今号の感想です。 ゴーマニズム宣言・第429回「米軍、イラク撤退。検証しない文化?」 コロナウイルスの件も含めて、個人として、本当に謝罪をさせたいのなら、その本人の前で直接、糾弾するしかないのでは、と思います。しかし、それでも、恐らくカウンターを食らうのかも知れないです。個人の素行とか性格、例えば「お前だって、この時にこれこれこういうことをしている」とか言って来て、別のことを話題にされてごまかされ、かえって不利な立場のではないか、と予想します。評論界とか討論をする場ではどうなのかは分かりませんが、世間一般とか、会社などの上下関係のあるような場では、まずそういうことになるのではないか、という気がします。そういう意味で、人間はずるい、というふうに感じています。その人間の資質をどうこういう以前に、「論理」で判断することはできないのでしょうか。また、(ギリシャ神話の)神々のあられもない姿を織物にした罪を、アテナに糾弾されて自己内省するアラクネのようにはなれぬものでしょうか。 ビートたけしのフライデー襲撃ではありませんが、いっそテレビ朝日にアポイントメントなしで乗り込み、直接生放送の場で、玉川たちの罪を糾弾する、というのはどうでしょうか。自分は大ダメージを食らいますが、話題にはなります(半分は冗談ですけれども)。相手に恥をかかせてはいけない、とか、常識がどうの、礼儀がどうのこうのを語っていたら、奴らは図に乗るだけでしょう。 私は渡部昇一さんの本は何冊か持っており、その論説にも同意できる部分があったので、少し複雑な気持ちではあります。しかし、その同意する箇所が、極右と極左は同じであり、それは戦時中の社会党系統の政党が、日本の軍事政策を支持した、というような内容でもあったので、ある意味本人は自分の記したことでしっぺがえしを食らっているのではないか、という気もします。墓に鞭打つ文化は私も決して良いことではない、と思いますが、歴史の検証とはそういうもので、生死を問わず、その発言内容や行為や判断が是であるか非であるかを問い続けることだろうと思います。 私の好きな小説に『白昼の死角』という作品がありますが、その中の主人公、鶴岡七郞は以下のように語っています。 「私の行為そのものは、たしかに、法の眼から見ればあやまった面もあるでしょう。しかし日本の法律は、戦争犯罪者をみずからの手では裁けなかったのです。 無謀な戦争に国民をかりたて、何百万の人びとの生命を失わせ、莫大な国富と領土を犠牲にした過去の指導者たちの罪はどれほど糾弾しても足りなかったはずです。しかも、その犯罪者を裁くのに、日本は戦勝国の力を借りねばならなかった-。そして、その指導者たちの教育が、私たち戦中派の信念を培い育てたとしたならば、私が日本の法律による裁判を拒否し、判決の言い渡し以前にそれをのがれたことも、あながち卑怯とは言えますまい」 第二次世界大戦や大東亜戦争を支援したのは、当時の日本国民でもあることを考え合わせると、この鶴岡の言葉も、あながち的外れではないです。このコロナ騒動でも、日本人は外国人の判断やマスコミの煽動により、国策を左右されてゆくだけで、世界がこうだから、という判断しかしていない。何とか日本人の手でコロナ騒動を終結させなければならない、と思います(思うだけでは駄目なのですが)。 上記で「襲撃」とか申しましたが、やはり法による糾弾が一番なのかも知れないです。鶴岡七郞に言わせれば「法は力」なのかも知れませんが、力を人倫的な正義のために用いるよう、はたらかせるようにするのは私たちの義務だろうと感じます。個人的な謝罪を期待していたら、確実に問題は先送りされ、前車の轍を踏むような結果になりかねないです。その意味で、倉持辯護士などにも頑張って欲しいと願います。 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第223回「ここがヘンだよ“こびナビ”その3~各国ワクチン神話の崩壊」 正直、こびナビは自己承認欲求が強い人達が集まって作った集団なのではないか、と思います。