小山田圭吾さんの件で遅ればせながら、コメントします。はっきり言って、あまり関心がなかったのですが、私も学生時代・社会人になってからもかなり「いじめ」を受けてきた方です。そして、なぜか「いじめられた」自分の方が孤立し、仲間外れになってゆく、そんなふうでした。 少し調べてみましたが、確かにひどい話だと思いました。いじめられた方にトラウマが残るだろうな、と。小山田氏はそれをさも当たり前であるかのように語っているようで、何だか唖然とします。こういうのを、「モトスコパス」とかいうんですか。 もしかりにいじめられる側の責任を問うのならば、これこれこういう理由で貴方の行為に問題があった、という「解説」をして欲しいと思うのですが、そういうことって、ほとんどの人は致しませんね。ただ感情をぶつけてきて、「被害者ぶりやがって」です。もちろん、いじめている側の方についてもです。私はそれで一人でいることの方が落ち着くようになりましたが、それはそれで独善的な考えにつながっているのかも知れないわけで、何ら進展がみられないわけです。 やはり分からないことは論理的に、言葉で伝えないといけないのかな。前にも何度も語っているけれども、職場の女性に帰り道で「勇気を出して初めての告白」をしたら、それは「勇気」とか「男らしさ」ではなく、自分がその子にいやがらせをしていることになってしまい、「職場環境が悪くなる」「こういう狭い場所では火のないところから煙を立てるようなことが何度も行われる」と先輩方から呼び出されて言われました(これこそ村社会の論理だろうと、今にして思います。鎖国と排外主義とは確実に異なるものでしょう)。 あげくの果てには告白相手のことなどこりごりだ、と口にしたら「恰好つけている。おかしい」とげらげら女性の先輩に笑われたことがありました。この場合、どちらが「いじめ側」で、「被害者側」になるのでしょうか。私には未だに分かりません。 これこそもう大昔の話ですが、告白をした側とされた側とで話し合いをして、どういう点で問題があったのか、確認し合うことはできなかったのかな。いきなり相手に好意を伝えることは、そんなにいけないことだったのか。ならば、なぜ廻りで「〇〇さんが優しい」とか無責任にはやしたてるようなことをするのだろうか。ほかにつきあっている相手との関係修復をしようとした自分の行為はそんなに悪だったのか? よしりん先生は、今後日本でオリンピックが開かれることはない、とおっしゃられましたが、私はこの経験で、今も「恋愛感情を相手に伝える」、という簡単なことがどうすればよいのか、できなくなっています。比べてはいけないのだけれども。そこはたまたまそういう場所だったわけで、ほかのところにはほかの異なった空気があるのかも知れないのですが。 小山田氏の件は明らか上記の話とは異なり、はっきり加害と被害の別がついていますので、今回の辞任措置は正しいと思います。ただし、そういう加害者の方が、上記の自分のように「どこがいけなかったのだろう」と思っている場合もあるので、論理的な「解説」をしてあげることは重要だろうと思います。それで分からなければ、もっと分かりやすい言葉で。それで分からなければ救いようがないのかも知れないです。 ちなみに参考までに「無職転生-異世界行ったら本気出す」とかいうファンタジーがあるんですが、その主人公は前世はいじめられっ子で、異世界に生まれ変わった後も、外に出て他人に会うのが恐怖だった、という描写があります。こういう話こそ、もっと流布して欲しいものです。 以上、廻りの雰囲気に乗っかって、記してみました。
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小山田圭吾さんの件で遅ればせながら、コメントします。はっきり言って、あまり関心がなかったのですが、私も学生時代・社会人になってからもかなり「いじめ」を受けてきた方です。そして、なぜか「いじめられた」自分の方が孤立し、仲間外れになってゆく、そんなふうでした。
少し調べてみましたが、確かにひどい話だと思いました。いじめられた方にトラウマが残るだろうな、と。小山田氏はそれをさも当たり前であるかのように語っているようで、何だか唖然とします。こういうのを、「モトスコパス」とかいうんですか。
もしかりにいじめられる側の責任を問うのならば、これこれこういう理由で貴方の行為に問題があった、という「解説」をして欲しいと思うのですが、そういうことって、ほとんどの人は致しませんね。ただ感情をぶつけてきて、「被害者ぶりやがって」です。もちろん、いじめている側の方についてもです。私はそれで一人でいることの方が落ち着くようになりましたが、それはそれで独善的な考えにつながっているのかも知れないわけで、何ら進展がみられないわけです。
やはり分からないことは論理的に、言葉で伝えないといけないのかな。前にも何度も語っているけれども、職場の女性に帰り道で「勇気を出して初めての告白」をしたら、それは「勇気」とか「男らしさ」ではなく、自分がその子にいやがらせをしていることになってしまい、「職場環境が悪くなる」「こういう狭い場所では火のないところから煙を立てるようなことが何度も行われる」と先輩方から呼び出されて言われました(これこそ村社会の論理だろうと、今にして思います。鎖国と排外主義とは確実に異なるものでしょう)。
あげくの果てには告白相手のことなどこりごりだ、と口にしたら「恰好つけている。おかしい」とげらげら女性の先輩に笑われたことがありました。この場合、どちらが「いじめ側」で、「被害者側」になるのでしょうか。私には未だに分かりません。
これこそもう大昔の話ですが、告白をした側とされた側とで話し合いをして、どういう点で問題があったのか、確認し合うことはできなかったのかな。いきなり相手に好意を伝えることは、そんなにいけないことだったのか。ならば、なぜ廻りで「〇〇さんが優しい」とか無責任にはやしたてるようなことをするのだろうか。ほかにつきあっている相手との関係修復をしようとした自分の行為はそんなに悪だったのか?
よしりん先生は、今後日本でオリンピックが開かれることはない、とおっしゃられましたが、私はこの経験で、今も「恋愛感情を相手に伝える」、という簡単なことがどうすればよいのか、できなくなっています。比べてはいけないのだけれども。そこはたまたまそういう場所だったわけで、ほかのところにはほかの異なった空気があるのかも知れないのですが。
小山田氏の件は明らか上記の話とは異なり、はっきり加害と被害の別がついていますので、今回の辞任措置は正しいと思います。ただし、そういう加害者の方が、上記の自分のように「どこがいけなかったのだろう」と思っている場合もあるので、論理的な「解説」をしてあげることは重要だろうと思います。それで分からなければ、もっと分かりやすい言葉で。それで分からなければ救いようがないのかも知れないです。
ちなみに参考までに「無職転生-異世界行ったら本気出す」とかいうファンタジーがあるんですが、その主人公は前世はいじめられっ子で、異世界に生まれ変わった後も、外に出て他人に会うのが恐怖だった、という描写があります。こういう話こそ、もっと流布して欲しいものです。
以上、廻りの雰囲気に乗っかって、記してみました。