先日はよしりん十番勝負の第一番、楽しく参加させていただきました。 あまり纏まってはいないのですが、感想です。 〈※以下、ネタバレ注意ねがいます〉 まず、東浩紀さんの「コロナ渦の異常事態は、突然起こったものではなく、コロナ渦以前から社会全体の流れとしてあったものではないか」という的確な分析にハッとさせられました。確かに些か違和感もあるクリーン化を推奨する風潮然り、時に極端な弱者を想定したハラスメント対策然り、三浦瑠麗さんも指摘されていた「不快を許容しない、できない人間」がいる事等々、コロナ渦以前よりあった事であり、それがコロナをきっかけに表面化したという分析には妙に納得がいきました。 三浦さんのお話で、多様性を尊重するというリベラル的思考から「パブ等飲食店の営業の自由を守ろう」という事を言うと、自称リベラルとされる人達はむしろ其れ等を弾圧すべきと考えており、かたや保守側は「リスクはあってもそこには生活があり、社会を中和する役割も担っている」のだから守らねばならないという考えで、リベラルが本来持つべき思考性を見失って(自称リベラル化)、保守側が本来リベラルの持つ考えに至っているという見解もそのとおりだと思いました。また、社会全体が「"死"を許容しない」という流れにどんどんなっていっていて、これも自称リベラルに見られる態度として、自分のごくごく身のまわりの"死"は許容しないにも関わらず、自身に直接関係ないとされる"死"であれば受け入れてしまう性質があるというのも正しい見立てであり、そのような利己主義的な事がまかり通る現状は、問題意識として変えていなければならないと思いました。 いわゆる専門家の問題(インフォデミック)について三浦さんがお話しされた、初めは恐怖煽りをしていなかったにも関わらず、これも本来目的を見失った「全体保護」「弱者救済」という流れに巻き込まれる形で、使命感により弾けてしまった人々が起こした弊害という面が本質的にあるという指摘にも頷けました。 弱者を守ろうとしすぎる風潮であるが故、有効策とは程遠いリスク回避を社会全体に対して適用してしまう事の危うさ、これには警鐘を鳴らす事が必要で、視野狭窄にならず本当に守るべきものをいかにして守るかを考えていかなければならないと強く感じました。 そのためには、小林先生のように本の力で対抗する事や、ゴー宣道場のように、公論として本来の弱者救済策を形成していく場がある事は、有効な対抗手段の一つとなるのではないかと考えました。
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先日はよしりん十番勝負の第一番、楽しく参加させていただきました。
あまり纏まってはいないのですが、感想です。
〈※以下、ネタバレ注意ねがいます〉
まず、東浩紀さんの「コロナ渦の異常事態は、突然起こったものではなく、コロナ渦以前から社会全体の流れとしてあったものではないか」という的確な分析にハッとさせられました。確かに些か違和感もあるクリーン化を推奨する風潮然り、時に極端な弱者を想定したハラスメント対策然り、三浦瑠麗さんも指摘されていた「不快を許容しない、できない人間」がいる事等々、コロナ渦以前よりあった事であり、それがコロナをきっかけに表面化したという分析には妙に納得がいきました。
三浦さんのお話で、多様性を尊重するというリベラル的思考から「パブ等飲食店の営業の自由を守ろう」という事を言うと、自称リベラルとされる人達はむしろ其れ等を弾圧すべきと考えており、かたや保守側は「リスクはあってもそこには生活があり、社会を中和する役割も担っている」のだから守らねばならないという考えで、リベラルが本来持つべき思考性を見失って(自称リベラル化)、保守側が本来リベラルの持つ考えに至っているという見解もそのとおりだと思いました。また、社会全体が「"死"を許容しない」という流れにどんどんなっていっていて、これも自称リベラルに見られる態度として、自分のごくごく身のまわりの"死"は許容しないにも関わらず、自身に直接関係ないとされる"死"であれば受け入れてしまう性質があるというのも正しい見立てであり、そのような利己主義的な事がまかり通る現状は、問題意識として変えていなければならないと思いました。
いわゆる専門家の問題(インフォデミック)について三浦さんがお話しされた、初めは恐怖煽りをしていなかったにも関わらず、これも本来目的を見失った「全体保護」「弱者救済」という流れに巻き込まれる形で、使命感により弾けてしまった人々が起こした弊害という面が本質的にあるという指摘にも頷けました。
弱者を守ろうとしすぎる風潮であるが故、有効策とは程遠いリスク回避を社会全体に対して適用してしまう事の危うさ、これには警鐘を鳴らす事が必要で、視野狭窄にならず本当に守るべきものをいかにして守るかを考えていかなければならないと強く感じました。
そのためには、小林先生のように本の力で対抗する事や、ゴー宣道場のように、公論として本来の弱者救済策を形成していく場がある事は、有効な対抗手段の一つとなるのではないかと考えました。