確かに、薬の効用をどうこう言うには、効果があるように記さないといけないわけですが、だからといって、嘘を恣意的に記してしまっては、泥棒の始まりと言われても仕方がないでしょう。しかも、都合の悪いデータは見えにくくしている。 そして、アメリカやイスラエルやオランダ、被害の少なかったアイスランドの例でも分かるように、明らかに接種後の感染という事実が前面に出ているのに、それを見て見ないふりをしている。その国の政府も、ワクチンに効果がなかったという事実に覆いをかぶせている。そこまで国の権威とか威信の方が国民の命よりも重要視されるのかと空恐ろしくなりました。裸の王様が最後まで行進したのは自分が恥をかいただけだから阿呆なだけだけども、これが病原体の話で、子供が嘘を見抜いたという話で、それでも名誉のために国王や家臣が見て見ぬ振りをするという話だったら、経済自粛で国民が飢え死にするとかいう結末になるわけでしょう。 「過ちて改めざる 是を過ちと謂ふ」という孔子の言葉がありますが、間違えて、それを認識したら、ブラックジャックの「腫瘍狩り」のように謝ればいいだけのことではないのか(この話も何回記したのかな)、つまらないプライドや見えに捕らわれず、こびナビとかいう組織や政府が国民に向かって誤り、上述のように「法」の正当な裁きを受けることを望みます。 そして、それ以上に私たちが国や上の組織や立場の人のいいなりになっていることのくだらなさ、なぜ、自分よりも上の立場のものが錯誤するという可能性を視野にいれないのかを、不思議にも思います。自分のことを判断するのは、他者の客観的な視線が必要でも、とどのつまりは自分であり、たった一人しかいない自分を、たった一つしかない人生を本当に生かすとは、そういう自分で判断する、ということではないのか、とも思います。 あまりうまくまとまりませんでしたが、こんなところです。 今晩は野球の決勝戦でもあります。オドレら正気かと重なるので録画しますが、頑張って欲しいです。
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今号の感想です。
ゴーマニズム宣言・第429回「米軍、イラク撤退。検証しない文化?」
コロナウイルスの件も含めて、個人として、本当に謝罪をさせたいのなら、その本人の前で直接、糾弾するしかないのでは、と思います。しかし、それでも、恐らくカウンターを食らうのかも知れないです。個人の素行とか性格、例えば「お前だって、この時にこれこれこういうことをしている」とか言って来て、別のことを話題にされてごまかされ、かえって不利な立場のではないか、と予想します。評論界とか討論をする場ではどうなのかは分かりませんが、世間一般とか、会社などの上下関係のあるような場では、まずそういうことになるのではないか、という気がします。そういう意味で、人間はずるい、というふうに感じています。その人間の資質をどうこういう以前に、「論理」で判断することはできないのでしょうか。また、(ギリシャ神話の)神々のあられもない姿を織物にした罪を、アテナに糾弾されて自己内省するアラクネのようにはなれぬものでしょうか。
ビートたけしのフライデー襲撃ではありませんが、いっそテレビ朝日にアポイントメントなしで乗り込み、直接生放送の場で、玉川たちの罪を糾弾する、というのはどうでしょうか。自分は大ダメージを食らいますが、話題にはなります(半分は冗談ですけれども)。相手に恥をかかせてはいけない、とか、常識がどうの、礼儀がどうのこうのを語っていたら、奴らは図に乗るだけでしょう。
私は渡部昇一さんの本は何冊か持っており、その論説にも同意できる部分があったので、少し複雑な気持ちではあります。しかし、その同意する箇所が、極右と極左は同じであり、それは戦時中の社会党系統の政党が、日本の軍事政策を支持した、というような内容でもあったので、ある意味本人は自分の記したことでしっぺがえしを食らっているのではないか、という気もします。墓に鞭打つ文化は私も決して良いことではない、と思いますが、歴史の検証とはそういうもので、生死を問わず、その発言内容や行為や判断が是であるか非であるかを問い続けることだろうと思います。
