現代人は、そのエゴイズムを覆い隠すために、ある種のイデオロギーを動員する傾向にある。森騒動ではフェミニズムで、コロナ禍では生命至上主義でした。多様化が叫ばれる現代においては、国家だの公だのを持ち出すよりも、リベラル色のあるイデオロギーのほうが、より「エゴの偽装」がし易いのでしょう。 人はおよそ、利己心からは逃れられません。それを認めた上で、その疚しさを抱えた上で、それでも他人とまっとうに生きていこうとすれば、そこに自ずと倫理が生まれざるを得ないのではないでしょうか。それはなんたら主義とは違って精緻な詭弁で編まれてはいないでしょうが、よほど信頼に足るものだと思います。そして、コロナ禍で破壊され続けているのは、そうした「手編みの倫理」なのかもしれません。お上や賢しらな専門家やマスコミが押し付ける「既製品の倫理」がこれに取って代わったとして、人はそれに真実の温かみなど感じはしません。個々の人間の実態が無視されているからです。こうして、憤懣と虚しさが世間に充満していく。抑圧された生の感情は、やがて著名人のリンチに繋がり、身近ではDVに、また自分に向けては命を絶つといった現象を加速させていくのでしょう。
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小林よしのりチャンネル
(ID:19522841)
現代人は、そのエゴイズムを覆い隠すために、ある種のイデオロギーを動員する傾向にある。森騒動ではフェミニズムで、コロナ禍では生命至上主義でした。多様化が叫ばれる現代においては、国家だの公だのを持ち出すよりも、リベラル色のあるイデオロギーのほうが、より「エゴの偽装」がし易いのでしょう。
人はおよそ、利己心からは逃れられません。それを認めた上で、その疚しさを抱えた上で、それでも他人とまっとうに生きていこうとすれば、そこに自ずと倫理が生まれざるを得ないのではないでしょうか。それはなんたら主義とは違って精緻な詭弁で編まれてはいないでしょうが、よほど信頼に足るものだと思います。そして、コロナ禍で破壊され続けているのは、そうした「手編みの倫理」なのかもしれません。お上や賢しらな専門家やマスコミが押し付ける「既製品の倫理」がこれに取って代わったとして、人はそれに真実の温かみなど感じはしません。個々の人間の実態が無視されているからです。こうして、憤懣と虚しさが世間に充満していく。抑圧された生の感情は、やがて著名人のリンチに繋がり、身近ではDVに、また自分に向けては命を絶つといった現象を加速させていくのでしょう。