今号の感想です。 1. ゴーマニズム宣言・第424回「東京オリンピック潰しへの執着」 先にも記しましたが、聖火ランナー辞退者はどう辯解するのでしょうか?先日TVで見た別所哲也さんなどは偉いと思いました。別のいいわけを考えるのでしょうか。 つまり、人の発言はその人が実際に何を主張するのか、何をするのかが肝腎であって、本音はこうだ、という意見は実はその人の本心とは大きくかけ離れている場合があり、有り体に言えば、嘘を言っている、万が一の時の逃げ道を用意している、卑怯者だ、ということなのでしょう。「附和雷同」という四字熟語がありますが、長いものに巻かれていれば、いざというときは安心だ、アングロサクソンについていけば安心だという論理も同様のものなのではないか、今回の事態ほど、イギリスもアメリカも失態を曝している(トランプ前大統領はまだましのようでしたが)、その大勢が誤った道を集団で選び、進んでいるのだったら、どうするのか、事態が変わっても自分の意見を変えずに、信念を貫き通せるのか、というようなことを感じました。とは言え、「藝能人」は藝を見せるのが職業なので、大目に見てあげた方が良いのでしょうか。しかし、河野大臣がよしもとを利用しているというような話を聞くと、それではすまされないような感じでもあります。 かりに、そのよしもと藝人からインドの喜劇役者のような悲劇が起きたら、どう責任をとるのだろう。持病持ちにでも情報操作するのでしょうか? とりとめのない感想ですが、難しい言葉を使うと、「累卵の危ふきにある」といったところなんでしょう。などと暢気に書いてますが、人間は卵みたいなもので、卵はその形から積み上げることはできないように、人間もそれぞれ互いの個性を持って異なっているはずなのだから、本来はもっと違った意見があってもよい、右向け右で、ウイルス恐ろし、ワクチン求むで、反対意見を「人にいろいろな意見があるよね」と特別視するのが良いことなのか?もっと自分の言葉がひろく届けば良い、と願います。 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第218回「酒の提供は、本当に感染者を増やしていたのか?」 窮屈な世の中になったという感慨です。日本人のほとんどが、迷信を信じ込んでしまっている。酒を飲んだら悪いことが起こる、とか。外国にはスティーヴィー・ワンダーの「迷信」というヒット曲がありますが、迷信なんか信じていたら、ひどい目にあう、と訴えるその歌詞は死文と化してしまったのでしょうか? 実行再生産者数(相変わらずこの言葉を聞くと商品を作り直したような気がするんですけれども)の問題にしても、病原体の潜伏期間を鑑みると、緊急事態宣言や蔓延防止法が効いたとも言えない。職場や同居の家族からの「感染」が多いとしか言えない。ならば、家族を別々にする法律を作れば、とは言えないので、酒場をスケープゴートにする。本当の独裁者が現れたら、家族をばらならにし、職場を解体するような無茶な決定をしてくるのではないか、という危懼もありますが、だからといって、酒場を犠牲にして無事安泰という現状も何だかおかしい。結局、我が身の命惜しさに何となくやってる感じを出して、これだけの被害ですむのだから、我慢してくれ、と政府や地方公共団体が押しつけをしているような感じしかしない。だったら、いっそのこと、何もしないで、なりゆきに任せるのも一興なのでは、と思いました。 ちなみに、小池百合子の入院の件、武士の情けみたいな気持ちで少しだけ(本人のしてきたことは評価できないので)同情しましたが、先生のブログの通りなら、自業自得ですね。やはり自分もお人好しなのでしょう(もっとも、自分はひねくれ者とも評価されたこともあるのですけれども。「ひねくれ者」と「お人好し」は両立するのでしょうか?) これで小池百合子が死んだら、どういう報道になるのでしょうか?「お注射」がいけなかったとなるのか、志村けんや岡江久美子さん同様コロナが悪い、コロナは怖いになるのか。いづれにしても情けない国民だ、と思います。「新しい生活様式」ではなく、「新しい人生観・生命倫理」(それも温故知新であるもの)がこの国には必要なのかな、と思いました。 (少し文章を修正・追加しました)
