少し時機としてズレた内容ですが、毎日新聞に看過できない記事があったのでご報告いたします(仕事が忙しくてなかなか文章をまとめる時間がありませんでした)。 6月20日(日)の朝刊一面記事で、見出しは「本社世論調査 「五輪無観客で」31% 「中止」「再延期」4割超」というもの。 これ、露骨な印象操作です。 世論調査で、東京五輪開催で観客を入れることについて訊いたものなのですが―― 前回(5月22日): 妥当 20% 無観客 13% 再延期 23% 中止 40% 分からない 3% 今回(6月19日): 妥当 22% 無観客 31% 再延期 12% 中止 30% 分からない 5% という回答結果を受けた見出しが上記のものです。 記事本文では、「無観客」が31%に「上った」、「中止」「再延期」を合わせて「4割超となった」とその数字の大きさを強調しています。 ん? 強調するポイントがおかしくないか? 「中止」と「再延期」を合わせて見るのなら、前回の63%から42%へと21ポイントも下落している点にこそ着目すべきでは? その下落分が「無観客」の18ポイント上昇し、「妥当」の微増につながったと考えるのが自然で、即ちこの1ヶ月で五輪開催そのものに「賛成」する人が大幅に増加した(33%から53%へ)というのがこの世論調査で見られる世間の動向の変化でしょう。 しかし、そういう「五輪肯定」はスルーし、「世論も五輪に伴う感染拡大への不安は強く」「無観客を求める意見が増えている」(本文の記述)と世間が五輪に否定的であるかのように報じるのは大いなる印象操作だと思います。 (ちなみにこの記事の担当は伊東奈々恵という記者です)。 さらに6月22日(火)の朝刊で「五輪観客上限1万人決定」と報じた記事の解説欄(「視点」コーナー)では、「専門家の提言直視を」との見出しを付けて政府の決定を批判しています。 その内容があまりに酷いので、部分的に引用します。 「尾身氏らの提言が十分に吟味されたとは言い難い」 「感染症対策の要は最悪の事態を想定することだ。(中略)政府や組織委はこれまで楽観的な見通しに基づき、都合のいいシナリオを描いては修正する、その繰り返しだった」 「コロナ禍で多くの人々に読まれたアルベール・カミュの小説「ペスト」で主人公の医師はこう語る。「ペストと戦う唯一の方法は誠実さです」。リスクから目を背け、このまま開催ありきで突き進めば、開催できたとしても国民の共感とは程遠い祭典となりかねない」 ツッコミ所があまりにも多いこの解説記事、書いたのは「五輪取材班キャップ田原和宏」とのことです。 五輪取材班キャップともなれば、これまでに幾人ものアスリートと接し、五輪を盛り上げるための報道に注力してきたはずですが、ここに来ていとも簡単にちゃぶ台返し。 アスリートや彼らを応援する人々、あるいは運営スタッフらの心情などは一切無視。 全ては尾身茂の仰せの通りに、というスタンス。 貴方たちが考える「五輪開催の意義」って何なの? と強く問いたい。 尾身茂の「鶴の一声」で、「ああ、じゃあダメだよなあ」と簡単に折れてしまう程度の気持ちでアスリートを取材してたの? 結局、お前ら、スポーツを「感動ポルノ」という「コンテンツ」として扱ってるだけじゃん。 そんな体たらくだったら、ナチスの五輪政治利用に反発するような気概なんぞ持ち合わせてねーだろーよ。 あと、「ペスト」の内容は私は知らないけど、ここに来て「誠実」推しって何なの? 尾身を批判することなく無知蒙昧に従うことが「誠実」ってことになるの? てか、インフォデミックだらけのマスコミこそが不誠実な存在でしょうよ。 『戦争論』の頃の慰安婦問題でも、「悪いことをしたら謝りましょう」なんていう学級会の風紀委員のようなコメントを吐いた左翼運動家がいたけど、左翼ってファクトで攻められたら都合が悪い時にこういう言い回しを使うんだな。 ――すいません、少し感情的になりました。 前半の世論調査の記事でも、尾身茂の「無観客開催が望ましい」という提言を持ち出しており、とにかく尾身茂ぶら下がり体制が著しいです。 尾身の提言を水戸黄門の印籠よろしく、これでもかと読者に突きつけ、尾身の威を借りて政府を攻撃することに執心しています。 先日、緊急事態宣言が解除された際には、街中の人混みの写真を掲載して「密 大丈夫?」という上から目線の見出し。 毎日新聞、皇室報道とか好きだったけど、私の頭の中には「終了」という文字が浮かんでおります。 (一応、この文章をもう少し丁寧にまとめて、毎日新聞に投書したいとは思ってはおりますが)
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少し時機としてズレた内容ですが、毎日新聞に看過できない記事があったのでご報告いたします(仕事が忙しくてなかなか文章をまとめる時間がありませんでした)。
6月20日(日)の朝刊一面記事で、見出しは「本社世論調査 「五輪無観客で」31% 「中止」「再延期」4割超」というもの。
これ、露骨な印象操作です。
世論調査で、東京五輪開催で観客を入れることについて訊いたものなのですが――
前回(5月22日): 妥当 20% 無観客 13% 再延期 23% 中止 40% 分からない 3%
今回(6月19日): 妥当 22% 無観客 31% 再延期 12% 中止 30% 分からない 5%
という回答結果を受けた見出しが上記のものです。
記事本文では、「無観客」が31%に「上った」、「中止」「再延期」を合わせて「4割超となった」とその数字の大きさを強調しています。
ん? 強調するポイントがおかしくないか?
