T.K(ティーケー) のコメント

>>201

丑三やギさん。
いやもう仰る通りで、勉強させられる所多々です。
192のコメントを読まれたのですね。
お恥ずかしい限りで、感情・勢いに任せてつい書いてしまいました。
自戒と反省を込めて、192のコメントで私が一体何を言ったのか一部再掲します。
>(私のコメント) 私は正しい事を言っているつもりもなく、善人として振る舞うつもりもありません。
「せんせー、T.K君がいじめる」と言って私を悪者に仕立てようと構いません。

これだけ言っても相手にとっては「私に対する当て付け」「(T.Kは)その言い方が気に入らない」「(T.Kは)上から目線だ」等等の思いなのでしょう。

どうぞ私に対して罵詈雑言を浴びせてください。

私は正直、コメントするのも阿保らしいと思いましたが、名誉の問題に関わると思い直しました。

私のコメント、公論とかけ離れているとお感じでしたら削除も厭いません。(ここまで再掲)

いや本当に理性の統御ができていないと(一度消した私のコメントを私が見て)思いました。
大いに反省しますm(__)m

> 意見を出しても、相手が拒めば、そこで即、終了です。

そこが悩ましいところであって、真意を汲み取れる人もいればそうでない人もいるわけで、ともすれば議論がヒートして喧嘩腰になってしまう場合だってあるものです。

コメントを見ても、「何か(誰それさんの意見と誰それさんの意見は)噛み合っていないなあ」と思う事はあります。
議論が喧嘩腰の姿勢に傾くのを見るにつれ、「こんな調子じゃ百年経ってもコロナ・インフォデミックどころか日本が抱える根源的な問題を解決できない」と私は危機感を抱いたので、少々荒療治ではあるが、“相手の思考をぐるぐる掻き回して公論を止揚させる“という手法を用いなければ二進も三進もいかないと、思った故のことでした。

それが相手によっては理解が得られるか得られないか大きく違うことを考慮すべきだったとは、思いました。

よしりん先生は常日頃から「嫌われる勇気」と真っ正面に向き合っているのだと改めて思いました。

ゴー宣道場・オドレら正気かで全身全霊気力を注ぎ尚且つ漫画を疎かにしない、
並大抵のことでできる技ではないと感じます。

ゼーゼーハーハー喘息と戦いながら、雲上人でも聖人君子でもない命限りある人間として生きることを充実させている先生ですが、人間である以上いつかは寿命が来る、この厳然たる事実は否定できません。
そう考えた時、こう喧嘩腰の言い合い、水掛け論では本当にゴー宣三大目標は実現できるのかと思うと、空恐ろしくなるのです。

ヒールになる勇気が無ければ、「読んでないでしょ」「○○のシンパですね」の言い合いを収めることは難しいと感じました。
どちらか一方に肩入れしている訳ではなくて、素直に「これで大丈夫か?」と、コメントを見ながら思った事をコメントしたまでなのです。

それが余計なお世話ならばごめんなさい。

公論形成の大切なこととはいえ、
投稿数オーバー、重ねて申し訳ありません。

No.206 36ヶ月前

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