ここに記しても良いのかな。ちぇぶラージオ、お疲れ様でした。次回も楽しみにしております。 コロナの後遺症で味覚障碍があるから怖い、という話を投稿しましたが、ツイッターにも少し書いた、こんな話がありました。 知人(女性)で、今度ワクチンを受けるという人がいて(自分よりもひとまわりは和解人)、オリンピックの話とかをしてお茶でも濁していれば良かったのですけれども、思わず木下投手の話とかをした後で、「ワクチンを受けることに恐怖はないのですか?」と聞いてしまった、という阿呆なことをしました。向こうはびっくりして、「ないです」と返答されました。個人的なことでいらついていたこともあり、少しきつい言い方や怒鳴ったような話し方をしてしまい、そこで、先日のよしりん先生の話されていた、「あのワクチンには、死の危険もあると但し書きをした方がいいのではないでしょうか」という話をしたら、その相手は「じゃあ、おとうさんもワクチンを受けるけれども死ぬんですか、おかあさんも」というようなパニック状態になってしまった、というようなことです。実はこの人にこういう話をしているのは一度や二度ではなく、その際に味覚障碍の話なども出ているのです。 自分もよせばいいのに(ここまでの話でかなり最低な物言いをしてしまった、と後悔していますが)、売り言葉に買い言葉で、ワクチン接種券を破ったとか(事実)、スパイク蛋白質とか、遺伝子改変剤とかいう話もしました。廻りからは「あなたは小林よしのりの言うことを聞きすぎですよ」と言われる始末。その人達とも口論になってしまい、オール無視状態に(「両論併記だけではなく、自分で判断することも重要だ」と私も言いましたし、「ワクチンをうつ位ならウイルスにかかった方がましだ」→「ウイルスにかかったら、職場が閉鎖されるじゃないか」→「だからかからないようにしているんじゃないですか」で納得。かなりばかばかしい会話ですが)。どうも自分は人にものを説明するのが苦手です。 あとで上司からもこっぴどく言われました。「これからワクチンを受けるという人にそういう話をしては駄目だ。もうほとんどの人が受けている。面談の時にも(月一度、上の人との面談があるのです)そういう話をされるよ」と。そのことは自分も知っており、実際ターミナル駅には接種会場があり、そこへゆくためのバス停留場もあるのです。自分もかなり頭に血がのぼっていたので、「このままだと世の中がもっとひどいことになる」「自分の出退問題も覚悟している」とか応答してしまいました。なんでも、その上司のご家族のかたも、打つ気はなかったけれども、周囲の環境に負けて接種したのだとか。「自分はどちらが正しいのか、分からない」とも言っていました(こう言っている上司は優しい人だと思います。中には仕事の時だけ声をかけて、露骨に休み時間にはこちらを無視している人もいます)。 いちおう、「怒鳴ってしまったのは問題だったと思います」「言い方は考えないといけないでしょう」とは答えました。あとで、その様子を見たその子も、心配していましたが。「貴方はインフルエンザのワクチンを接種したことはないのですか」とも。そういういい子だから、このままにしておいては駄目だ、と思うのですが(いちおう言っておきますが、恋愛感情とかではないですよ)。 とは言え、私も少しやり過ぎた、感情的になってしまった、という反省はあります。それに、ワクチンをうちたいという人の人生はその人のものなのでしょう。何だかこういう話をするのもばかばかしいような気分になっています。あきらめたくはないのだけれども。 こういう状態をどうすればいいのか、非常に悩んでいます。こんな世界や風潮をつくった、モーニングショーや、こびナビや、河野大臣が憎い、どこかに消し飛んでしまえ、というような気分です。 また個人的なことを記しますが、親の在宅医療にこだわったのも、今、入院したり、施設にはいったら出て来られなくなる、何としてもこの騒ぎを収め、元通りの世界が来るまで親を守りたかったのです。綺麗事を書いていますが。今となってはそれももう無理となってしまいましたが。 以上、愚痴を書いてしまい、すみませんでした。しかし、この状況を詳しく伝えておかないと、次の一手が見えなくなると思いましたので、記しておきます。自分の最低さを残しておくためにも。 話を変えます。Q&Aのことですが、よしりん先生の奥さんは立派だと思います。先生のことを考えて、生活管理をされているのだから。ありふれた表現ですが、いつまでも大切にしてあげて欲しいです。私は鬼滅の刃の禰豆子ちゃんじゃないけれども、食事を作ったり、とったりするのが面倒で、自然に眠ってしまっているうちに、恢復してそんなに空腹を感じなくなったりします。これではいけないのだけれども。アイロンがけや洗濯物を干すのはそんなに大変ではないのに、食事を用意するのは作ってあるものや、作り置きのものを並べようとしても、何だか面倒になってしまう。ご飯が炊けるまでに嫌になってしまう。温めるのも億劫に。これではいけない、と思うのですが。 これ以上、何か記すとまた下らないことを書きそうなので、また次号を期待します。本当にこれ以上、何も変なことが起こらないで欲しい。そう願います。
