少し思い出したことがあるので、筆すさびに書いてみます。下らない話ですが。 自分が以前担当だったカウンセラーと喧嘩をして、そのカウンセリングをやめてしまった、という話は先に記したと思います。実はその日、電車に乗って目的地(カウンセリング)に向かおうとした途端に人身事故があり、電車が1時間以上止まった、という出来事がありました。 確か去年の7月ごろのことだったのですが、おかげで次の駅でやっとおりて、タクシーを拾って何とかぎりぎり目的地へ辿り着いた、といった始末でした。 今思えば、それは生活苦による飛び込み自殺か何かだったのでしょうか。 しかし、3ヶ月ぶりに通うカウンセリングの現場では、「はやく新しい、清潔なマスクを用意して」とカウンセラーの先生が叫んでいました。前回の(電話)カウンセリングの際に、わざと(冗談で)綺麗でないマスクをつけてゆく、みたいなことを言ったのを真に受けたのでしょうか(勿論、そういう嫌がらせをする気はなかったです)。苦労して到着しただけに、何だか滑稽で、こういう人のために「約束」通りの時間に間に合うよう、努力したのか、と何だか阿呆らしいような、情けないような気分になりました。 それとも、そういう日だったので、カウンセリングには「予約時間には間に合いません」と休みの電話を入れておけば良かったのでしょうか。そうすれば、今もその先生と馴れ合いの会話を(電話を通じてでも)していたことになるのでしょうか? 今通っている、精神科医付属のカウンセリングも、思いっきりソーシャルディスタンスをとられています。面談をしてくれるだけましなんでしょうか?予定がバッティングしたといって、1時間以上待たされたこともあり、そのことを後で知らされたりもしたのですが。 そもそも、カウンセリングには、どういう意味があるのでしょうか?対処療法しかできず、本当に悩んでいること、困っていることに確実な解答を与えることができず、ただ話をきくことしかできないのだから。それでも、「普通の人はどういう行動をとり、反応をする」ということを知る目的もあるわけで、かよっているわけです。それと、過去に家族に言われたことが影響しているのでしょう。「貴方は確かに変わっている。普通のことを知るためには、カウンセリングへ行く必要がある」、と。 今回の生放送を聞いていて、何気なく思い出した話です。以上、下らない話でした。
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小林よしのりチャンネル
(ID:22136524)
少し思い出したことがあるので、筆すさびに書いてみます。下らない話ですが。
自分が以前担当だったカウンセラーと喧嘩をして、そのカウンセリングをやめてしまった、という話は先に記したと思います。実はその日、電車に乗って目的地(カウンセリング)に向かおうとした途端に人身事故があり、電車が1時間以上止まった、という出来事がありました。
確か去年の7月ごろのことだったのですが、おかげで次の駅でやっとおりて、タクシーを拾って何とかぎりぎり目的地へ辿り着いた、といった始末でした。
今思えば、それは生活苦による飛び込み自殺か何かだったのでしょうか。
しかし、3ヶ月ぶりに通うカウンセリングの現場では、「はやく新しい、清潔なマスクを用意して」とカウンセラーの先生が叫んでいました。前回の(電話)カウンセリングの際に、わざと(冗談で)綺麗でないマスクをつけてゆく、みたいなことを言ったのを真に受けたのでしょうか(勿論、そういう嫌がらせをする気はなかったです)。苦労して到着しただけに、何だか滑稽で、こういう人のために「約束」通りの時間に間に合うよう、努力したのか、と何だか阿呆らしいような、情けないような気分になりました。
それとも、そういう日だったので、カウンセリングには「予約時間には間に合いません」と休みの電話を入れておけば良かったのでしょうか。そうすれば、今もその先生と馴れ合いの会話を(電話を通じてでも)していたことになるのでしょうか?
今通っている、精神科医付属のカウンセリングも、思いっきりソーシャルディスタンスをとられています。面談をしてくれるだけましなんでしょうか?予定がバッティングしたといって、1時間以上待たされたこともあり、そのことを後で知らされたりもしたのですが。
そもそも、カウンセリングには、どういう意味があるのでしょうか?対処療法しかできず、本当に悩んでいること、困っていることに確実な解答を与えることができず、ただ話をきくことしかできないのだから。それでも、「普通の人はどういう行動をとり、反応をする」ということを知る目的もあるわけで、かよっているわけです。それと、過去に家族に言われたことが影響しているのでしょう。「貴方は確かに変わっている。普通のことを知るためには、カウンセリングへ行く必要がある」、と。
今回の生放送を聞いていて、何気なく思い出した話です。以上、下らない話でした。