サトル のコメント

一度投稿しましたが、ちと違うな……と削除し、引用し直し、再度投稿し直します。

今読み始めてる『幻の名著復刊 中国思想史』(小島祐馬著 kkベストセラーズ)の巻頭の解説にある「呉智英」(懐かしい……)氏の1文と、更に引用文を付けたします。
昨日の道場議論並びに、皇室へのバッシングの「根底」にあるもの、更に、「ウサギさん」への「資料本」にもなるかなと……。的外れかな……との懸念はありますが……(まだ読了していませんし、つまみ食い程度)。


先ずは6p中程より。呉氏の解説文より抜粋。

本書に啓発されたところはいくつもあるが、一箇所だけここに挙げておこう。前期第六章の終わりに近いところだ。
「儒家思想の中心点は道徳的階級制度ともいうべきものである(221p)」……中略……続いてこうある。
「何時の時代においても、自己自身を道徳家なりと認めることは、何人にも最も容易なことである」政治の道徳からの分離は、丸山真男の「日本政治思想研究史」……中略……それでも人は道徳による政治を求める。かの共産主義もまた実は道徳的政治思想であり……略……これはまた、ニーチェやオルテガの近代社会批判にも通じるであろう。道徳に顔を背け、道徳を脱却したはずの人々も、実は内心で「自己自身のみは道徳家なり」と「容易に」認めているのである……。 

更に私が引用致します。

222p
同時に儒家思想は、君権を拘束するものである。儒家では道徳をもって天意にもとづけ、これに地上における最高の権威を附与し、君主といえどもこの道徳の支配を免れることは許さない。……中略…かくて君主の専制を抑えるための……甚だしきに至っては、もし君主が無道ならば革命を行うもまた可なりとしている。かくして君主の絶対支配権は拘束せられるとともに、事実上の支配権は道徳の担当者に移るわけである。

以前小林先生の作品や、高森師範の言説にもあったかと思いますが、「律令」の導入の時に、思想の混入と、また江戸時代の「統治の術」としての中国思想の再導入の功罪等々、かなり根が深いかと。さらにこれに、過激なフェミやらキャンセル運動が入ってきてカクテル状態になってる気が致しまする。中途半端な思想の「チャンポン」を飲んでる。自戒も含め、赤っ恥を覚悟で投稿いたします。

No.247 43ヶ月前

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