しいたけ のコメント

>>233

うさぎさま

 コメントありがとうございます。
 早速ですが、私が、ワクチン肯定派と懐疑派の信念対立と書いた部分は、小林先生の言説と、それを敵視する人々の言説の間の事を書いたのではないのです。こびナビ副代表の峰宗太郎氏がTwitterで書いている罵詈雑言などは信念対立以前のものです。
 そうではなくて、ある程度自立的に自分で情報を集めたうえでの、ワクチンに肯定的な人と懐疑的な人の間の信念対立です。私はあるワクチン肯定派の人と自分の「欲望」「関心」に関して、話し合う機会を持ったことがあります。
 まず、私はワクチン懐疑派なので、自分の「欲望」について以下のように説明しました。新型コロナウイルスに感染して、もしそれで命を失うようなことがあっても、それは自然の摂理としてどうにか受け入れることができる。しかし、ワクチンでそのようなことがあれば、それは人為的なもの、殺人であり、一個人として受け入れられない、と。しかも私は新しいテクノロジーというものに対して、非常に懐疑的です。子どもの頃は、整然と整った未来都市を描いた漫画などに憧れていましたが、2011年の東日本大震災の際に起こった原発事故、あるいはゲーム・ネット依存症などの現実などを知ると、新しいテクノロジーに対して警戒を抱くようになりました。しかし、スマホなどは時代の流れで使わざるを得ず、テクノロジーの進歩の一番うしろにしかたなくついていくしかない、という感覚なのです。これが私の信念の下にある「欲望」=思いなのです。
 一方で、ワクチン肯定派の人にその信念の下にある「欲望」=思いを聞くと、彼は誰もが怖がるワクチンを自分は受けてみたい、という「冒険心」があった、というのです。また、人為的なものと私が見なすワクチンの被害も、自然の摂理であり、受け入れることができる、と。人は自然の一部であるから、人のなすことも自然の摂理、という考えのようでした。これらの考えは私を驚かしました。信念の下にある「欲望」=思いを明示しあうことで、お互いその心の違いを知ることができ、わずかながら相手を理解できた部分もあると思います。共通了解というにはほど遠いかもしれませんが…
 竹田青嗣・苫野一徳氏に言わせれば、どんな事実も欲望相関的にやってくる、ということになります。私は小林よしのり先生の「欲望」「関心」=思いがどんなものなのか、より深く知りたいと思います。すでにその哲学を「コロナ論」シリーズで書かれていますが…
 しかし、今問題なのは、YouTubeなどで、ワクチンに懐疑的な内容に対する動画削除、或いは河野太郎大臣によるデマでしょう。あくまでワクチンに関して、肯定的な意見、否定的な意見、両論併記などでないと、自立的な判断は国民はできません。私が挙げたワクチン肯定派の人はかなり特殊な例の人かもしれません。ファシズムに対しては断固戦わないといけないでしょう。

No.235 41ヶ月前

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