青ネギ のコメント

>>141
南青山D.Jさん、こんばんは。

「いじめ」に関する考察、何回か読ませて頂きました。
読んでいて、「これは『いじめる側(いじめていた側)の自己正当化や自己弁護』と誤解されかねないのでは?」と感じました。もちろん、読み込めばそのような意図で書かれた文章ではないと理解できますが、失礼を承知で「補足」のようなものを少し書かせて頂きます。


「いじめる側」は、不思議と必ず群れています。畜群です。
「いじめる側の論理」は、『同調圧力』を拠り所にしています。

…と、断定的に書いて良いかどうか分かりませんが、両方の経験があり、かつ傍観者となっていたこともある人間の分析と実感です。
「いじめられる(いじめられた)側の論理」は私には分かりません。私は単なる『もらい事故』だったと思っております。

私には「ポリコレ棒」をブン回している連中の方が「いじめる側」に見えます。
つい最近も、イタイケな老人(?)をポリコレ棒でボコボコに叩いて追い落としたばかりです。

「いじめ」の問題は、突き詰めると『人治主義』対『法治主義』になるのではないかと思います。
「いじめられる側にも原因や責任がある」等といった開き直りに対しては、どこの未開の人治主義国家だよ、と言いたくなります。

また、憲法や法律よりも「非合理的な校則」の方が上位であるかのような「管理教育」は、正直感心しませんし、「法治主義」の浸透の妨げとなっていると思います。
私もいわゆる「管理教育」で育った世代です。管理教育の成果(?)は『相互不信』ではなかったかと思うのですが、如何でしょうか?
中学時代、校則で「トランプ遊び禁止」とされていたので、皆で「花札」をやっていたのは内緒です(笑)。何も賭けていませんでした。ホントです。。。

ちなみに、「いじめの傍観者」であった中学時代のある日、掃除の時間にいじめられていた女子の机を誰も運ぼうとしないので、私はキレました。キレたといっても、その机を運んだだけです。
当然、「その子が好きなんじゃないか?」とか周りに冷やかされましたが、無視しました。だいたい「いじめる連中」というのは前述の通り腰抜けですから、毅然と対応すると逆に恐れられます。こうして私は「裏番長」に…なったワケではありませんが、一目置かれるようになりました。

私は、少なくとも「傍観者」のままでいることに耐えられないのです。
『ゴー宣道場』に参加するようになったのも、こういう性分だからかも知れません。メーリス未加入ですので「外様大名」みたいな立ち位置かも知れませんが。

…長々と乱文失礼致しました。

No.144 45ヶ月前

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