T.K(ティーケー) のコメント

よしりん先生のブログにて、「1密」についてコメント欄がざわついていますが、折角コメント欄で教えてくれるよしりん先生への親切心から来る方に対して「脳タリン」と断じて詰る気はさらさらなく、むしろ先生への思いやりを感じました。
しかし、ひねくれた見方をすれば、それでは、「訂正に拘る人は、よしりん先生がブログでごめんなさいと泣いて謝りながら詫びのコメントを書くのを切望しているのかな?」という疑問が私には湧いてきます。
もちろんここのコメントの方がそんな意地悪さを持っていると言いたいわけではありません。
でも、それはよしりん先生のダメージになるほど大事な問題なのか、というのが私の意図する所です。
よしりん先生のブログの認識違いは一度や二度では実はなく、例えば去年の正月のブログでは、「義母と娘のブルース」というべき所を「義母と娘のバラード」としてあります。(未だに残っています。)
これについて誰か指摘した人がいたでしょうか?
要は、重箱の隅をつつく事にどのくらい価値があるのかということです。
その事をアンチが突っ込んだぐらいで、長文コピペに付け足す程度の脳ミソしか持ち合わせていないので、大したことではありません。
よしりん先生の意図を大目に見てあげてください。

そしてこれとは話が別で、ゴー宣道場の質問タイムの時間で、質問者が舞い上がってしまい、演説のように語りが長くなるの一部のコメントの意見ですが、確かに演説ぽくなって質問に至るまでの時間が長いというのは、昨日の生放送を見て私も感じました。
だからといって、事前に質問をピックアップしてその場にふさわしいものを選ぶ、という考え方には、私は同意できないです。
数点、理由がありまして、ひとつは、合理性を追求するならば最初から質問タイムを設けずアンケート用紙に質問を書けば良いということですが。
確かにこれならピックアップ・選別の二度手間が省けるようで、進行は楽かもしれないです。
しかし、そういった合理性に流れること、合理性を求めるのは、私には堕落のように思えます。
もうひとつは、質問者がなかなか質問を切り出さないことが一部の他の方にとって不快に感じる、事実、生放送コメントで不快に感じるという書き込みがありましたが、私は、不快に感じる所まで含めて、そういうところがゴー宣道場の魅力だと思います。
予定調和に阿らないのが、道場の良さだと思います。

だから、質問タイムの形式は、私はこのままでいいと考えます。

(556を修正しました。
長文、失礼しました。)

No.557 44ヶ月前

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