セイレイMM のコメント

今週のライジングおよび、「東海ゴー宣道場」の題材である「常識の逆襲」を成り立たせるには、やはり「知の継承」という処に戻ってきます。

過去の私のコメントの中で、思わず「この世界は団塊世代の私物ではない」というような事を書いてしまいましたが、怒りの矛先が間違っていました。

ならば、井上正康氏(正確には、もう少し上の世代ですが)はどうなんだ。そういう事ではないよね。どの時代のどの世代にも、「常識ぶった何か」に異議申し立てし、人生を終えた先に「常識」を遺した先人がいました。そこを継承するためには、世代間の分断に嵌まり込んではいけないと思い直したのです。

コロナ脳で、最近腹が立ってしょうがない父母とて、祖父母以前の世代から受け継いできた「生活の常識」を持っていると感じています。その部分を見ないままに、この先死別していったなら、それも社会の質を落とす事に繋がると思います。


山本紀夫「高地文明」(中公新書,2021年刊)

この本の著者もまた1943年生まれの研究者であり、文明の発祥・発展の要は大河のみならず、低緯度上の高地の存在も見るべきである、と異議申し立てをし続けてきた人です。各地の高地を歩き、そこで複数年生活する中で「実感」を持ち、文献重視の研究の在り方に風穴を開けようしています。

それは、世代と時代を経る中で薄れゆく「その頃ならば分かっていた認識」を未来に蘇らせる行為であると言い換えられます。


話を新型コロナ・インフォデミックに戻して、今の日本社会で「知の継承」を妨害しているのは、過去との繋がりを見失い、自分1代で立てた知を絶対視する人達です。未来に対する想像力を持たず、自分1代の人生を勝ち逃げできれば良しとする人達です。

私たちにできる事。それは、同時代を生きる複数世代が横に繋がる事です。学歴や派閥でマウントをとらず、自分の中に無い「知」に対して謙虚に、真摯に向き合う。それは、世代間の上下性を無くせという事ではなく、教わる者としての謙虚さを忘れないという事です。(その実践例もまた、先人の中に見出すことができます。確か、伊能忠敬もその1人です。)

学歴や派閥ばかりが幅を利かしている現状では、ただ「目上の人を敬え」では足りないと思います。かといって、行き過ぎた上下性否定では「継承」の道筋が断ち切られてしまう。

世の中の仕組みのレベルで、そうなる処まで行けるのだろうか。それは夢物語かもしれませんが、現状に疑問を抱く者として、目指す方向はそこではないかと考えています。

No.238 40ヶ月前

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