希蝶 のコメント

 青ネギさんなどにならって(青ネギさん、すみません(^_^;))、今号のプチ感想です。
 ゴーマニズム宣言・第419回「第1権力と化したテレビマンの狂気」

 ずっと前に、菊池寬の「形」という短篇のことを記したように覚えています。あらすじをざっと記すと

 戦国時代に摂津国にいたとある大名の侍大将の中村新兵衛という武士は、槍の名手で、火のような猩々緋(しょうじょうひ)の鎧を身につけ、唐冠纓金(とうかんえいきん)の兜の姿で知られていた。あるとき、主君の息子の頼みを聞いて、彼はその鎧と兜を主君の息子の初陣に貸してしまった。主君の息子は新兵衛の鎧と兜を身につけ、手柄を立てた。
 続けて、新兵衛が敵陣に槍を入れたが、いつもと勝手が違う。今度は敵は命がけで立ち向かって来る。つまり、猩々緋と唐冠の侍にやられた怨みを返そうとしていたのだ(中身が入れ替わっていることなど、露も知らずに)。新兵衛は平生以上の働きをしたが、結局、討ち取られてしまった。

 というような話なんですけれども(これを記すために、昔の書き込みを見直してもみたのですが、ひどい有様ですね、何だか無理矢理自分の主張を押し通そうとして、向きになっている。読み返すのが一苦労でした。自分にも特別な鎧と兜があると錯覚していたのでしょう)、要は、テレビ朝日が「猩々緋と唐冠」で、玉川徹氏が「中村新兵衛」だと私は思うのです。それだけのことなんですが、羽鳥慎一氏はまだフリーを経験しているので、この話の意味が分かると思うのですが、生粋のテレ朝社員である玉川徹氏にはこのたとえは分かるのでしょうか?
 つまり一個人の言動は実力があったとしても、社会的にはとても非力なもので、たとえ私が何かを主張しようとも、文集に現在の風潮はテレビによって形成されたものだと記したとしても、まるで聞き入れて貰えなかったりするのです。それを朝日新聞の上司が「小林よしのりは個人で戦っている」とまで評価されたのは、その中村新兵衛以上のことをしている、という話になるわけです。

 あまり長いとほかの人にも読んで貰えないので、この程度にします。毎度のことながら、木蘭さんの方はまた後回しになりますが、御諒承ください。

No.58 5ヶ月前

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