「中止」と「再延期」を合わせて見るのなら、前回の63%から42%へと21ポイントも下落している点にこそ着目すべきでは?
その下落分が「無観客」の18ポイント上昇し、「妥当」の微増につながったと考えるのが自然で、即ちこの1ヶ月で五輪開催そのものに「賛成」する人が大幅に増加した(33%から53%へ)というのがこの世論調査で見られる世間の動向の変化でしょう。
しかし、そういう「五輪肯定」はスルーし、「世論も五輪に伴う感染拡大への不安は強く」「無観客を求める意見が増えている」(本文の記述)と世間が五輪に否定的であるかのように報じるのは大いなる印象操作だと思います。
(ちなみにこの記事の担当は伊東奈々恵という記者です)。
さらに6月22日(火)の朝刊で「五輪観客上限1万人決定」と報じた記事の解説欄(「視点」コーナー)では、「専門家の提言直視を」との見出しを付けて政府の決定を批判しています。
その内容があまりに酷いので、部分的に引用します。
「尾身氏らの提言が十分に吟味されたとは言い難い」
「感染症対策の要は最悪の事態を想定することだ。(中略)政府や組織委はこれまで楽観的な見通しに基づき、都合のいいシナリオを描いては修正する、その繰り返しだった」
「コロナ禍で多くの人々に読まれたアルベール・カミュの小説「ペスト」で主人公の医師はこう語る。「ペストと戦う唯一の方法は誠実さです」。リスクから目を背け、このまま開催ありきで突き進めば、開催できたとしても国民の共感とは程遠い祭典となりかねない」
ツッコミ所があまりにも多いこの解説記事、書いたのは「五輪取材班キャップ田原和宏」とのことです。
五輪取材班キャップともなれば、これまでに幾人ものアスリートと接し、五輪を盛り上げるための報道に注力してきたはずですが、ここに来ていとも簡単にちゃぶ台返し。
アスリートや彼らを応援する人々、あるいは運営スタッフらの心情などは一切無視。
全ては尾身茂の仰せの通りに、というスタンス。
貴方たちが考える「五輪開催の意義」って何なの? と強く問いたい。
尾身茂の「鶴の一声」で、「ああ、じゃあダメだよなあ」と簡単に折れてしまう程度の気持ちでアスリートを取材してたの?
結局、お前ら、スポーツを「感動ポルノ」という「コンテンツ」として扱ってるだけじゃん。
そんな体たらくだったら、ナチスの五輪政治利用に反発するような気概なんぞ持ち合わせてねーだろーよ。
あと、「ペスト」の内容は私は知らないけど、ここに来て「誠実」推しって何なの?
尾身を批判することなく無知蒙昧に従うことが「誠実」ってことになるの?
てか、インフォデミックだらけのマスコミこそが不誠実な存在でしょうよ。
『戦争論』の頃の慰安婦問題でも、「悪いことをしたら謝りましょう」なんていう学級会の風紀委員のようなコメントを吐いた左翼運動家がいたけど、左翼ってファクトで攻められたら都合が悪い時にこういう言い回しを使うんだな。
――すいません、少し感情的になりました。
前半の世論調査の記事でも、尾身茂の「無観客開催が望ましい」という提言を持ち出しており、とにかく尾身茂ぶら下がり体制が著しいです。
尾身の提言を水戸黄門の印籠よろしく、これでもかと読者に突きつけ、尾身の威を借りて政府を攻撃することに執心しています。
先日、緊急事態宣言が解除された際には、街中の人混みの写真を掲載して「密 大丈夫?」という上から目線の見出し。
毎日新聞、皇室報道とか好きだったけど、私の頭の中には「終了」という文字が浮かんでおります。
(一応、この文章をもう少し丁寧にまとめて、毎日新聞に投書したいとは思ってはおりますが)