私の好きな小説に『白昼の死角』という作品がありますが、その中の主人公、鶴岡七郞は以下のように語っています。
「私の行為そのものは、たしかに、法の眼から見ればあやまった面もあるでしょう。しかし日本の法律は、戦争犯罪者をみずからの手では裁けなかったのです。
無謀な戦争に国民をかりたて、何百万の人びとの生命を失わせ、莫大な国富と領土を犠牲にした過去の指導者たちの罪はどれほど糾弾しても足りなかったはずです。しかも、その犯罪者を裁くのに、日本は戦勝国の力を借りねばならなかった-。そして、その指導者たちの教育が、私たち戦中派の信念を培い育てたとしたならば、私が日本の法律による裁判を拒否し、判決の言い渡し以前にそれをのがれたことも、あながち卑怯とは言えますまい」
第二次世界大戦や大東亜戦争を支援したのは、当時の日本国民でもあることを考え合わせると、この鶴岡の言葉も、あながち的外れではないです。このコロナ騒動でも、日本人は外国人の判断やマスコミの煽動により、国策を左右されてゆくだけで、世界がこうだから、という判断しかしていない。何とか日本人の手でコロナ騒動を終結させなければならない、と思います(思うだけでは駄目なのですが)。
上記で「襲撃」とか申しましたが、やはり法による糾弾が一番なのかも知れないです。鶴岡七郞に言わせれば「法は力」なのかも知れませんが、力を人倫的な正義のために用いるよう、はたらかせるようにするのは私たちの義務だろうと感じます。個人的な謝罪を期待していたら、確実に問題は先送りされ、前車の轍を踏むような結果になりかねないです。その意味で、倉持辯護士などにも頑張って欲しいと願います。
泉美木蘭のトンデモ見聞録・第223回「ここがヘンだよ“こびナビ”その3~各国ワクチン神話の崩壊」
正直、こびナビは自己承認欲求が強い人達が集まって作った集団なのではないか、と思います。確かに、薬の効用をどうこう言うには、効果があるように記さないといけないわけですが、だからといって、嘘を恣意的に記してしまっては、泥棒の始まりと言われても仕方がないでしょう。しかも、都合の悪いデータは見えにくくしている。
そして、アメリカやイスラエルやオランダ、被害の少なかったアイスランドの例でも分かるように、明らかに接種後の感染という事実が前面に出ているのに、それを見て見ないふりをしている。その国の政府も、ワクチンに効果がなかったという事実に覆いをかぶせている。そこまで国の権威とか威信の方が国民の命よりも重要視されるのかと空恐ろしくなりました。裸の王様が最後まで行進したのは自分が恥をかいただけだから阿呆なだけだけども、これが病原体の話で、子供が嘘を見抜いたという話で、それでも名誉のために国王や家臣が見て見ぬ振りをするという話だったら、経済自粛で国民が飢え死にするとかいう結末になるわけでしょう。
「過ちて改めざる 是を過ちと謂ふ」という孔子の言葉がありますが、間違えて、それを認識したら、ブラックジャックの「腫瘍狩り」のように謝ればいいだけのことではないのか(この話も何回記したのかな)、つまらないプライドや見えに捕らわれず、こびナビとかいう組織や政府が国民に向かって誤り、上述のように「法」の正当な裁きを受けることを望みます。
そして、それ以上に私たちが国や上の組織や立場の人のいいなりになっていることのくだらなさ、なぜ、自分よりも上の立場のものが錯誤するという可能性を視野にいれないのかを、不思議にも思います。自分のことを判断するのは、他者の客観的な視線が必要でも、とどのつまりは自分であり、たった一人しかいない自分を、たった一つしかない人生を本当に生かすとは、そういう自分で判断する、ということではないのか、とも思います。
あまりうまくまとまりませんでしたが、こんなところです。
今晩は野球の決勝戦でもあります。オドレら正気かと重なるので録画しますが、頑張って欲しいです。