ナルシシズム、エゴの塊のような人物だなと感じます。
元々そういう気質があった人もいるでしょうし、TVに出続けるうちに、そういう意識が肥大していった人もいるでしょう。
一刻も早く、新型コロナを指定感染症5類扱いに下げられるように強く願います。
本音を言えば、指定感染症から外して欲しいところですが、一万歩譲って、5類に下げて欲しいということです。
追伸:Q&Aありがとうございました。
小林先生の漫画雑誌の最後の作者の一言は、先生が若い頃は、とにかく一言一言がギラギラと尖っていたような印象です。
編集者には思いつかないような文だったと思います。
コロナ脳が「祝祭」を長く続けたいだけ、というのは、
尾身のAbemaでの発言にもはっきりと表れていますね。
偽善でおためごかしをいくら並べても、本音は透けちゃっているのだから、もう観念しろと言いたいです。
あと「流されるまま進もうS」さんの考察は興味深かったです。
日本人のミュージシャンは、やっぱり日本人的気質があるから、外国人ミュージシャンよりも「なあなあで済ませてしまう」部分が大きいと思います。
「なあなあで済ませられない」本当に尖ったミュージシャンも、日本にはいることはいますが。
でも、コロナ脳になってしまったミュージシャンは、やっぱりダメですね。