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ここに記しても良いのかな。ちぇぶラージオ、お疲れ様でした。次回も楽しみにしております。
コロナの後遺症で味覚障碍があるから怖い、という話を投稿しましたが、ツイッターにも少し書いた、こんな話がありました。
知人(女性)で、今度ワクチンを受けるという人がいて(自分よりもひとまわりは和解人)、オリンピックの話とかをしてお茶でも濁していれば良かったのですけれども、思わず木下投手の話とかをした後で、「ワクチンを受けることに恐怖はないのですか?」と聞いてしまった、という阿呆なことをしました。向こうはびっくりして、「ないです」と返答されました。個人的なことでいらついていたこともあり、少しきつい言い方や怒鳴ったような話し方をしてしまい、そこで、先日のよしりん先生の話されていた、「あのワクチンには、死の危険もあると但し書きをした方がいいのではないでしょうか」という話をしたら、その相手は「じゃあ、おとうさんもワクチンを受けるけれども死ぬんですか、おかあさんも」というようなパニック状態になってしまった、というようなことです。実はこの人にこういう話をしているのは一度や二度ではなく、その際に味覚障碍の話なども出ているのです。
自分もよせばいいのに(ここまでの話でかなり最低な物言いをしてしまった、と後悔していますが)、売り言葉に買い言葉で、ワクチン接種券を破ったとか(事実)、スパイク蛋白質とか、遺伝子改変剤とかいう話もしました。廻りからは「あなたは小林よしのりの言うことを聞きすぎですよ」と言われる始末。その人達とも口論になってしまい、オール無視状態に(「両論併記だけではなく、自分で判断することも重要だ」と私も言いましたし、「ワクチンをうつ位ならウイルスにかかった方がましだ」→「ウイルスにかかったら、職場が閉鎖されるじゃないか」→「だからかからないようにしているんじゃないですか」で納得。かなりばかばかしい会話ですが)。どうも自分は人にものを説明するのが苦手です。
あとで上司からもこっぴどく言われました。「これからワクチンを受けるという人にそういう話をしては駄目だ。もうほとんどの人が受けている。面談の時にも(月一度、上の人との面談があるのです)そういう話をされるよ」と。そのことは自分も知っており、実際ターミナル駅には接種会場があり、そこへゆくためのバス停留場もあるのです。自分もかなり頭に血がのぼっていたので、「このままだと世の中がもっとひどいことになる」「自分の出退問題も覚悟している」とか応答してしまいました。なんでも、その上司のご家族のかたも、打つ気はなかったけれども、周囲の環境に負けて接種したのだとか。「自分はどちらが正しいのか、分からない」とも言っていました(こう言っている上司は優しい人だと思います。中には仕事の時だけ声をかけて、露骨に休み時間にはこちらを無視している人もいます)。
いちおう、「怒鳴ってしまったのは問題だったと思います」「言い方は考えないといけないでしょう」とは答えました。あとで、その様子を見たその子も、心配していましたが。「貴方はインフルエンザのワクチンを接種したことはないのですか」とも。そういういい子だから、このままにしておいては駄目だ、と思うのですが(いちおう言っておきますが、恋愛感情とかではないですよ)。
とは言え、私も少しやり過ぎた、感情的になってしまった、という反省はあります。それに、ワクチンをうちたいという人の人生はその人のものなのでしょう。何だかこういう話をするのもばかばかしいような気分になっています。あきらめたくはないのだけれども。
こういう状態をどうすればいいのか、非常に悩んでいます。こんな世界や風潮をつくった、モーニングショーや、こびナビや、河野大臣が憎い、どこかに消し飛んでしまえ、というような気分です。
また個人的なことを記しますが、親の在宅医療にこだわったのも、今、入院したり、施設にはいったら出て来られなくなる、何としてもこの騒ぎを収め、元通りの世界が来るまで親を守りたかったのです。綺麗事を書いていますが。今となってはそれももう無理となってしまいましたが。
以上、愚痴を書いてしまい、すみませんでした。しかし、この状況を詳しく伝えておかないと、次の一手が見えなくなると思いましたので、記しておきます。自分の最低さを残しておくためにも。
話を変えます。Q&Aのことですが、よしりん先生の奥さんは立派だと思います。先生のことを考えて、生活管理をされているのだから。ありふれた表現ですが、いつまでも大切にしてあげて欲しいです。私は鬼滅の刃の禰豆子ちゃんじゃないけれども、食事を作ったり、とったりするのが面倒で、自然に眠ってしまっているうちに、恢復してそんなに空腹を感じなくなったりします。これではいけないのだけれども。アイロンがけや洗濯物を干すのはそんなに大変ではないのに、食事を用意するのは作ってあるものや、作り置きのものを並べようとしても、何だか面倒になってしまう。ご飯が炊けるまでに嫌になってしまう。温めるのも億劫に。これではいけない、と思うのですが。
これ以上、何か記すとまた下らないことを書きそうなので、また次号を期待します。本当にこれ以上、何も変なことが起こらないで欲しい。そう願います。