>>28 先日、依存症に関するセミナーを聴講しました。 セミナー全体はとても示唆に富むもので、ポリコレと通底する部分もあると感じました。 そもそも人はみな何かしらにある程度依存しています。 講師の方は依存症を「安心して人に依存できない病気」と定義しています。 依存症の人はたいてい人を信じられなくなるようなトラウマ体験を持っており、絶対に裏切らない、モノに依存するようになります。 「私は弱くない、依存なんて恥ずかしいことはしていない」と虚勢を張りモノへの依存や自傷行為といった逃避が深まっていきます。 そして、依存症からの脱却を決定的に阻むのが「ダメ、ゼッタイ」という一種のポリコレです。 もともと「ダメ、ゼッタイ」は薬物依存症の入口を断つためのものですが、事例研究ではその役割を果たせていないようです。 薬物依存症の入口で引き返せる人は、人への依存が適度にある人だということです。 非差別者支援という本来の目的に目を向けず、表面的な「正しさ」を振り回すことで自己の快楽を追い求めるという偽善、これがポリコレといえるのではないでしょうか。 さらに、脊髄反射的に反応する大衆の存在がポリコレを支えています。 そう考えると、ポリコレとはまさに、よしりん先生が戦ってこられた相手の正体といえます。 私たちゴー宣読者は、自己を律しつつ、ポリコレと戦っていく必要があると確信しました。
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(ID:88780444)
>>28
先日、依存症に関するセミナーを聴講しました。
セミナー全体はとても示唆に富むもので、ポリコレと通底する部分もあると感じました。
そもそも人はみな何かしらにある程度依存しています。
講師の方は依存症を「安心して人に依存できない病気」と定義しています。
依存症の人はたいてい人を信じられなくなるようなトラウマ体験を持っており、絶対に裏切らない、モノに依存するようになります。
「私は弱くない、依存なんて恥ずかしいことはしていない」と虚勢を張りモノへの依存や自傷行為といった逃避が深まっていきます。
そして、依存症からの脱却を決定的に阻むのが「ダメ、ゼッタイ」という一種のポリコレです。
もともと「ダメ、ゼッタイ」は薬物依存症の入口を断つためのものですが、事例研究ではその役割を果たせていないようです。
薬物依存症の入口で引き返せる人は、人への依存が適度にある人だということです。
非差別者支援という本来の目的に目を向けず、表面的な「正しさ」を振り回すことで自己の快楽を追い求めるという偽善、これがポリコレといえるのではないでしょうか。
さらに、脊髄反射的に反応する大衆の存在がポリコレを支えています。
そう考えると、ポリコレとはまさに、よしりん先生が戦ってこられた相手の正体といえます。
私たちゴー宣読者は、自己を律しつつ、ポリコレと戦っていく必要があると確信しました。