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今号の感想です。
1. ゴーマニズム宣言・第424回「東京オリンピック潰しへの執着」
先にも記しましたが、聖火ランナー辞退者はどう辯解するのでしょうか?先日TVで見た別所哲也さんなどは偉いと思いました。別のいいわけを考えるのでしょうか。
つまり、人の発言はその人が実際に何を主張するのか、何をするのかが肝腎であって、本音はこうだ、という意見は実はその人の本心とは大きくかけ離れている場合があり、有り体に言えば、嘘を言っている、万が一の時の逃げ道を用意している、卑怯者だ、ということなのでしょう。「附和雷同」という四字熟語がありますが、長いものに巻かれていれば、いざというときは安心だ、アングロサクソンについていけば安心だという論理も同様のものなのではないか、今回の事態ほど、イギリスもアメリカも失態を曝している(トランプ前大統領はまだましのようでしたが)、その大勢が誤った道を集団で選び、進んでいるのだったら、どうするのか、事態が変わっても自分の意見を変えずに、信念を貫き通せるのか、というようなことを感じました。とは言え、「藝能人」は藝を見せるのが職業なので、大目に見てあげた方が良いのでしょうか。しかし、河野大臣がよしもとを利用しているというような話を聞くと、それではすまされないような感じでもあります。
かりに、そのよしもと藝人からインドの喜劇役者のような悲劇が起きたら、どう責任をとるのだろう。持病持ちにでも情報操作するのでしょうか?
とりとめのない感想ですが、難しい言葉を使うと、「累卵の危ふきにある」といったところなんでしょう。などと暢気に書いてますが、人間は卵みたいなもので、卵はその形から積み上げることはできないように、人間もそれぞれ互いの個性を持って異なっているはずなのだから、本来はもっと違った意見があってもよい、右向け右で、ウイルス恐ろし、ワクチン求むで、反対意見を「人にいろいろな意見があるよね」と特別視するのが良いことなのか?もっと自分の言葉がひろく届けば良い、と願います。
2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第218回「酒の提供は、本当に感染者を増やしていたのか?」
窮屈な世の中になったという感慨です。日本人のほとんどが、迷信を信じ込んでしまっている。酒を飲んだら悪いことが起こる、とか。外国にはスティーヴィー・ワンダーの「迷信」というヒット曲がありますが、迷信なんか信じていたら、ひどい目にあう、と訴えるその歌詞は死文と化してしまったのでしょうか?
実行再生産者数(相変わらずこの言葉を聞くと商品を作り直したような気がするんですけれども)の問題にしても、病原体の潜伏期間を鑑みると、緊急事態宣言や蔓延防止法が効いたとも言えない。職場や同居の家族からの「感染」が多いとしか言えない。ならば、家族を別々にする法律を作れば、とは言えないので、酒場をスケープゴートにする。本当の独裁者が現れたら、家族をばらならにし、職場を解体するような無茶な決定をしてくるのではないか、という危懼もありますが、だからといって、酒場を犠牲にして無事安泰という現状も何だかおかしい。結局、我が身の命惜しさに何となくやってる感じを出して、これだけの被害ですむのだから、我慢してくれ、と政府や地方公共団体が押しつけをしているような感じしかしない。だったら、いっそのこと、何もしないで、なりゆきに任せるのも一興なのでは、と思いました。
ちなみに、小池百合子の入院の件、武士の情けみたいな気持ちで少しだけ(本人のしてきたことは評価できないので)同情しましたが、先生のブログの通りなら、自業自得ですね。やはり自分もお人好しなのでしょう(もっとも、自分はひねくれ者とも評価されたこともあるのですけれども。「ひねくれ者」と「お人好し」は両立するのでしょうか?)
これで小池百合子が死んだら、どういう報道になるのでしょうか?「お注射」がいけなかったとなるのか、志村けんや岡江久美子さん同様コロナが悪い、コロナは怖いになるのか。いづれにしても情けない国民だ、と思います。「新しい生活様式」ではなく、「新しい人生観・生命倫理」(それも温故知新であるもの)がこの国には必要なのかな、と思いました。
(少し文章を修正・追加しました)