『コロナ論3』内容濃すぎます.中でも最終章最後の2ページはここまで人間と今の日本人の罪深さを表したシーンはないかと思いました.読後数日経っても,彼らのおぞましさ,醜悪な面構えが頭からなかなか離れません. 最終章一読目:コロナ脳とは言え本当に「蕩尽」と言う言葉が当てはまるのだろうか?という疑問がまずよぎる.しっくりこない.「よしりん先生の考えていることを自分はまだ十分理解していない」という感覚があり,読み直すことに. 最終章二読目:自分もコロナ脳と同じ残虐性を本能的には持っているのではないか?と考えるに至り,彼らの精神病理が分かってくる気がした. 自分にもある「残虐性」で思い当たったのは,東日本大震災時の津波の映像や戦争映画の残酷なシーンを「見たくないけど見続け,恐怖とも単純な快楽とも違う,気持ちの高ぶりを感じる」ところ.特攻隊の少年たちを涙流して賛美する戦時中銃後の日本人,古くはローマ時代に見世物として剣闘士の死闘を見る市民も,今回の「供犠」を捧げ祝祭を行う同様の感覚に酔ったのではないか?人間である前に地球上の生物であるヒトにとっては,非日常的な残虐・残酷な場面に出くわす時,本能的な気持ちよさを感じて,それに囚われてしまう. 尾身も,西浦も,西村も,吉村も,そして今やほとんどのコロナ脳の日本人たちにとっては,コロナと関係ない犠牲者が多く存在する(蕩尽する)ことが,戦う自らの命を輝かせていると感じている気がしてならない(なお,小池百合子はちょっと違う存在である気がします...).しかし,自らが「無意識で」その気持ちよさを感じるためには,犠牲者たちは,自分にとって無関係の,同情できない,遠い,「名もなき」存在であることが望ましい.だからこそ,彼ら犠牲者の置かれている具体的な現実に盲目のままのほうが都合がよい. まだまだ一面的な理解だとは思いますが,最終章にはコロナ脳たちと戦うヒントが詰まっていると考えます.
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小林よしのりチャンネル
(ID:85610204)
『コロナ論3』内容濃すぎます.中でも最終章最後の2ページはここまで人間と今の日本人の罪深さを表したシーンはないかと思いました.読後数日経っても,彼らのおぞましさ,醜悪な面構えが頭からなかなか離れません.
最終章一読目:コロナ脳とは言え本当に「蕩尽」と言う言葉が当てはまるのだろうか?という疑問がまずよぎる.しっくりこない.「よしりん先生の考えていることを自分はまだ十分理解していない」という感覚があり,読み直すことに.
最終章二読目:自分もコロナ脳と同じ残虐性を本能的には持っているのではないか?と考えるに至り,彼らの精神病理が分かってくる気がした.
自分にもある「残虐性」で思い当たったのは,東日本大震災時の津波の映像や戦争映画の残酷なシーンを「見たくないけど見続け,恐怖とも単純な快楽とも違う,気持ちの高ぶりを感じる」ところ.特攻隊の少年たちを涙流して賛美する戦時中銃後の日本人,古くはローマ時代に見世物として剣闘士の死闘を見る市民も,今回の「供犠」を捧げ祝祭を行う同様の感覚に酔ったのではないか?人間である前に地球上の生物であるヒトにとっては,非日常的な残虐・残酷な場面に出くわす時,本能的な気持ちよさを感じて,それに囚われてしまう.
尾身も,西浦も,西村も,吉村も,そして今やほとんどのコロナ脳の日本人たちにとっては,コロナと関係ない犠牲者が多く存在する(蕩尽する)ことが,戦う自らの命を輝かせていると感じている気がしてならない(なお,小池百合子はちょっと違う存在である気がします...).しかし,自らが「無意識で」その気持ちよさを感じるためには,犠牲者たちは,自分にとって無関係の,同情できない,遠い,「名もなき」存在であることが望ましい.だからこそ,彼ら犠牲者の置かれている具体的な現実に盲目のままのほうが都合がよい.
まだまだ一面的な理解だとは思いますが,最終章にはコロナ脳たちと戦うヒントが詰まっていると考えます.